日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

10歳くらいになる頃に自分の格ができてくる。

10歳くらいになるころに揺るがない自分の核が出来てくる。

だからそれまでは大人にコントロールされない環境で育ったほうがいい。

 

〜背筋が通る時期〜

〜揺るがない自分があるということ〜

〜大人にコントロールされない環境〜

〜大人が自分にとっての幸せとは何かを常に考えること〜

〜何かを変えるのではなく自分が粛々と変わって行くこと〜

 

 

〜背筋が通る時期〜

そう、園長が言ってたけど本当にそうだとおもう。

10歳になってからの大ちゃんは背筋がすっと通ってる。

 

私と旦那さんの会話を聞いて自分の思ったことを言う。

「さっこはこうおもったみたいだけど、僕はこう思ったよ。違う捉え方もあると思うよ。」

本当だね。。あなたの視野の広さに敵わないわ。

 

園でのキャンプの時におやつを持ってこなかった年長さんのAくん。先日のお泊まり会でもまた持ってこなくて、ずっとみんなのおやつをちょうだいちょうだいって言い続けていたそう。(また、おやつの好きな子だったので、笑笑。)  それを帰りの車で話してくれた大ちゃん。

 

大ちゃん「しつこくふざけながら迫ってくるから自分もみんなも困ってたんだよね。」

 

私「そっかあ。おかあさん、おやつがひつようってしらなかったのかもよ。」

 

大ちゃん「ああ、そうか。じゃあ、次にあった時にお母さんに直接言ってあげようかな。お母さんがしつこくせまって困らせたA君のことを怒るかもしれないから、まずAくんのことを、怒らないであげてね、って伝えなくちゃな。そしてみんなのおやつが欲しくなっちゃってかわいそうだから、次のお泊まりの時には1つくらい持たせてあげてっておねがいしよう。うん、そうしよう。」

 

自分が彼の態度に困り続けてちょっと嫌だった、っておもったのに、A君を配慮したこと。

そしてお母さんもおやつを持たせたくない理由があったのかもしれないと配慮して、1つでいいから、って表現なんだな、って。

きっと自分からは言えないんだ、そう相手のことを想像してのこと。しんせつのおしうりではない自然な行為。

たぶん次のお泊まりの時は、Aくん、にこにこでおやつ食べてるね、そう思って一人笑いながら聞いてた。

 

大事だって思うことを大人にもちゃんと伝えてくれる。

誰かのことを気遣ってこうして誰かのお母さんに伝えることも良くある。

 

〜揺るがないじぶんがあるということ〜

 

自分がないと大人に伝えられないよね。

まして、外に出た時に知らない大人に自分の正当性をはっきり伝えることなんて容易ではない。

 

友人の嫌味に揺るがない。

大人の理不尽さに揺るがない。

 

トモエで自分でたくさんの経験を味わったこと。

タイのコミュニティでたくさんの人に出会い、たくさんの暮らしに関わるまったなしのハプニングからくる必要性で、照れ臭い英語を大人に対してもたくさんつかってきたこと。

自然に近い暮らしを続けていくためにたくさんの待った無しの言動が要求されること。

 

言葉にしつくせない、たくさんの経験と人と自然との関わり。

巻きを運んだり、トイレを一緒になおしたり、旦那さんがいない時に起こった家のトラブルに困ってると大抵、大ちゃんがああ、あれじゃない??なんていいながらやってきてなおしてくれる。いつの間に身につけた能力なのかすごいんだわー。。そんな待った無しの暮らしへの参加。

 

そんな我が家は今、トイレの排水菅がこおって外でトイレをする。

今年は雪が少なくて寒かったからねー。しばらく続くかと。

けどそれに動じないこどもたち、笑笑。

 

不思議なことに、トイレが使えなくなった、って知った瞬間は、どうすんのさ、っておもったのに、こうして外の空気を感じることに動物的な感性が気持ちよさを呼んでる、としかいいようがない。

いやじゃないの。別にいいよね、そういう私に、まあね。と答える子供達。

もはやわからない自分のそんな不思議な感性。。シックスセンス

 

でもそれに動じず不安や怒りにならない、どうでもいいけどね、って流せるってことは確実に精神が強くなってる証なんでしょうなー。。

 

〜大人にコントロールされない環境〜

 

これ、多分普通に暮らしていたら、私には意味は分からなかったと思う。

「子どもは未熟な存在だから、1つずつ教えてあげる。」

3つまではそう大ちゃんを育ててきたし、自分もそう育ってきた。

だってね、そもそも社会がそうだもの。

 

ルールもマナーも大人が常識として教えて行く。

 

私たちは80歳近くになるおじいちゃんたちから話を聞く機会が結構多いので、そんな先輩たちに聞くと、昔は子どもも多いし親もうちのことに忙しかったからなあ。こどもたちにかまってるひまなかったもんなあ。

でも地域大人がたくさんいたから見て真似できる環境はたくさんあった。

お正月だからってみんな集まってよそのおじちゃんの膝に座ったりね。怒られることもかわいがってもらうこともたくさんあったのよ。人が関わりあうのが当たり前。忙しいけど楽しかったよ。

 

大人が危険を予測するわけでもなく、年齢の違う子どもたちが集まって遊びの中でいろんな経験をする。外に行けば誰かに会える。

私たちのおとづれる、タイのむらとおなじかもしれない。

 

大人の方も、子供達が羽目を外してるのを見るのなんてしょっちゅうだからよっぽどでないかぎり、ちゅういもしない。

 

自分で動いて、見てしっていっていたのだろうな。

大人に、できない、やってということがない。できなければ少し大きい子が動いて助けてくれる。それで大方は解決していくそうだ。

 

私はそうして育ってきたわけではないけれど、一年間タイの田舎の村で暮らしてそんなのを目の当たりにしてきたことや、おじいちゃんたちの話で想像がいくらかできる気がする。

 

今の日本での暮らしを重ねてみる。

都内に行くと公園に来てる人も少ない。児童館に行ったり、赤ちゃんの時から遊ぶ場所として幼児教室やヤマハに通うこともおおい。兄弟は幼稚園や学校に行き、日頃から一緒に遊ぶ時間も少ないと感じてる。

公園では母同士が気を使う。というか、人の目が木になる、というのが本音かもしれない。喧嘩は止めるし、ブランコは10回やったら交代って大人が決めちゃう。満足するまでやるためには空いてる公園を目指すしかない、笑。

 

幼稚園に行くと、危険なことはやめましょうと教えられる。

階段の手すり滑りは危ないからダメ。室内で走ったら狭くて危ないからダメ。外に出かけるとき前はみんな必ずトイレに行きましょう。

喧嘩を始めてなかなか終わらない。もう給食の時間だから、と先生が早く終息するように関わる。彼らの思いのキャッチボールは、大人の誘導で終わる。本当に子どもたちはそれで納得したのだろうか。

 

こういう現場に関わる時期もあった自分を振り返り、おもう。

多分、私がしたい方に導いただけ。彼らの経験は中途半端なままだ。

 

仕方ないんだよね。だって、子どもたちを安全にうちにかえすのが先生のおおきなお仕事。子どもに対する大人の数が圧倒的に足らなくて、そこまでは現状のシステムでは対応できない。

先生たちはこどもたちをあんぜんにかえしてくれてるので、よくやってくれてると思う。子どもたちがかえっても時間が足らず、残業して仕事を片付けるのが多分普通。

 

考えなければならないのは大人全体だと思う。

教育に携わる人だってそうして育って来たのでしょうから。

私は先生に児童期を委ねようとは思わない。相手ができないことを求めないようにしようとおもってる。先生だってできないことがたくさんある。先生ががんばってくれていることにはかんしゃして、後は家庭で補うべきことだと思ってる。

 

今の時代でどうしたら人が豊かになれるのか。

それはそれぞれの家庭で考えるべき今のかだいなのだとおもう。

それを考えるおとながふえないかぎり、うつもへらないだろうし、自分を見失った犯罪も起き続けてしまうのだろうな。

 

そして小学生。

用があって学校に行ったとき、一年生の集団とすれ違った。

先生が、「さあ皆さん、挨拶をしましょう。」といったとどうじに

「こんにちは!」。

 

挨拶くらい自分が必要性を感じてして行く必要があるから、それぞれの責任に任せた方がいいなーって

、気づかせてもらったよ。それは小さいうちに知っておかないと多分大きくなってからまなぶにはじかんがかかりすぎる。

 

何人もの子らから聞いた先生授業参観以外は怒ってばっかりだから。

〇〇君はいつも先生の机の横に机を移されて、一番前で一人で座るの。

(小学校低学年までは、人は動物のようにひたすら動いて学んで行く生き物らしい。タイの村の子は本当によく動くので先生は授業の間に、猛ダッシュしたり大笑いするような遊びをたくさん入れててね、座って話を聞きなさーっていうほうがむりなんじゃないかと、いまはおもってるわたし。心身とともにうごかして、手も足も心も思う存分使ってそこからちゃんと学んでいけるとわたしはおもってます。)

 

こちらもしかたがないよね。先生が36人くらいを一人で見るのなんて到底無理。

たぶん、発達障害というより、まだ小さいが故に動物的にそわそわせざるを得ない身体を持ってる子もたくさんいるわけで、それを先生が言葉で止めるなんて無理。動きを妨げる子はおこってまとめるしかない。大人の権力が通じなくなった時に学級崩壊になるんだろうな。

でも先生がそうせざるを得ないわけもわかる。昔からそうだから。自分たちがそう育って来てるし、システム上の問題もかなり大きい。

こんなにいたら3人くらい大人がいてもいいと思う。そして、そもそもこんなに学習詰め込んでも私みたいに、結局最後までよくわからないし、楽しくないからうちでもやらないで大人になれちゃった人も多い。一斉に進めるって難しいことだよね。

でも授業しながら、大人のディスカスがたまにとんでも面白いかも。子どもたちもいろんな大人がいて考えがあって面白い、って思えるいい勉強だと思うしね。

おやがフォローするのも面白い気がするけど先生は自分の教え方があるからやりずらいよね。。

 

おもえば、大人たちが今、自分たちは幸せに働いてるか、って考えることないもんなあ。

仕事もプライベートと同じくらい、今日は昨日よりもっと楽しい日だといいなあって思いながら積み重ねて行く感覚、大人の中にあまりないんじゃないかな。

 

子どもたちは、おさない頃から、まいにちいつでもきょうみしんしん。そして楽しいことばかり見つけて、どんどんそれに向かって行く。

大人はそれにむかえてないのが現状なんじゃないかと感じてる。楽しいことに向かう芽を、つまれて来ておとなになったのだろうか。

 

先生がそんなだったら、きっと子どもたちは楽しいだろうな。

あ、その前の子どもを自分の職場で働く先生と同じように大事に見るところからだな。それが相手の尊厳を受け入れるということ。校長先生も子どもも人として同じレベルのはずだよね。

 

〜大人が自分にとっての 幸せ とは何かを常に考えること〜

 

そして先生が、自分がこうしたら幸せだってこと知ってたら、この子の幸せってなんだろうって考えるよね。(この時点で担任が一人ではそこを研究する時間が足らなくて回らない。)

そしたらコントロールはできなくなる。

 

そしたら、子どもたちも先生を大事にする。

大事にされれば大事にするもの。

 

そもそもそれが人としてありたい姿だと私は思うけど、それがなりたってるおとな社会がまれだよね。

 

それが成り立ってる村に行ってそんな風に育って行く子どもたちからたくさんのことを気づかせてもらった。個性はあれども大きくなって来て村の子の中に、人に対する気遣いがない子がいないことに驚いて、毎年行くようになったんだよね。

その意味を今少し、理解したように思う。

大事にされて来たから。一人の大人ではなく、ふくすうのおとなに。

 

でもまあ、自分が社会を今すぐかえられるような器のでかさもない。

だから目標は自分が自分としてより良くあること。

これからも自分が人を愛する力を育てて行くことで、自分からおふれるおもいと愛が溢れ続けて、それから何かをつたえらえると気がくるはずだと思いながら。

結局のところ、言葉では伝えらることは少ない。

そこにどれだけの思いと実績があるかだけ。日々生きてる中で、日常の暮らしの中でそれを実行できるか、ただそれだけなんだろうな。

 

〜何かを変えるのではなく粛々と自分が変わって行くこと〜

 

実績があればいちいち騒がなくても、伝わって行くものだと先輩を見ていておしえていただいたから。

 

きっとそうして園長も心屋仁之助さんもサンドットさんも、今があるんだよね。

大事なのは自分がどれだけそれをできているか。そして、今の未熟さを受けいれ、それにどう対処して、10年後にはどうありたいと願うか。

 

 

社会やだれかを変えるのではなく、自分が変わって行く。

そんな大きなものにぶつかって行く気もない私は、敬意を持ち会える関係が自分の周りからつくりあえたらいいな、って自分のことをするのみだなあって改めて気づかされる。

そして私もそれをしたいんだよね、ってひとが声をかけてくれたら一緒に成長し合う。

そんな子どものような日々であろうと思います。

 

うちの紫花豆で羊羹を作った大ちゃん。ほんとはあずきなんだけどうちにあるもので出来ないかと考えたらしい。当分は米飴と純黒糖をいくらか。

タイの石臼で潰してからミキサーへ。

またまた絶品!!

彼のセンスといい舌を持ってるんだろうな。

そえた梅ジュースは四年もの。

冷蔵庫に入れなくて平気か??って思ったんだけどお友達を真似てやってみました。ここまで来たらお砂糖の毒性はだいぶいいかと。絶品おやつセットでした。

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