我が子に寄り添うということ。

大ちゃん9歳。

近頃の彼は大好きなことを自分で形にして行く。

もちろん誰かの手を借りながら。

 

昨日、通ってる幼稚園でリサイクルバザーがあって、お小遣いを持って出かけた。

私もみにいってみると、彼の手にしていたのは、ベトナムと日本を行き来するお友達のお母さんが持ってきてくれたライスペーパーとシナモン。そして小さな小さなミルクパン。

 

おもわず笑った。ああ、本当に料理が好きなんだなあと。

ミルクパンはバターをとかしやすいどこぞのブランドものだそうで、いいものだそうな。

可愛がってくださる方に、とメモを添えてくれた出品者の方の想いの通りに、可愛がってくれる息子の手に届いた。いつかこれをバックパックに入れて一人で旅に出るのだろうか。そんな思いを馳せながら。。

 

先日のリサイクルでも、圧力鍋のスープレシピが欲しいから50円、貸して欲しい、って頼まれたっけ。

 

小さな頃から好きなことにしっかりのめり込めること。

これって大事な人生の積み重ねの時間。昔の子どもたちがどうか走らないけど、近頃のお子さんとせっしてるとその時間は少なそう、ちょっぴりそう、思います。

 

今日は私の誕生日パーティーをしてくれるということで、昨日は張り切って買い出し。

買い出しは一人で行きたくないから付き合って、というので、ちょっぴり重い腰を上げてお付き合いする。ここは寄り添うところだな、と自分に言い聞かせながら。

 

我が子に寄り添うということ。

近頃、めっきりわざわざ外に出かけて自分のやりたいことにかける時間が減った。

そうしたいとおもわなくなった。

 

多分五年前くらいまではそうしていたのだけれど。

なぜかというと、今大切なことを自分に問いかける習慣がついたから。

 

子供達の、いま遊びたいという気持ちを削いでまで、街に出かけ勉強会に出たり、買い物に行ったり、自分の趣味探しをしたりすることがなくなった。

ちいさな子どもたちをたしなめてまで、今、するようなことでもないし、この子たちとともに暮らす今のおおくを、子供に付き合ってる、って思うんじゃなく、私が自分の時間に変えて行きたいと思ったから。

 

今という時間、こどもたちといることに腰を据えたいと思ったから。

 

それを気づかせてくれた先輩家族たちを見よう見まねで始めて、試行錯誤で実行してみること五年。いろんなことがありました。

あーもう、自分の時間が欲しい!!

 

そのたびに自分が今どう暮らしたいのか、自分に問い続けました。

今しかない我が子との時間、この人たちにとって4歳のこの時間は今しかない、これを私とやりたいこの時間も今しかないのだと。毎日同じことに付き合ってると思ってきたこのことも、そうおもいながらお付き合いするうちに、ふっと、我が子自身にとっては昨日と違う喜びに溢れてるんじゃないだろうかと気づかせてもらった。

そうしたら同じことの繰り返し、じゃないんだっておもい、日々の積み重ねの大切さがふに落ちて行きました。

 

彼らが私と一緒にいたい、やりたい、私にみていて欲しい。これらの欲求をできる限り満たすこと、これね、私が子供の頃、叶えてもらえなかった思いだったんですよね。

専業主婦だった母、一緒にいてくれたはずなのに、残念ながら、私が思う愛をほぼもらえなかったと思うわけは、きっと、母の気持ちがまっすぐと私に向いていなかったから。母との関係は大きくなるにつれ全くずれて行き、修正がまったくきかなくなりました。

子どもの話を聞くちからを、私たちが小さな頃から積み重ねる練習をしてこなかった母は、私たちが思春期を迎えると自分の権力で動かすことが不可能になった、という結果だったのだろうと、今考えると思います。子ども、だった私は母を悲しませないようにいつまでもしてきたけれど、母に本音を言うことは一度もなかったのです。もちろんこれも母の育てられ方、母なりに精一杯私たち兄弟と接してきたことですから、仕方がなかったことなんですけれどもね。

 

私が、四年前衝撃的な経験をして以来、そう言う自分の育ちを何年もかけて振り返り整理して子どもたちとどう向き合うか、今も考えこうどうにつなげていっています。

 

寄り添うって、何かを与え続けることだけではないんだって最近気づきました。悲しい時にそばにいること、見て、って言われた時にちゃんとみること、読んでって言われた時に読んであげること。これはなんとなく、与えていると言う表現もできるかなって思ってこの言葉を拝借したのですが、例えば、今日のように、幼稚園に今日は一緒に来て、といわれて、一緒に行ったけど、着いた途端大好きなお友達と二人で遊んでる。二人でいいから、といわれはなれていくこゆをみおくり、そうじをしていました。でもね、だから明日は私が一緒に通わなくていいか、って言うとそうではなくて、常に一緒じゃなくても、一緒に通って来て欲しい、って思いを受け止め、とりあえず一緒の空間で1日を過ごす。そういったさじ加減を調整して行くことも寄り添うということなんだってふっと気づいたのです。

 

一緒に通いたいっていうから、ずっとそばにいたらいいのかっておもってたけど、こゆが集中して遊んでる時間にこえをかけてしまうのは邪魔してることになり、寄り添うことにはならないし、でも途中でお店やさんやってるからきて、ということにちゃんとからだをむけるとか、ふっと彼女が不安になってることを察してそばに身を置くとか、そのさじ加減が出来た時に、見守れてる、よりそえてるってことになるのだと思うのです。

 

これって難しくてね。ただ一緒に暮らしてて、彼らが本読んで、って言語化してくれることだけを聞いてるだけではできるようにはならなくて。だから、今でも私は、大ちゃんとこゆとのかんけいは成長途中。常に成長し続ける彼らに寄り添える母になるためにはいつまでも積み重ね続けるしかないんだと思うのです。

 

そばにいるだけではなく、やっぱりこころをいれて、向き合っていく、その積み重ね。

四年前までの私は実いつだって、自分がこう考えてる、こうしてる、「自分が自分が、」って自分の思いの上から子どもたちをみていたから、彼らの真意を見つめることができなかったのだと思います。

 

最近お友達ママが、彼女の子どもの行為がなんだかよくわからない、って話してくれたことで、いま、私と子どもたちの関係の中にそういう不安定さがなくなってることに気づきました。

 

いろーんなことがあるけど、わからなくなる前に、ここで自分が気づく努力をするために、しっかりこのこにこころをむけてみよう、ってしてみると、今ここでこういう行為になっていった理由がゆっくりと想像できる、見えていくことが経験としてわかったのです。

少し大きくなった大ちゃんは時々言葉で答えたりもしてくれます(大人でも言葉にすることって難しいことがあることを忘れずに、きくようにしています。)。

 

少しは寄り添えるようになったのかもしれない、とふっと自分の成長を感じました。

 

今はね、いろんなことがあるけど、この子との関係の基礎を感じるのです。私が寄り添うのをやめたらもろくも崩れて行くだろう信頼関係の基礎。でも、私は、この基礎がある心地よさを今、しっかりと感じているので寄り添い続けたいと思うしこれからもそうあると思います。この子を信じられるって気持ち、守っていこうという気持ち。

 

この言葉で表現しきれない安定感のある土台は我が子との小さなうちからの積み重ね、いつも先にいる素敵な先輩家族の中にあったものはこれなのだろうと、自分がそこに気づいて知りました。

 

私の大好きな先輩家族は毎日ふとその人を見ると、家族の誰かがそばに来て一緒におべんと食べたりおしゃべりしたりしているんです。子どもさんも思春期なのに、友達がそばにいるのに、ちゃんと家族でいることがしぜん。

 

我が子に寄り添う、旦那さんに寄り添う。自分にも寄り添う。

家族同士寄り添う関係がこんなにも心地いいってこと、私は知らなかったから、昔、毎日家に帰りたくなかったんだな。親といるのが恥ずかしかったんだな。

 

母として成長に合わせて我が子との関わるさじ加減を考えて行くことは、小さいうちからの関係の積み重ね。もちろんこれからも大ちゃんとのこの調整は続くけど、一人目ちゃんだけで必死だった頃から少し成長できた今、今度はこゆにも全力で向けていこう、そう思います。

 

きっと10歳までに出来た関係がこれからの全ての基礎だと思うのです。

もちろん今でもしっかり気持ちいい関係をかんじさせてもらってるけど、こゆが私のために、頑張ってくれてるのかもしれない。それじゃ負担の針がいつかは振り切れちゃうからね。真剣に寄り添っていく努力をしようと思います。こゆが10歳になった時に、ああ、この関係は不動だな、そう思えるような日を迎えたいから。そしてね、子どもの頃も楽しかったな、私や旦那さんと暮らせてよかったなって思いながら生きていってもらいたいから。

 

いつだって明日は何があるかわからないし、私や私の母が小さな頃から感じて来た涙が出るほどの悲しさ、くるしみをこの子たちの代に伝えていきたくないから。

 

今、我が子にとって私たちができることを真剣に考え積み重ねて行く。寄り添って行く。

彼らが幸せに生きようとする足どりはかけがえのないもの、未来の希望だから。

 

大ちゃんの作るご飯。

野草も料理できるし、レシピみてなんでも作る。

センスもいい。

よく個性を、長所を伸ばそう、っていうけれど、これも経験の積み重ね。

子どもが自ら好きを極める時間を見守っていくことのかけがえのなさを感じています。

そういう気づきをくれてありがとう、美味しいご飯にフリーな時間といういくつものプレゼントをもらいながら思います。

私も母として成長して行くからね。

ぐんぐん成長して行く大ちゃん、見失ったら、守ることができなくなるから必死で追いかけて行く日々。その中に私の成長があるのだと思います。

 

子どもたちと過ごす日々は自然の中のように同じ日々はありません。どんどん世界の広がるこどもたち、私の小さな心を変えて行く(しかない笑笑。)日々、人生を豊かにしてくれる子どもたちに心から感謝をして。

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