わたしが勝手に受け取ったと思い込んでる自然からのメッセージ、笑。
自然の中の暮らしでいただいたもの。
①私が裸足で暮らすわけ。
札幌で簾舞に暮らしを変えてからもそうですが、ここ、サハイナンで暮らしている間、私はほとんどいつも裸足で暮らしています。
なぜかというと気持ちがいいから。
裸足でいるとね、地面の凸凹に合わせて身体が姿勢を変えてくれるのです。わたしに経験による感覚ではありますが、動物の身体はそうできてるんじゃないかなって思っています。
微妙な傾斜に身体があしのうらから完治して、対応してくれてるみたいなのです。
だからね、はだしであるくほうがあるきやすい。
身体中が歩くたびにマッサージするようにゆるんでゆく。
軽くなって行く。
毎朝、ヨガをするように身体を動かす体操をはじめたら、腰痛も、肩こりもさらによくなりました。
そうしてね、全身を血が巡るようになったみたい。
冷え性がよねんまえよりはるかによくなり、体力がつき、今のわたし、ほとんどイライラしなくなりました。子どもたちがお互いに大好きすぎてはじめた喧嘩が長すぎる時くらいかなー。自分がイライラしはじめると、自分の中で調整を始める余裕があることも多く、これはつたえてもいいよね、ってわたしがそれを嫌だって思うわけを伝えるようになった。頭ごなしに怒るのではなく、伝えたいことを伝えられることが増えたんですよね。
身体の中の血液が巡るようになった変化は大きくて、時折昔の自分を思い出し、自分の穏やかさにびっくりしています。いろんなことがおだやかにうけいれられうけながされてゆくようになりました。
人のことに対して自分が判断下してイライラすることもなくなり、落ち込むこともなくなり、あなたが決めたんならいいんじゃない??っておもったり、目の前で誰かがしたことにたいして、わたしは好きじゃないっておもっても、その時を過ぎればもうすぎたことだし、いっかーっておもう。それか、あんまり関わらなければいいよねーって自分に伝えて自分の気持ちに負担が生じないようにする。相手と自分の感覚は違うからね、必要な時は言葉で伝えるけど、別に伝える必要もないこともある。わたしが受け入れ方を整理すればいいだけだもんね。
だから今年はいろんなことが、淡々とすぎたり、ああ、こんな経験したけど受け流せてよかったよねーって思ったり、こころがかるいぶん、残る思いが楽しかったーってなってる。
これってすごいこと。
あまり動じない自分がうれしい。
これね、裸足だけではないけど、裸足の効用だと思う!
この話をここに来てくれたにほんじん、コースケくんにしていたら、隣にいただいちゃん、「足は第二の心臓だもんね!」といい合いの手を入れてくれた。
本当にね、第二の心臓だと思います。
②じぶんではどうしようもないことを受け入れる力。
時間がかかることを焦らず受け入れる力。
が、以前よりずっとついた。
雨が降ったら止むまで、畑仕事の手を止めて、洗濯がなかなか乾かないこともそのまま受け入れて待つしかない。
困った人に出逢ったら、うまくかわして受け流してその時間が過ぎるのを待つしかない。サンドットさんがここでの滞在者さんで困った人がいて話しても相手が理解できない時、それ以上その人に言及しない。そして状況が読めるようになった私たちがどうしてこの行為になっちゃうんだろうねー?とたづねるとわたしにいつもこう話してくれる。
あの人はa lot of questions だよね。
もちろん、共同生活の場なので困ることはつたえる。けれどもつたわらないとはんだんしたら、戦うことはしない。もう仕方ないよね、と受け流す。そしてそう遠くない彼らがここを去る日を待つ。
その方が楽なのでわたしもそうする。そっと離れてそ受け流すしかないから。それがすぎて行くのを待つしかないから。
困ったことに出逢ったら、ゆっくり焦らずに自分がどう動いて行こうか、考えるしかない。
脱穀機がソーラーで動かなかった。収穫したお米を脱穀するためにクラウドファンディングまでして集めたお金で買った大切な機械。人の手を借りても動く手立てが見つからなかった。サンドットさんは時間をかけて諦めずにたくさんの方法を考え出して、見事に、本当に見事に3週間かかって機会は動いた。買ったばかりの機械を一つずつ分解して、モーターを動かすゴムの力がもう少し緩くなるよう、ゴムの初期作動を手伝ったり、バッテリーやインバータをかえたり、本当にいろんな経験を駆使して機会に手を加えた。そして最終的にモーターの動きを助ける小さな道具をつけ、スイッチを機械でオンにするのではなく、ソーラーのスイッチをいじることで動作時のエネルギー必要量を減らすことで見事にサンドットさんは機械をうごかした。
焦らず、諦めず、受け入れる。そうして状況を変えて行く。
サンドットさんが自然の中で暮らすことで身につけてきたことなんだろうな。それを身をもって伝えてくれた。そのことがわたしの中に染み渡り今がある。
コンビニがない、今すぐ解決することばかりではない暮らしの中でついた受け入れる力がわたしに大方のことは受け流す力を与えてくれた。答えはすぐに出す必要がないことも。
だからおおかたのことはせめることも、責められることも必要がないことだと考えてる。
その方が誰にとってもいい、おだやかな日々。
もうしかたないもん、いいよね。ってヘラヘラしていられる自分に今は少しなれた気がする。
③野宿バンザイ。
雨の音、虫の音、風の音。カエルの合唱。
どんなに大きくてもうるさくない。耳に触らない。全くうるさくないから爆睡する。
木々の緑、日の光。月明かり、新月のくらさ。
どんなに明るくても睡眠を妨げない。暗くても虫の音が心に寄り添う。
体感温度の暑さ、寒さ。水シャワーの熱さ、寒さ。
覚悟を決めて浴びる冷たいシャワーの後は身体が一気に体温を上げてくれる。からだのしんぴ。
真昼間のシャワーは直射日光でホースを水が通るあいだにお湯を作り上げる。地球の神秘に感動する。
気温が高ければ身体は体温を下げる方法を探し、水を飲み、果物を食べる。低ければ、温かいものを欲する。自然の中で暮らす掟があり身体は自然にそれに従う。
従わなければここではいきてゆけないから。
夜中は副交感神経が優位になると同時に蚊に刺されたとこが痒くなる。
カンジタアレルギーのわたしは食べたものにより、かゆみが出る。
だから蚊やカンジタを引き寄せる糖分は控える。
ストレスにより糖分を多量に摂取してきた時間の長いわたしは、ホームドクターのおっしゃるように、カンジタによるかゆみがすぐに引かないことにどうしたものかなあと思ってました。
甘いものをやめて2年、ケーキもクッキーも和菓子も、果物も相当減りました。けれどもご飯を少し多く食べただけでカンジタアレルギーがでてかゆみとなってしまうのです。
親からのストレス、という状況を食べることに支えてきてもらったわたしには、糖分、食事量のコントロールも簡単ではなく、食事を変えるということは清水の舞台から飛び降りるように大変な時間でした。自分が変われる時を待ち、じわじわと変わって行くしかすべのなかった自分。
野宿によって身体が生き延びる術をはっきしてくれてるとしか言いようがなく、たくさんの泉からひいた水、ハーブと食物繊維を含んだ食事、身体と頭がが糖分を取りたくないというほうこうにはたらく力。もちろん、生き延びるために糖分を欲する力もあります。でも今日はこれを食べたくないっていう感覚に自然に添えるようになってきたことはおおきい。
あれほど毎日続いていた身体に出るかゆみを忘れられることがふえてきたから。
ここで生き延びるために身体が変わろうとしてくれている。
野宿は身体の力により、身体が最大限に自分を変えてくれるのかもしれないって思っています。
アレルギー症状となってしまったのですぐにはかわれない。それをとても実感しています。
けれども頭のコントロールでは解決し得ないことを、生き延びる力が解決しようとしてくれています。
身体が緩んだことで心が緩み、どうしようもならないんじゃないかって思ってきた自分の心の持ち方が変わっていっています。
便利な暮らしに慣れてしまったわたしには過酷だと思えた暮らしが(結構楽しんでこれたので実際は過酷ではなかったけど。)、積み重ねてみて感じることは、便利と快適さから離れた暮らしが結構心地よかったってこと。
生きることが楽になりました。
旦那さんに毎日楽しいねえ、ありがとうって言えることは私にとっては奇跡なこと。
9歳になった大ちゃんを膝の上で抱きしめて、お尻の骨が当たって痛いんですけど、とわざと文句を言いつつ、それでも可愛いねえ、うちの子になってくれてありがとう。こんなかあちゃんを受け入れてだいじにしてくれてありがとうっていえること。
こゆはこの半年ほど日に日に怒りで表現することが増えていたけれど、3週間くらい前に、こうして表現することに何かの意味があるのかもしれないって気づいてから、こゆをだきしめるたびに、生まれて来てくれた日は大変で生きて欲しいって思って来たのに、こゆが怒るだけで怒り返してごめんねえ。怒ってても大好きなのにね、泣いてても、笑ってても大好きなのにね。一緒にギュってするとぴったりとパズルのようにはまるし、こんなにかわいいのにねえーって言い始めたら、私が自分でもハッとするくらいにこゆのかわいさをみにしみて感じるようになって、本当に可愛いのにねえ。生まれて来てくれた日よりもいつでも今が可愛くてたまらないことに気がついて、こゆがぎゅっと膝に来るようになったから最近は癖になっていつでもこんなことを言うようになってました。
それと同時に怒りで表現するしかないこゆが一番辛いよねって気づいてハッとして。こゆの怒りに便乗することが一気に減った。
時の流れの中で、家族それぞれが変わり始めたのだとおもいます。ここ三日くらい、こゆの怒りが緩んで来たのを急に感じて、嬉しくなってるのはもちろんわたしです。
彼女の日々が少しでも楽になって行くのだろうか、と。
彼女がわたしのカンジタアレルギーをひきついでしまったために、たくさんのアレルギーを持ってることがわかり、アレルギー反応による体の心地悪さからくるイライラかもしれないって、わたしが気づいたことで彼女を理解する新しい方法を見つけられました。
食事を変え、気づきが得られたことで関わりかたが変わった。
わたしに抱きついて来てくれる感じから彼女との関係がまたいい方向に向かってるんだろうなって感じています。
わたしもだけど、こゆのアレルギーへの対応もここでの暮らしの中では正直、大変な時もあります。
けれども、それを踏まえても、このアレルギーが気づかせてくれたことによる彼女へのわたしの心のあり方、行動は必要な変化であり、大切なことだと感じています。身体が教えてくれることってすごいですね。
で、話を元に戻さねば。
こうしてこゆのアレルギーをかわいそうという形ではなく、こゆがもっとらくになるようにするために神様がくれたものなんだよーって、わたしが受け入れられるようになったことも、旦那さんへの日々の感謝も、大ちゃんを9歳になっても可愛いねえ、って小さな頃のように抱きしめられるのも、自然がわたしの心を緩めてくれたからなんですよね。
野宿もいいけど、北海道は寒いから家と薪ストーブがあるだけでありがたい。
家族が日々を楽しんでくれてることがありがたい。
自分が毎日を否定せずに暮らせるからありがたい。
たくさんのことを自然から教えてもらっています。
自然から教えてもらうことは身体に染み入って感じることであって言葉ではない。
言葉が一つのツールにすぎないのだとしたら、英語を話すのが苦手でもいいよね。
最近は、それを知ってますますここでの言葉の壁もどうでもよくなりつつあり。。
いつか話せたらそれもいいよね。
どっちでもいいから、今は今で幸せなんだわ、きっと。
きっと全てはなんでもいいの、今が穏やかなら。
出会った人が別れ際にわたしに、気遣ってくれてありがとうって言ってくれる。
あなたたち家族、大好きだよ。ビューティフルファミリーって何人もの仲間が最後に声をかけてくれる。
自分から溢れるものが少しは優しいものになったかな。
みんなからの言葉がわたしをもっと優しく心地よくしてくれます。
全てはみんなからいただいたもの、ただそれだけなんだよね、きっと。
わたしの気持ちを受け取ってくれてありがとう。
子どもたちが作った蒸しケーキ。
材料はバナナ味が米粉、塩、バナナ、ベーキングパウダー、エゴマ。さつまいも味が米粉、塩、さつまいも、ベーキングパウダー、エゴマ。
二人でこねこね。
順序が狂いましたがこちら最後の工程。1時間蒸します。
キメがでたよ。
わお、ふわふわ。
ここにあるもので必要なものを作るということに慣れたからあえて買いに行くこともしません。今日は米粉もバナナもさつまいももあることがありがたい。
チョコ味にすることもないよね。ランク上げてクッキーにすることもないよね。
あるものでできることをやったらいい。そんな気持ちが心の余裕につながっていくのだと思います。
今日はいつもよりもっとおおく幸せがあった。当たり前じゃないから嬉しいことだよね。
美味しいね。うれしいね。を一緒に味わえることも幸せだよね。ケーキがもたらしたたくさんの幸せ。
私であることにバンザイ!
日本語の授業をしようと何度も試しながら引き受けています。
そうして私たちの経験から学んだこと。
身体を動かすことの得意なかれらの集中時間は差ほど長くない。
ならば教えようと思うより、自分たちが楽しめることを日本語を使ってやってみよう。
楽しければきっと一つくらい彼らの心に残るだろう、と。
そうおもい今年は日本語で交流、ついでに自分たちがタイ語を習おうという方針に転換。
先生が動物の名前を教えて、ってきっかけをくれたので、だんなさん、絵を描いて、タイ語と日本語を並べます。
上も犬。下は犬。
でも致命的な問題が。私も旦那さんも画才がない!全くない!!
上の絵は旦那さん作。
子どもたちが猫だって答えます。
なのでもう猫ということにして旦那さんは私に絵を描くよう頼みました。
う、うん、かいてみる。犬ね、犬!
ど、どう?
旦那さん、私が書き始めた時点で諦めて野良犬を捕まえに行った。
でも子供達、私の絵を見て、犬!って言ってくれたのにね、それをしらないだんなさん、ひっしに野良犬を捕まえて教室にかえってきた。
それで第一弾、大爆笑!
続いてその野良犬がかなり臭かったらしく、犬、臭い!って叫んだ後、黒板に犬、臭いってタイ語と、日本語で書き始めたの、、、、。。
男子の心をがっつり掴んで大爆笑!
何教えてんだ?って男子が犬、くさい!を日本語で連発。
でもおもったよ。
これ、スーパーいい授業じゃないか!楽しいもん。
くさいをあまり使わなかろうがいいよね、この人の話は面白いって思えばこれからもみんな聞いてくれるもん。
犬が出てきた時点で、私たち、一つの疑問を思い出す。
タイ語で「いぬと馬がきます」ってなんていうか知っていますか?
私たちにはびっくりの「マー マー マー」!?!?!?!?!?!?!?
微妙な上がり下がりなのでみんな同じに聞こえるんです。
犬が出た瞬間にこれをみんなに教えてもらおう、ということに(私たち夫婦の間で)きまった。
犬、猫、くる、の言葉を並べて、あとはひたすらこどもたちにはつおんをならう。
日本人3人、フィンランド人一人。
一人ずつ、旦那さんから当てられて子どもたちに習った通り、マー マー マー!と繰り返す。
私たちの発音に子どもたちから指導がはいる。
その度になんか変、とどこかから爆笑。
爆笑の絶えない40分。
どうにか私たち、マーマーマーを言えるようになった?かな。。
そして、子どもたちの中で私たちの日本語でのやり取りを楽しんでもらえたみたいだし、お互いに楽しく国際交流ゆうというもくてきをはたしたよね。
続いて私の思いつきで、絵の暮らす。
娘の幼稚園でやったスクラッチをやることにしました。
アクリル絵の具だけ日本から持参。クレヨンは現地で調達です。
クレヨンの上に絵の具で塗りつぶして、けずるんだよ。
タイ語の話せない私は実技だけしながら、日本語で説明する。
んでみんなわかってくれて始めます。
彼らの実技の集中力はすごい。
思った以上に楽しんでくれて私が嬉しかった。
私の見本はかなり貧相なものだったのに、彼らの手にかかったらこんな作品に仕上がった。
ブラボー!!
下に塗ったクレヨンづかいもさることながら、私自作のたけのスティックでこんなに繊細にはっきりと描いてくれて、自分の想像をこんなに越えることがあるんだって改めて知りました。
本当にね、今まで意識の面で気づいていなかったことにたくさん気づかせてもらいました。
すごい!
スクラッチの上は黒く塗るもんだと思ってた。
けれども彼らは筆を指で弾き、銀河系を描くようにえのぐをかさね、スクラッチを施した。
鮮やかな才能に、その人の素晴らしさにただただ驚いた。
息子の作品も素晴らしかった。銀河系に月を描いた上にスクラッチ。
天才かもしれない、笑。
ついでにもう一つ。9歳男子。結構ハートも好きらしい。かわいいやつ。笑。
Aちゃんが教えてくれた、人には表面からは見えない才能がある。
ということ。
これは絵だけではなく、生きる上で全てのことにおいてなのだろうとハッとしました。
優しさも、謙虚さも勇気も、積極さも。絵の才能も、感覚の才能も。
そんな思いで、決めつけずにピュアな心で誰かと関わっていきたいな。
そんな大人になりたいな。
今まで思い込みや常識という決めつけで生きてくる時間の長かった私にくれた神様からのメッセージなのだと思います。
今年のここでの時間は、自分の思い込みの殻を破る作業がたくさんありました。
これからもそうあると思います。
誰かに対する思い込みをなくして生きていけたら素敵だな。
奢ることもさげすむこともなく、のほほんと穏やかな心で日々を過ごしたいから。
言葉で理解できない暮らしの中で得られたこと。
タイ語がなかなかできなくてよかった。
英語がなかなかうまくならなくてよかった。
私にこんな感性があることがわかったから。
そうして自分のなりたい人間像がまた見えたから。
こんな自分でよかった、っていうことだよね、きっと。
私であることに、バンザイ。
今を受け入れられるようになるつつある日々。多分その2。
旦那さんがバンコクに行きたい用があるっていう。
え、私たち、3人、英語もままならないのにおいて行くの?
と一瞬思い、
どうしていいかわかんないから行きたいのはわかるけど、どうしたらいいかね?と蓋をして2週間。そろそろ申し込みが、、、っていうから、母子3人で安全は確保されてるけど心が大丈夫かイマイチわかんないけど、どうしていいか答えが出ないから申し込んだらー?といい、出発日になっちゃった。
基本的に家族のやりたい方向性に、ストップかけたことはない気がする。
やりたいもんはやりたいしね、やるなら本気でねーとだけいい、今回も旦那さん、楽しそうにバンコクに行っちゃった、笑。
さてさてここに残ってサンドットさんとふたりの滞在者と私たち6人で過ごす予定が、急にサンドットさん、腰が痛いのなおんないから水曜あたりチェンマイまで病院に行って来るわーっていう。けれどもその予定もあっさり夕方には変わり、その日の夕方に急におにいさんよんでうんてんしてもらって、いっちゃった。
まあ、この腰痛で相当辛そうだったし仕方ないよね、って送り出す笑。
大方のことは驚かなくなったし、揺れなくなったなあ、とそんな自分が嬉しい。相手を受け入れられるから穏やかでいられるということがなによりうれしい。
そうそう、出発直前、key in the carをしちゃったから神様にナムナムするしかないって笑いながら3人で楽しそうに話し込んでるサンドットさんたち。
1時間くらい過ぎたとこで誰かがきて手伝って開けてくれて、出発してった。
おこったことを受け入れてしょうがないねーって今を受け入れて楽しむ、すごいなあとまた学びました。わたしもこうありたい。日々焦らず、楽しむこと。
んで、残った滞在者ふたり。一人はアメリカンの丁寧にコミュニケーション取ってくれる男性。わたしの英語力のなさにも呆れず、goodテクノロジーを使って翻訳してくれたり、丁寧に理解してくれようとしてくれる。
日々色んなことがあったけどコミュニケーション取りながらともに暮らした時間。食事は任せて、畑はよろしくね、と。時折子どもたちが彼のところに行っては、何やらゲラゲラ笑う声が聞こえてきてました。異文化交流、日本人よりリアクションが大きくて子どもたちのツボにはまったようで、彼の話すことすべてが面白いらしい。それに答えてくれる彼。子供達の嬉しそうな声の響くシエスタはいつも幸せを感じる時間でした。
共に過ごした時間があまりにもありがたくてあなたがいてくれてよかった。いつも気遣ってくれて、子供達もとっても楽しく過ごせてる。ほんとうにありがとう。って伝えたらおいかけてきてくれて、英語で伝えてくれるもわからず。goodテクノロジーでほんやくして、「私とコミュニケーション取ってくれてありがとう。こういう関わりが大切なことだから。」ってわざわざ伝えてくれて。うん、いつでも優しい気持ちで生きていきたいっておもってるから、それを意識してる。って言ったらそれは素晴らしいマインドだね。GOODコミュニケーションだね、ありがとう。っていってくれる。
もちろんもっと話したいけど、気持ちは丁寧に接していけば溢れて行くものなんだなって彼からも気づかせてもらったよ。
言葉が通じなくても、彼といるとお互いに気持ち良く過ごせていい時間だったな。
英語を話したいけど、やっぱりマイペースでいいや。
でね、もう一人の滞在者さん。
バンコクに住む彼は鬱になってしまったようで仕事をやめ、薬を飲みながらここにやってきました。
一年前、三日ほど滞在が重なった彼、今年は僕もパーマカルチャー農場を作るために来たんだってわたしたちにつたえてくれたけれども。
ここで暮らし始めてから彼の抱えた病を知りました。
いつも何かに追われているかのように、一点を見つめてる。
ガーデン作ったり、買い物に行ってくれたり、一緒に仕事するんだけど、笑えない人になっていました。そんな彼を見て悲しくなり、時間はかかっても、笑顔になってほしいなって、思いながら過ごす日々。英語が話せないこともプレッシャーだそうで私のできなすぎる英語なら聞き取れるというので、よかったよ、私も英語を話せたらなって思ってたけどこんな形で誰かの役に立つとはねー、できなくてよかった、と笑い飛ばす、笑。よかった、よかった。彼とともに過ごす時間、昔の自分に伝えるかのように、always no need pressure だよっていいながら、彼のやりたいことをどうぞってきづかってきました。彼の好きなメニューにしたりね、できる料理を任せたりね。
時折定まらない焦点で、一瞬だけど彼は笑顔を見せてくれました。
サンドットさんはそんな彼の精神状態も理解しながらここに受け入れて共に暮らす配慮をしてくれてすごいなとおもいつつ、私も寄り添えるとこが寄り添えたらいいなと共し過ごした日々。
彼はお母さんみたい、ってわたしにいってくれました。
少しでも気持ちが緩んでくれたらいいけど、まだ出会って日も浅いから余計なこともしたくないし、そっと気持ちを寄せることくらいかなって思っていたら子どもたちも、そう思ってくれていて、とっても優しい気持ちで接してくれました。
甘いものが好きな彼、たくさんのシュガーは良くないかもなと私は甘いものをしょくじにいれなかったのですが、ある日、大ちゃんが学校でお客さんからケーキをもらってきたのってうれしそうにだしてくれてね。
これBさんにあげようと思うの。どうかなあっていうのであなたのきもちならよろこぶよ、どうぞ、って言うと、いつもありがとうって言いながら大ちゃんは彼に大事に持って帰ってきたケーキを渡しました。
そうしてね、私のとこにやってきて、Bさんにケーキを渡した時に顔を見たの。すごくうれしそうにわらってくれてね、大丈夫、きっと治る!っておもったんだ。
Bさんがつくった野菜炒めをかならず美味しいよ、うんおいしい、と言いながら食べる子供達。
ここでの暮らしは人とのおつきあいもあるので、Bさん、辛くなってしまったようでバンコクに帰る、帰らない、と毎日くちにするので自分で決めたらいいよ、とアメリカンの人と見守りながら過ごしていたけれど、大ちゃんは彼がいなくなっちゃったらこの野菜炒め食べれなくなっちゃうなあ、なんていいながら、バンコクに帰るよりここの暮らしの方が良くなるからって、彼なりの思いで、ひきとめてくれていたのです。
いつだったかわたしがBさんと話したこと。ここは農場、暮らしの場所、英語や生きることの学校。そしてね、病院。わたしはここで心と体を治せたよ。自然はドクターだから、ってくちにしたときに、うん、あなたのこどもたちも僕のドクターなんだっていっていたので気持ちはつたわっていたのかもしれません。
彼の苦しみがちょっと悲しくなりながら、彼がらくになっていくことをいのりながら2週間を共に過ごしました。
仕事が忙し過ぎたことが原因で心のバランスがくずれたんだって、かれははなします。
バンコクの土のない暮らし、車の音がたえずひびくくらし、中野に住んでいた頃の私たちも、そういうところがありました。
一年前の彼との違い、はっきりとはわからないけれど、薬に飲み込まれてる感じがして、薬の副作用による身体のおもさ、頭のぼーっとする感じで体を動かすことも辛い様子。これから変わって行くかもしれないけれど、もし薬を飲む前にここにこれたら、よかったのかもしれないなとも感じながら複雑な気持ちで、ここを守るお母さんとしてはちょっと悲しい気持ちででも、できることを彼に贈るしかないよね、と共に過ごしました。
ここの風の気持ちよさが今の彼には感じられないのかもしれないなと思いながら。
それでもここをえらんできた彼の人生がかれにとって納得のいくものになったらいいなあとねがいながら。
2週間後、彼は今日は帰らない、と言っていた予定を急に変えて、送ってほしいと私たちの頼んで帰って行きました。
いつもは避けたがるコミュニケーションを一生懸命とって、
いなかでくらすこととシティライフ、自分がどっちをしたいのか考えてくるよ。ありがとう、おかあさん。
といって帰って行きました。心を病み、じぶんでかんがえるちからをいちじてきにうしなってるかれ。
ゆっくり、ゆっくり、体と心を休めてかんがえて。
今の経験もこれからのあなたの人生になって行くから、私もそうだったの。
私たち家族はいつでもあなたが幸せであることをいのっています。
と手紙をわたしました。
私がいくら心を寄せてもその人の人生で必要なことを経験していくのだろうから、大きくは揺れないけど、思い出すと悲しいな。大ちゃんも治ってほしいからもっといて欲しかったけどかわいそうだったな。大ちゃんだったら、そこまでしてする仕事ならやめて自分にすことするのになあ。
って口にしました。
ここで、たくさんの人の生き方に触れます。
わたしもこどもたちも。
私たちの心のたくさんの感性がおだやかに揺れたり、おおきく開いたりする日々。
自分の人生、誰かの人生を感じ、考える日々。
自分も誰かも幸せでいてほしいよね、こどもたちがそういってくれます。
たくさんの気づきをくれた彼が自分の人生を生きられますように。
またきっとここにくる、そういってここを旅立った彼が1日でもはやく自分の足で歩けるようになってくれることを願わずにいられないちょっと悲しい出来事。
でもふっと、自分も似たような状態で考える力を失い、身体が限界にたっし、病気になったなあと昔を見せてもらった感覚でもあります。
大人も子どももなく、日々を暮らす中で私たち夫婦も子供達もたくさんの感性を開かせてもらいます。小さなたくさんの優しさに気づける今の生き方がありがたいなあと思います。
こんなにもたくさんの優しさに囲まれて暮らしてる日々。
今日はフィンランドのご夫婦が夕飯を作ってくれました。
喜ばせようってお気持ちだけでなく、子どもたちの待つ時間も短縮してくれるはいりょに頭が下がります。
日本人の奥さんだったので、聞きたかったフィンランドのことをたくさん聞かせてもらいました。
夏は別荘で過ごすこと。サウナに入ってお隣さん気にせず、そのまま裸で湖に入れるくらい、森が豊かだということ。
教育が素晴らしいのは先生がお医者さんと同じくらい勉強をするように、国が先生となる人を育てているからだということ。そうして、先生になって行く人が、誰かの森に入ってまきをひろっても、キノコやベリーをいただいても、お互い様で相手の幸せを喜ぶという文化の中で育った人であるということ。
どんなに働いても8時間がマックス。だからおやつは手作りだし、みんな畑もするし、男性でもおやつを手作りするそう。コンビニもないし、家族との時間を大切にする国のあり方が国民を支えてるんだと思う、そう話してくれました。
ああ、やっぱり、教育よりさきに、根本に人としての豊かさがあるんだ、そうおもいました。
フィンランドは私が思った以上に愛が深く、飾らない人たちの暮らす所のようです。接客しながらジュース飲んだり、お客さん待ちながらご飯食べていたりも普通だそうです。仕事の合間に、ささっとご飯を済ませなくてもいい、大事なことですよね。
フィンランドが大好きで、気づいたらフィンランドの旦那さんと結婚していたmちゃん。
たくさんの経験談をシェアしてくれてありがとうね。
たった五日間とは思えない時間、分けてもらったたくさんの嬉しいことが私たちの力に変わって行くのを感じています。
夜にハーモニカの音に引き寄せられて、子どもたちがmちゃんたちのhutで、歌って、太鼓叩いて踊ったこと。こんなに嬉しい気持ちを経験した子どもたちを見ていて胸がいっぱいになります。どんなふうにおおきくなってゆくのでしょう。
この子たちの生きる時間に寄り添ってくれてありがとう。
ここで出会う人は、たった五日間でも大切なお友達。
それぞれの人とどんな時間を過ごしたかは全く違うけれど、今を生きる小さな彼らにはお友達、となっているようです。
あなたを思ってくれるお友達がたくさんいてよかったね。
それを表すかのように、子どもたちは少しずつ私から離れ、自分で動き出します。
ここには私が子どもたちの生きる道を邪魔せず見守れる環境がある。
着々と成長して行くこどもたちのように、少しでも私自身も人として器が大きい人間に育っていきたいと思います。
鶏も猫も対等のともだち。大好きすぎて、時々彼らがやりたくないこともしてしまいます。ごめんね、と伝えながら、おつきあいしてもらっています。そうして何かとお付き合いして行くさじ加減をこどもたちはまなんで行くのだろうな。ありがとう、動物さんたち。
大ちゃんの学校セット。
とってもシンプル。
全ての教科がまざってます。
そして日本語、英語、タイ語も。
学校が楽しい。たくさん子ども同士で交わることも楽しみ、国を超えて心で関わることをこの村の人たちから学んでる。
きっと、ここでなくては学べないこともたくさん詰まってる。子どもたちの日々をささえてくれてありがとうございます。そんな気持ちを込めて週に一度学校に授業をしに出かけます。
その様子はまた改めて写真とともに。
これは日本語で、なんというの?と聞かれて、大ちゃん、一生懸命考えたのでしょう。
足の翻訳がツメになっていたり、頭の翻訳が髪の毛、になってる笑笑!
何よりここで大ちゃんが過ごすことがみんなにとって日本語の学びであり、大ちゃんにとってタイ語の学び。
ここの子どもたち、日本の単語をすこしつかるようになってきたから。
受け入れてくださる先生に感謝です。
なりたい自分になるためのレッスン。私版。
久々の更新です。
なんか本のタイトルみたいになっちゃったけど、笑。
あくまで私のやり方。でもこうして自分で前向きにできることをして行ける日々がうれしい。
自分のために整理します。
この2週間色んなことがありました。
たのしいこと、かなしいこと。
もちろん怒ることもありました。
けれども、何でしょう。
最近わたしのなかで、怒りとして表現されることが減ってきたし、怒りをひきずらなくなりました。
怒るのはその瞬間だけで1日が終わる頃には起こったことすら忘れているのです。
どうでもいいこと、の引き出しに入っているのです。
私には良くても子供達には?って自分に問いかける習慣が自分の態度を変えてくれ、怒りで表現したあとに、自分に問いかけるようになりました。
今ここで怒りで表現したけれど、私は子どもに、旦那さんに何を伝えたかったのだろう。
そうして改めて、怒りで表現したことを謝り、自分の本音を丁寧に伝えることができる場面が増え、そんな成長過程の自分を受け入れられたことで、ながせるようになってきました。
家族との時間の中で、怒りとなって現れても、その瞬間だけ、なのです。
育ちの中で、確実に親から引き継いでいた、毎日、いえ、いつでもイライラしてしまうこと。四年前までの自分はいつもイライラしっぱなしで、小さなことでも怒り続けてきた母を引き継いでしまい、とっても辛かった。
子供たちや、旦那さんの重箱の隅をつつくように責めてしまうこと、またー?とおもってしまうこと、消して怒りで表現することが悪いわけではないのに、いかっているじぶんがつらくて、その時間も長いからさらに辛かった。
時間をかけて自分の怒りがどこから来るのか、されてきて嫌だったことを我が子にしてしまうのはなぜか、自分はどう育ってきていまの自分はどうして行きたいのか、と、毎日、本当に毎日見つめてきました。
こうしてブログを書くことで、毎日顔を合わせる旦那さんに聞いてもらうことで、一つずつ、自分のことが分かり始めました。
子どもの頃の記憶は残念ですが、旦那さんの5分の一以下しかありません。
けれども自分に染み込まれた記憶が、自分の行為となって、不安となって現れてるのかもしれないと感じ一つずつ整理をしていきました。
そうして、そんな日々を積み重ねる中でようやっと自分が見え始め、自分の育ってきた辛い記憶が怒りとなって現れていること、してもらってきたようにするしかないからいかりでひょうげんするしかなかったということがみえ、はっとしたのです。
私がなぜ怒るということに敏感なのか。
人間だもの、怒って当たり前でしょう。いいんじゃない?
そう多くの人に言われながら、わたしはなぜそこまで嫌だったのか。
それは自分がされてきて嫌だったこと、だったから。
いつでもご近所さん、親戚とぶつかり合う母が辛かった。周りの人に申し訳なくて自分は母がぶつかった次の日でもいつでも笑いながら挨拶をするあの感じ。あの微妙な雰囲気。母の積もった父への怒りで、一時期父と言葉を交わせなかったあの時の家族の違和感。
なぜ母はそこまでいつでも怒るしかないのだろうという不思議と悲しさ。
子どもである私は母の幸せを祈ってるのに、私は母に対してはそつなくこなしてきているのに、なぜ嫌なことしか見えていないような表現するのだろう、と不思議だった。
でも旦那さんと出会い、我が子が生まれ、ここをなかったこととして引き出しにしまい込むことができなくなった。
自分の本音は幸せな日々を送りたかったから。
人を傷つけることの恐怖を背負った日々を送りたくなかったから。
いまはそうおもいます。
けれども四年前は必死すぎて気づかなかった。
四年という時間、自分が嫌だった自分の習慣を見ようとしてきたこと、それに対し、どうして行ったらいいのか、焦りながらも時間をかけてむきあったこと、その経験は今、自分が苦しみと直面する時の勇気になって私の中に凛とそんざいしています。
自分と向き合って超える必要があると判断したこと、自分の問題って自分で超えなくちゃならなくて、どうしていいかわからなかったり、たくさんの自分の過去や不安、人との関係と向き合う必要があるから本当に苦しかったりするけれど、ここを超えたらもっと生きるのが楽になる、そういつでも思えるようになりました。だから課題の時がきたらジタバタせずに、一つずつ、時を待ち、必要な整理をし、いつまでに解決したいと決めずに、ゆっくりと今を超えて行く。積み重ねて行く。その感覚が身についた。生きるのが楽になりました。
私の中で怒りや不安に対する恐れの塊がほとんど消えていることを、今、感じています。
心の何処かにある怒りと不安が見えた時は、大事に大事に自分が恐怖で震えないように、それはどこからきているものなのかを開いていけばいい、そう思っています。
怒りと不安と恐怖は私をとても悲しませるので、これが見えた時に蓋をできないことを知ったから。
ある時はまあこんなに悲しいんだね、という気づきだけを、何もせず心の戸棚にわかるように置いておいて(原因のわからない悲しみは違う形で繰り返し、いつかそれがどこからきているのか、気づけるから)、ある時はここを超えるのはどうしたらいいかを考えるためにブログを書いたり、旦那さんに聞いてもらったり。母との関係を理解するために親戚に母の子供の頃のことを聞いたこともありました。母が自分を理解していなかった分、本人に聞いても仕方なくてじぶんから理解する方法を選んでみる。怒りや悲しみ、不安という感情のままでは、自分が腑に落ちる整理ができないのでまずはそこを解決して、自分の中でこれは仕方がなかったのだと、相手を理解する努力を自分でするしかないから。
もちろん母とのことは親であるがゆえに、時々、どうしてこんなに課題を私に与えてくれたのか、と怒りたくなることもあります。けれども、自分が小さな頃から抱えてきた、なぜ自分はこう生きているのか、という疑問を一つずつ腑に落としてくれています。
この苦しみの塊がようやく整理され、自分が生きてきた上での怒りが溶けてきたようなのです。
今の自分、は怒りたいならおこればいい。けれどもやっぱり怒ってる母が辛かったから怒りじゃない表現にできるといいな、と自分におもってる。その結果、怒ったあとには自分の思いを伝え直す習慣がつき、自分の中でああ、わたし今、また怒ってるなー、残念って思う自分がいて、怒りに飲み込まれなくなったし、家族も今は楽になったなーって言ってくれるから、今の自分をすこし甘んじてる、笑。ああ、またやってる。嫌な思いさせてごめん。もう仕方なくて、これは全て解決するには一生かかりそうだ、ごめん、っていえるようになった。そうして前より全然良くなったからいいよ、って言ってくれることにまたも甘んじ、おこりながら、そりゃ、もっと怒らないで伝えられる人になりたいけどさ、悪いと思ってるけどさ、おこりたくなっちゃったんだもん!!!!!って言いながら怒れるようになった、笑。
自分がどこにつまづいているのか、日々をどうしながら生きて生きたいのか、家族や周りの人とどんな気持ちで過ごそう、どんな関係を気づいて生きたいのか。
自分はどんな表情をしてる人でありたいのか。人情というのは溢れ出るものでその場限りいい人を演じるのは無理ということがわかった今、自分は日々の自分に、日々人とどんなふうに関わることでどんなことが溢れて来る人でありたいのか。
それをきづかせてくれるのが家族。
日々共に暮らし、私の多くの感情を知ってる家族。
今気づけば、私は自分を知るために、旦那さんに話を聞いてもらい、自分が言葉にしたことでせいりされ自分が見えた。苦しみ、つまづき、嬉しさ、言葉にできない感情。
そうして自分がどうやって生きたいのか、ブログに書いて自分をもっと知る作業を深め、自分が何を知りどう変わって行きたいのか、知ったり、考えたりしていきました。
そうして、私は自分の気持ちを軽やかにしなやかに、楽しくいきていきたいことを知り、家族との時間の中で、そう自分がするように挑戦して、調整し、もっと自分を知り、ついでになりたい方向に一歩ずつ歩いて行く。
私にとって家族が、自分のカウンセラーでした。
自己啓発のような本を読んだり、心を緩めるカウンセリング、自分を見つめるワーク的な講座を受けたり。でもそういうものっていちにちかぎりだった。それにね、関係の深まってない人に話すのが恐怖も伴うよね。根本的なとこが解決するにはかなりじかんがかかる。いろいろしたけど意味がなかったのは、それを日々の中で実践し、気づき、自分のものにしてやっていく、すなわちね、家族との時間の中でやってみてごらんっていう手法がなかったから。
家族の中でなりたい自分になるための努力を積み重ねれば、たくさんの失敗もせいこうもできる。そうしていけば、それはもう日常で、習慣になっており、自分の一部になっており、家族が喜んでくれるよね。そうなって一番嬉しいのは自分だよね。
そうして自分がなりたい自分、が溢れてくる。
それを今実感しています。
物事ってことばでつたえるものじゃないのかもしれない。
息子がわたしのそばで生きてくれたことで感じていること。
だってね、小さな男子ってね、しつこくするのやめてよね、って100回言ってもわかってくれない。兄妹喧嘩になるのは大抵にいちゃんしつこいから。500回以上はいったよね、1日3回として三年くらい、3000回かな。大きくなって経験つんでくれて最近ちょっとだけ分かってくれた気も、する、笑。
そういうことをしってね、わたし、男子は100回言っても覚えてくれないからもういいよねー、とりあえず言っとくけど、結婚する頃にはわかっててくれたらいいやー、と思えるようになった。あと、言葉でもののありかを教えてもさがせない、笑。目の前にあるのに、笑。
愛しい男子の特性だと思ってもういいかーってようやく受け入れられるようになりました、笑。
ちょっとはなしそれました。(もののありかは伝わってほしいけど、笑。)。
つたわってほしいことって、自分の行為から溢れてくるものなのかもしれないっておもうのです。
そうしてふとね、だから、背中を見せる、なんだね、ってちょっとその気づきにはっとして。
これをああして、あれをこうして、じゃなくて、自分が自分に対して筋の通った生き方をすることで、考え方も思いも溢れて行く。背中を見せる、ってその行為ではなく自分のいきかたのなかで大事に思うことを溢れさせて行くこと、なのかなって。
言葉でなく、溢れる想いで伝えられる人間になりたい。
そう思いながら家族といる時間。
たくさんの時間寄り添ってくれた家族のおかげで私は以前よりずっと自分が愛おしくなりました。
母との関係も、自分の辛かった過去も今やっと受け入れ、そんなことも含めて、積み重ねてきた自分の生を抱きしめながら、自分の心と身体で今を生きることを楽しめるようになりました。
過去を恨む必要もなく、それしかしらないじぶんに焦る必要もなく、ずっと変わって行ける自分を信じて、比較せず、おそれず、ゆっくりと。今どんな自分で生きていたいか、自分の生を一瞬でも多く楽しめるか、時には楽しめなくてもいい、なるべく穏やかに受け入れられるか。
家族に感謝をしています。支えてくれた人生の先輩たち、おともだちにもただただ感謝しています。どんな小さな変化でもそれが自分を好きになって行くステップになってゆくのだから、もはやお礼の品では返すことはできなくて、家族に愛される自分で生きて行くことで、子どもたちや旦那さんに幸せでいてもらって、みんなで優しさを溢れさせて行く日々を送りたいなと思う日々。
今年のタイでの生活はどんなことがあっても、穏やかな気持ちでいられ、たくさんのたのしいことが訪れ、毎日、自然の神様に、ここでくらすみんなに、時折メールをくれるおともだちに、、、、とおくにいる自分の暮らしを支えてくれることや人、ものたちにありがとうと思う日々。
今、自分の心が平穏なことが奇跡だから、ただただありがたいのです。
なりたい自分になるためのレッスン、わたし版。
ちゃんと自分にもつたえないとな。
苦しみを超えてくれてありがとう。
なりたい自分になるためにゆっくり歩いて行くわたしは未来に何を残せるのでしょう。
我が子たちも自分のやりたい気持ちを大切にしてくれています。
パパのお誕生日をするためにここにあるもので何ができるか考えて作るというので手伝いました。
トロピカルフルーツがアレルギーのこゆもたべれるようにサツマイモで甘みをつけた蒸しパンとバナナで甘みをつけた蒸しパンと半分ずつ。
朝早くから2週間ぶりのパパの帰りを待ちながらご馳走を作ります。
大ちゃんのデコレーション。朝早くからアメリカンの人とマーケットについて行って自分でいきたいばしょをつたえ、オレオを買って来ました。やりたいことのために自分でこえた、言葉の壁。
最高のお誕生日だね、ゆうき!
子どもたちと過ごす長い時間の中で。
今日から大ちゃんは村の学校へ。
8時から3時半までなので朝はちょっと忙しい。5時には起きてみんなのがご飯を作るより早めにお昼の準備。そしておべんと持ってバイクに乗って出発。
今週末から旦那さん留守のため、歩いて往復を共にしようかと思っていたところ、サンドットさんがボランティアできてる人に頼んでくれてバイクで行くことに。ありがたいなあとただただおもう。。
そうして始まったひさびさの二人の時間。
本人の希望によりお人形遊びやら何やらするものの、大ちゃんと遊ぶより面白くないらしい。
あんなにケンカばかりに見えるのに大好きなのね。
でもまあ、いないもんはしゃあないし、今日はみんながお昼を作ってくれてるのでゆっくり過ごします。
まずは箒草を探しつつ、散歩へ。
村の方向に向かうものの片道1時間、坂道をこゆがどこまで歩けるかわからないので、途中まで。
大ちゃんに会いたかったなあと言いながら戻ってくる。
ひさびさのこゆぺーすの足取り、箒草を両手に持って踊り、坂道を全力で駆け過ぎる。
筋肉女子にはもはや叶わない。
お昼近くになり、ここに戻って来てから今度はきのみ取り。
ダウインカの実を木登りと長い棒で落とし拾い集める。
ひさびさのこゆとのあそび、人形遊びがいまいち得意でない私、何が共に楽しめるかなあっておもったらこれが結構いい時間だった。
私が集めてる間も、数数えたり、小さな殻を割ってみたり、ぼっとうするこゆ。
そうして集めた実を今度は皮を割っているまでのじょうたいにする。
それは共に。
ああ、この人は作業をするのが好きなのかもなあ。
そうしていって最後までやって大満足。
それが終わった頃に大ちゃん帰宅。
久々の別れと再会に、いつもは旦那さんの買い物にどっちが行くかで喧嘩するのに、今日は二人で遊びたいからお留守番。
大ちゃんも楽しかったようで男子は基本的に色々話さないけど、マシンガントーク、笑。
タイ語しか通じない村の学校への去年の緊張はすっかり溶けて学校に行くことを楽しみにしてる様子。
この経験は彼にとっての宝物だろうなあと思う。
毎日少しずつ覚えてくるタイの言葉。仲良くなる学校のともだち。
ここの学校のすごいとこはたくさんあるのだけど、子供は座って学ぶものだと思ってないところ。
ソワソワしだした頃、ゲームが始まる。それが日に何度かで、おやつももらったりするのー、と笑いながら大ちゃんは帰ってくる。
先生がフレンドリーで、親に対する緊張感がなくて、ゆるーいゆるーいとこ、それもいいなあと思う。
コミュニケーションのツールは言葉だけでないことも、この人はどんな人かなって感じて行くことも、自分のペースで生きて行くことも、子どもたちはここでの暮らしで学んでいます。私がこうして思うよりもずっと多くのことを感じ、考えているのだろうなと想像しています。
去年はここは譲れなくて、いってみなよーって珍しくちょっと強めに背中を押してしまった私。
でもそのことで大ちゃんの世界を広げる一歩になった。
余計なことではなかったようで、よかったなあって自分に話しかける、笑。
大事なことはじぶんがどういうふうにいきてゆきたいかを、自分で感じて、うごいて、決めてゆけること。
人とかかわる、自分と丁寧に関わる。
動物らしく地に足をつけて。
私たち大人の自己満足ではなく、子どもたちがここでの暮らしを楽しみ、日々の生きるということを楽しんでくれていることはきっと奇跡ですね。
私は対して何もしていなくて、自分がたのしめるようにしていたらここにたどり着いていただけなわけだし。
ありがとう、こどもたち。
いろんな経験の中で、私のそばを巣立ち始めているだいちゃん。
そのことでこゆの新しい発見もできたりして今が豊かだなあと思います。
昨日の夜大ちゃんに言われた、「なんでも自分の心次第でしょ。」。
私が38年もかけて見つけた言葉をサクッといってのけただいちゃん。。
日々穏やかに、いまのたのしさやありがたさをかんじ、つまづいた時は何を見つめ直したいのかを穏やかに見つめられる人でありたい。
子どものことも旦那さんのことも、今のあなた方は何をみてるのか、なにをしたいとおもっているのかに、こころをかたむけ、受け入れられる母でありたい。
一つずつ訪れたじぶんのおだやかさはこんな私の希望と期待を少しずつかなえてくれています。
まだまだ超えることもたくさん抱えながら。
こゆはこんな人なんだな、って発見が嬉しかった。
これから変わって行くであろうけれども、いまのこゆと100パーセントで関わっていたいから、自分がどうしていきたいのかが見えて嬉しかった。
こゆのぺーすによりそっていくためのたいせつなツール、これからも探していこう。
もちろん、大ちゃんのも、旦那さんのも。
ゆっくりゆっくりそばにいながら発見していこう。
これからも家族を深めていきたいから。
そうそう、森に行く日は大ちゃんも学校をやすんでみんなででかけました。
学校に行く日、ここでみんなと過ごす日、どちらも自分で選んで過ごしてます。
どちらも生きる上で大事な時間、学び。
ここの学校はのんびりだから、学校でおそわること、かんじること、どちらも味わえる。
そうしてここでの暮らしも。鉈で竹を削り、はしをつくる。大事な日本のお友達を思いながら。ここで出会った大好きな人にくっついて過ごす時間。日常の中に大好きな人がこんなにいること。一人旅立ってしまってもまた好きな人を見つけて我が家の行くこどもたち。ちかー、ちかー、ってすっかりよびすてだけれども、大好きが溢れて溢れてやまないようで。彼らをみてそれがどれだけ素晴らしく、奇跡的なことかを感じています。ありがとう、ちかちゃん。じょじょさん。ほんちゃん。
旅立って行くみんなを見送りながらまた今日からを楽しむ彼らを見るのが楽しみです。
日々がありがたすぎて、小さなことでがっかりする癖、かえざるをえないよなあってかんじてます。どうでもいいことは笑い飛ばせる人間になろー。じかんがもったいないもんね。ちかちゃんをみてかんじました。ありがとう、ちかちゃん。
かけがえのない出会いと、みんなが感じさせてくれる生き様に感謝をしています。
さみしいなあと別れを惜しむ子供達に、私もこうして生きてみたかったのだろうなあと昔の自分をおもいだしながら。
竹かごあみ。毎年このロープ作りに手がかかりかごあみまでいけない。。森で編み方を教わりました。
今年はやりますぞ。
ほうきをつくろー。
今年はますますなんでもやってみようと、
ほうきをつくってみた。
ほうきぐさをほしていたのでまずは束ねただけのほうきを。
でね、まだたくさんあるからもう一つ作ろうと思ったけどふと思いついた。
これお土産にならんかな。
まずは自分のをネットで検索して編んでみました。
とりあえずやってみるってのが今年の方向なのでね。
なたで竹を揃えて切ったりちぎったり。
小さく束ねて持ってきたレース編み用のいとでしばってゆく。
できちゃった。自分用とお土産用。私のはみどりの。
タイのジョジョさんとちかちゃんの。
気に入ったから仲良くなったこと、ワークショップ。
こういうの結構得意かもしれない。
プロじゃないけどできることってたくさんあるんだー!!!
たのしい。
ありがとー。
まだ残ってるので数本お土産にしようと思いまーす。
来年はもうちょっと勉強して作った自然素材のものをお土産にして収入に変えられたらいいなあ^ ^。
誰かが幸せな気持ちになってくれることがお金になったらうれしい。
それからタイクロスで夏バックとキャミワンピやゆるパンツ、サルールを作りたい。
ここでたのしむちえがレベルアップしたかな。
ジャングル風全自動掃除機。
せんじつの朝すごいことを発見した。
その時の真夜中にカツカツ屋根から音がして何が潜んでいるのかと思ったらかやの屋根に多分、ネズミのウンチ。。
もおー。ネズミのウンチ嫌い。。と思いながら払っているとアカありがそこ目指して行列作ってるじゃないですか。そのうちの一匹がネズミのウンチをよっこらしょって運んでる。
!!!!?
わお、ありがとう!!!ありがとうー!!!!!
って思いました。彼らはなんと立派なお掃除屋さんでしょう。
これまでアカありと何度も戦って来たわたしたち。
食べ物を狙われたり、軟膏がわりのクリームにたかったり、かやの糸を伝って梁から降りてくるので毎日払いのけていたのです。
森に入ると彼らの領域を侵して竹をいただくのですから当たり前ですが、襲撃しまくられ、いたいので好意は全くいだいていなかったのです。
彼らの動きのその理由が今明らかになりました。
彼らは立派なお掃除屋さん。
虫の死骸、食べこぼし、いきもののうんちを物の見事に綺麗に掃除してくれ、ぶんかいしてくれていたのです。
この瞬間から私たちの虫への思いが変わりました。
彼らは確実に自然界が回って行くように循環作用をしてくれている。
それはとても大きな力で、とてもすごいこと。
これをみて彼らに敬意以外の何を示せるでしょう。
私たちが必要以上に出したものも彼らは分解されるような動きを確実に、地道にしてくれているのです。
生きるものにも、生きていない物理的なものにも確実に使命があるのかもしれません。
それ以来、私たちはごくごく必要最低限以外、彼らの動きを邪魔しないようにしよう、といううごきにしぜんになりここで暮らしています。
この行列はどこへ向かい、彼ら一匹ずつはどんな動きをしているのだろう。この集団でこのひとつのものを運び出すのにどんなチームワークなんだろう。、、、と引き寄せられる日々。
その日はあさからサタデーマーケットの日。家族の時間を過ごす日。
ありの感動をシェアし、街までの往復4時間以上、歩き続けます。その日の帰り道、大ちゃんと旦那さんが走り出したのでついて行くと、お尻の光る芋虫を発見。
光に反応して二人がついて行ったようなのです。
蛍より大きい、光る物体。モサモサと進む彼をみて、
「すげー!!!自家発電!!!!」
と四人で感動。
「でも確実にこれ、動物の餌食になるよねえ。なんで光ってるんだろう。」
んー。。。わかんない。私にはわかんないことだらけ。
でも彼が存在する意味が自然界にはきっとあるはずです。
それはきっとすごいこと。
人間が解決し得ないひかりを、お金もかけず、じかはつでんしてるくらいですからね。
そうしてもうひとつ、夜の山の茂みで、ピピピピピピピピと一定の音がずーっと響き渡っています。
誰かが目覚まし時計を3キロに渡り設置したのでしょうか?虫の音だと想像しますが大ちゃんは鳥じゃないかと言います。答えはもちろんわかりません。
そんな話を家族でしつつ、自然界の神秘に感動しまくる私たち。
まさしく彼らの生態系全てが神秘。
地球はきっと全てがいて巡り巡ってる。
この気づきに感動冷めやらずの私たち。
今年も自然につつまれた暮らしは私たちの感性を開いてくれています。
四年前、ここにくる前と変わったことは、自然界に感謝をする思いが自然に溢れ増えて行くこと。
私たち人間だけがえらくはなりえないということ。
この循環の中で生きている小さな一部。
厳しさの中で生き、優しさにも包まれているということ。
ひとはそうしてたくさんの感性や感情をつかっていくことで、生きる日々がもっと豊かな感性になって行くのかもしれません。
知り合いの中島さんがこうもりにはまったわけがわかるきがする!
しかも彼らは通信手段が超音波!?そこのとこは人間を超えた力を持ってる不思議なかれら。
なにそれ??
おもしろすぎるよ、なかじまさーん。
世の中は面白いことで溢れてるんだねえ。ああ、すごい。