日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

食事療法。

そんなわけで2年半前から我が家の食生活は変わりました。

 

発芽玄米ご飯、漬物、おつゆ。

基本はこの三つに煮物やサラダが加わります。

ベジタリアンではないので時々お肉やお魚、卵も加わります。

 

調味料は醤油、塩、酢、お味噌。時々自家製塩麹、ひしお、梅酢、あぶら。

 

そうしてみたら4歳のこゆはお肉を食べなくなりました。お肉の匂いが嫌い、というのです。

当たり前のように食べさせてきたけれど、これはこゆにとってひつようにないものなのだろうと、おみっています。お肉のものを食べるときはこゆはおにくをのぞいてたべています。

 

必要な栄養だから、とあたまえでかんがえてきたけど、どうやらそうじゃないみたいです。

自分のそばで取れるものを中心に出してきたらその中に必要なものが入ってるみたいです。

野菜、米、時々果物。あ、お魚は食べます。

 

逆に大ちゃんは時々お肉を食べたい、といいます。

お肉は取れないのであまり出してなかったのですけど、自分から食べたいというようになり、スーパーにもいかないので本当に時々しか出していなかったらこの春、ちょっと貧血ぎみに。去年はそれでよかったようなのです。でも今年は9歳。彼の成長に必要だったということでしょう。最近はお肉やお魚をもう少し食卓に並べています。

タイで平飼いじゃない卵を食べすぎてアレルギー数値、あがっちゃったので、もうじきにわとりかうので、卵を食べられるようになってほしいな。品質の悪いものを食べさせるくらいなら違うものを食べた方がいい、それを知った貴重な経験。

 

大人はこどもたちにあわせてだしたものをなんとなく食べてます。それでいいみたい。

 

昨日、イベントがあったことや、先週の旅行で、小麦粉やお砂糖を取りすぎてしまい、こゆのからだに発疹が出てます。困ったねえ。。

でもこれをきっかけにこゆは自分でこうしたらこうなる、っていうのを積み重ねて自分で食べ方をきめてゆくのだろうとおもいます。今日はしちゃったけど、これからは出ちゃったものに対してため息つきまくるのはやめようと猛反省中です。すこし、こちらでも気をつけつつ、そろそろ自分の経験も大事なお年頃になってきているから責めるんじゃない、わたしの気持ちが伝わればそれだけでいいのだから。

 

でもシンプルな食事にしたことで、いつもと違うことすると、どんな変化が起こるかわかりやすくなった。

食事の支度が簡単。冷蔵庫いらない。

 

その相乗効果でどうしたら生活や家事がシンプルになるかを身体で持って考えられるようになりました。

頭で考えても答えが出ないことってたくさんあるんです。わたしの場合特にそう。

 

削ぎ落とすということをホームドクターに教えていただいたら、思考まですっきりしてきた。身体にたまった余計なものを削ぎ落とす=身体が軽くなって動けるようになる=ドロドロの血がすっきり流れ始める、ようなのです。実感としてですが。

 

どうしても答え出なくて、もういいやーって口にしていたら、数晩ねると自然に答えが出ていたりします。身体が勝手に答えを出してくれてる感覚でした。

 

そういうことが多々あって、わたしはもう一度自分を整理してみました。

自分がわたしとしてどうここに在りたいのか。

 

そうしてみたら、2年前まで、育ちの関係で何かが起こると自分がわるいから仕方ない、ってかんがえにおちいっていたんだけれども、そうじゃないって気づいて。わたしは愛を持って誠意を持って日々をつみ重ねていて、経験値の低さからくる自分の未熟さはあるけれど、今は自分に嘘をついて生きていないって思ったのです。そう気づいたら、それでいい、って思えて。自分に対しても相手に対しても愛と誠意と優しさを持って、今の自分のできるマックスを使った。それならば、そこをうまく切り抜けられなくても仕方なかったよね。いや、十分やったよね。それでもう少し、うまいこと対応できるようになりたいと思えばそれも学びなのだと。

 

わたしの冷え性が一昨年、去年、今年、とあきらかによくなってきています。

それは身体の血が流れるようになったこと、緊張が緩み毛細血管を通って心まで血が流れてくるようになったこと。

食事も、ふんどしパンツも、ごしんじょうも、レメディも、みんなの愛を受け取れるようになったことで変わった心の持ち方も、すべて全てのおかげなのだと思います。

 

思考や行動がうまくいかない気がする、緊張が抜けない、ってことが続くと、家族にお願いしてわたしは今日は寝てる日!を設けたり、夜だけでなく、まいあさおふろにはいります。お風呂でひたすら身体をマッサージする。それが私の身体のいたわり方で、自分の身体を休めてあげる、ことに集中して色々考えるのをやめられる方に持っていきます。これからはここに畑仕事が入るのでしょう。

 

そうするとなんとなくまたあったかいちがかよいはじめるんです。

そうしたらふわっとした気持ちになって、今まで考えてたこともどうでも良くなって、自分の優しい気持ちとか愛とか誠意とかを、思い出す。というか身体から出てくるのを感じる。

 

こうした時間を、今までは

旦那が忙しすぎるから!!子どもが小さいから!!

って人のせいにしてきたけど、自分の思考を変えるだけでできてしまうことも今は知っています。

 

昔の自分に言ってあげたいです。

身体をいたわれば、自然に自分を愛せるようになるよ、と。

身体をいたわれば、本当に自分がどうしたらいいのか、自然と見えてくるはずだよ、と。

申し訳ないって思い込んで黙ってないで、やさしい気持ちで旦那さんに伝えたらきっとそうできる時間を得ることができたはずだよ。

家事を投げ捨てる覚悟決めたら子どもたちのすいみんじかんつかって、1日1時間だけでも確保できたはずだよ、と。

 

人のせいにする思考はどこから生まれたんだろうな。

両親の癖からひきついだものがおおきいのもしれません。

それを今やっと手放せてきた。

 

物事は自分が起こしてる。

それが嫌だと思うなら手放すことができる。

いろんなことが起こるけど自分で自分を愛せることだけしていこうと思ってます。

自分が嫌だと思うことはしない。

もう自分を裏切りたくない。

そうおもうから。

 

食事療法、マクロがいいとか、原始人がいいとか、発酵食がいいとか、じゃないなあって思います。一つだけ言えるのは情報はおいすぎるとよくないらしい、ってことだけ。精神衛生上、良くない。

 

知り合いの方が、甘酒を毎日飲んでたとおもったら、おすをのみはじめ、そうしたと思ったら、今度は玄米食を始めた。そうしてサプリもたくさん飲んでいてね、大変だなあって感じてます。健康食と言われるものを増やすより、食事量も含めて、取り入れるものを減らしていく方がからだはらくになるのだとおもいます。それから足したいものを足したら変化がわかって面白いだろうなあ。

 

今、自分で身体のここをよくするにはどうしたらいいか、考えるようになりました。

自分の身体と自分でむきあうれんしゅうしてます。

治療を受けることも、自分で決めて生活習慣を変えて治るのを待つことも、結果は変わらないのかもしれないし、よくなるかもしれないし、悪くなることもある。

どれを選んでも同じなのかもしれない気がしています。

 

ならば自分がしたいようにしてからだと向き合っていこう、そう思う今日この頃。

私自身が怪我して痛くても病院行かないことがあるのは、そうして身体がどうなるかを自分で知りたいから、という好奇心。こないだの指の骨折(だろうと思います)は半年かけて自力回復してくれました。身体ってすごい。家族の時は本人の希望も聴きながら対応して生きたいなと思います。まずは自分の身体で実験できてよかった。

 

私の場合は食事療法バンザイでした、笑。

身体か楽になれば生き方が変わって行く。そんな話、聞いたことなかったよ。

 

心も身体もいぜんよりはずっと軽い!

でもまだ抜け切れてない分はゆっくりお付き合いしていくしかないからね、よろしくね、わたし。家族に、友人に、先生方に、感謝です。