日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

娘ちゃんの成長。

我が家には二人の子どもがいます。

一人目と二人目は当たり前だけど全然性格違うから私も対応に試行錯誤。

ただ今、こゆは、もう一つ大人になる途中で主張が激しくて私とぶつかり合うこともしばしば。

 

大変です。

外から見たらほわっとしてみえるそうですが、この強い意志、この速い足、このでかい声。

ええ、ええ、そりゃもう、大変です。

 

寄り添おうと決めてきた意思に反し、私がめげかけてます。

兄弟喧嘩も半端ない、お互いに大好きだから、すぐ近寄っては喧嘩になる。

私のそばにいたいって目の前にいるから、私のそばで喧嘩をしてるようで、私の堪忍袋は日に何度切れてるでしょう。。笑笑。

 

でも、他人じゃなくて私が本気でここを向き合って、時間が過ぎて行ったら、その時はきっともっと一緒にいることが心地いい関係になれるってことだけは、間違ってない、と信じて、向き合い続ける日々。あと何ヶ月、続くんでしょう。やっぱり、大変 笑笑。

 

昨日、私、お手上げマックスデイを迎え、ここらで二人で休戦しましょ、と週末は上の子を旦那さんにおねがいして、女子二人旅に出かけることにしました。電車で一時間、小樽の海でも眺めてこゆの好きなもの食べてのんびりしてこようと思います。

二人でルンルン、ワクワクで行けば、それはきっと、たのしいいちにち。(と、もうそうする、笑笑。)

 

大切な我が子の時間、彼女が育とうとする時間も、寄り添い切りたい。

この時期が、大変大変、苦しい苦しい、ではなく、(ときにはそれもありだけどね)、できる限り、あなたが好きでいてくれる母ちゃんでありたいと思う。そんなひびはきっとね、私が我が子とどう向き合いたいか、で決まることだと思う。

 

仮死で生まれたこゆが今を元気でいてくれること。私たちといたいと、おもってくれること。

それを思うたびに胸がキュンとなる。心からありがとう、っておもう。

 

9歳を迎える大ちゃんとの関係が言葉で言い尽くせない信頼感で満たされていること。これを最近ずっしりと感じさせてもらっているから、こゆとのじかんも、9歳になったときには、さらに豊かであるように、大事にして行きたいと思う。

 

そのために、今を、本気でいきたいと改めて思う晴れた朝。

よし、戦っても、揺れてもいい。今日も本気でこどもたちとすごすぞ。

 

大ちゃん作。ネパールカレー。

これ、スパイスから作ってくれてるんです。最年少で喫茶店出来るんじゃないかとマジで思う今日この頃。食材は原材料見て厳選して買ってくるし、食後には自作ブレンドの自家製ハーブティーまで出てきちゃいますから、笑。春は野草。なつはおやつとうどん(手打ち麺も作れます)、秋はかぼちゃ創作料理、冬はカレー。彼の料理は薬膳も兼ねてるし、いいんじゃないかなあ、笑。

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フィールドの野草たち。チャイブのチヂミに、うどのみそあえ、みつばの混ぜご飯に、ヨモギのおひたし。ついでによもぎ風呂。ありがたい大地の恵み!

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お人形。

も、作ってみました。

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女の子ってそういう興味がある生き物なのかなあ。

大ちゃんと違っていただいたお人形とかでよく遊んでるので着せ替え人形にトライしてみました。

check and stripeさんのマーガレットちゃん。

 

でもうちでは改名していちごちゃんになりました。

幼稚園に持って行くこともあるだろうからこゆの名前も足に縫いつけておきました。

首のワタを入れるのが難しくて最近首がぶらついてる。

 

要研究だなー。。

 

今日は疲れが溜まっちゃったのか、ねむくてしかたないので子供達にお願いしてうちで身体を休めることにしました。幼稚園でリサイクルショップがあるので何かお手伝いはしたかったのだけど、できないことは仕方ないね。

眠いってことは休む必要があるってことなんだろうなー。

あと、炭水化物は軽めにしとかなきゃなー。

 

昼寝後、身体が痛い。

なんでかなー。。

まあ、身体が何か言ってることは確実だからゆっくり過ごしてみます。

 

帰ってきたら大ちゃんが夕飯作るって張り切ってるから、フォローするとこを考えとかないとね。

 

 

 

札幌南区良いところ。

昨日は急遽、登山!!

 

それまでは自転車旅して公園行こう、って言っていたのにうちを出る直前に、大ちゃんが、ああ登山行きたいなあ、と言い始め。。。

 

急遽登山に変更。

車の運転ができない私ですが、うちから電車で一時間少しで海にも行けるし、そういえば徒歩で登山道までいける、笑笑。

 

そんなわけで急遽登山という選択肢が生まれて来たわけです。

滅多に行かない公園なのでこゆはこうえんにいきたがっていたのだけど山登りのために飴を持参。

飴につられて山登りに納得したこゆと登山道に向かう途中、冒険仲間のkくんにこえをかけることになり、kくんのお家へ。

 

ご飯食べてたkくん。即答で、一緒に行く!!

 

kくん母さま、突然なのにありがとう。

kくんにもこゆとおなじ年の弟がいて、kくんかあさまのはいりょのおかげで急遽kくんちにこゆをおいてゆくことに。

ありがたいことにこゆがずっとkくんのうちで遊びたがっていたので1日おせわになりました。

こんな、突然のことに対応してくれるお友達家族がありがたいなあって思います。しかも登山なのに、笑笑。

 

さて出発。登山道まで大人の足で30分。彼らの足で一時間半。

笹の芽を摘んで笛を作り、芝桜に見とれ、今年初のわらびを見つけ、収穫し。。

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お昼には山の頂上に着く予定が1時半まで延々に山登り、いえ、完璧にやまさんぽです。

私は山に詳しくないので彼らが山の姿を自分で感じるのをひたすらひたすら待ちます。

 

ニリンソウフデリンドウ

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松の葉の今年の新芽。新芽は本当に柔らかい。3人で指で確かめて感動します。

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途中の沢でザリガニ釣り。

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卵から帰る直前のサンショウウオ。 きらめく卵の中で泳ぐちいさないのちのうつくしさ。しぜんのうつくしさってことばで表現できなくて、自分で触れて感じるしかないものだと最近思います。心震えるってこういうことなのでしょうか。水面から出してごめんね。

 

 

ハルゼミ探しや、サルノコシカケをお土産にしたいと眺めるkくん。

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春から初夏に変わりかけた山は緑の色をいっそうこくしはじめています。

 

 

最後は無言で登り切る山道。

二時間、それ以上?やっと到着。

頂上から私たちの住む街を見下ろします。

集落のように家があります。札幌南区ここからみたら田舎の谷間の村。

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ここでも彼らは楽しみます。年下の妹、弟なしでこのメンツで初めて出かけたこの日。

大きな二人に合わせた旅は、彼らの今を楽しむ姿をまた違う形で感じさせてもらいました。

 

キアゲハを裸足で追いかける、kくん。ケーブルカーを眺める大ちゃん。時々こえをかけあってはどこかにふたりではしってきえてはもどってきて。

もちろん私は体力ギリギリなものでずーっと座りっぱなし笑笑。二人に世界が繰り広げられて行くけど、あの楽しげな雰囲気がたまらなく心地よくて眺めてました。

 

藻岩山の頂上で二人貸切のプラネタリウム。私は諸事情により入れなかったのだけどそれがよかったのだと思います。妄想の世界で遊べる妄想冒険家男子二人の心に中に刻まれた星空はこれからどんな風に輝いていくんだろうな。

楽しかった!!って嬉しそうに出て来た二人の笑顔を見て、私もうれしかった!!

それにね、妹がいたら入館するかわからなかったし私と二人じゃまた違う世界だったろうし、仲のいい仲間とこんな時間もいいものなんだね。これは母として寄り添わせてもらってる喜びなのかもしれません。試行錯誤の日々だけど、こうして二人の気持ちに寄り添えたここちよさがたまらなくうれしい。ああ、私のしあわせな時間だなっておもう。ありがとう。

 

最近思います。私はこどもたちとほんきでむきあいたいって思ってきたけどどういうことなのかなって。私にとってこどもたちとくらすじかんってどんな意味なのだろうって。

 

でね、思ったこと。子どもと過ごす時間も私の時間、私の人生の一部。

まだちいさい彼らに寄り添いたいって思った時点でそう心を切り替えて行く必要が私にはあって、そのために自分の行動を見つめ直して来たのだろうと今は感じています。

もちろん一人になる時間もたいせつなもの。

でもそれだけが私である、ってことじゃないってふっと腑に落ちた自分がいます。いつでもわたしであれる生き方をしようと思います。

子どもたちに生まれて来て欲しいって願った私は、子どもたちと過ごす時間が多くなるのは自然なことで、今しかないそんな時間をどんな風に受け止め、感じて、今の自分、の時間にしようか何年もかけて考えて来た、ってことがわかってスッキリ。

 

だから彼らとの喜びも悲しみも自分の人生の一部。

いつでも成長して行くためにいきてる。

 

そてそうは言いつつ、私の修行も続きます笑笑。

今日が終わってほしくない彼らに寄り添いながら山を降りる時間。

一本一本の木を観察し穴に手を入れ、次は石の裏に着いた土の観察。

通り過ぎた人が「いい、自然学習だねー」っていうくらい熱心な二人。「はい、わたしはなんも知らないので、彼らが自然と話し終えるのを待ってるしかないんです。」って笑いながら返事をしてね。

 

でも体力が限界に近くなって来たので、すいません、そろそろ私の体力が厳しいんですーってそうだんすると、目の前の大きな石を持って帰ると言い始める大ちゃん。

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あの、5キロはあると思いますが。。。

 

転がすこと10分。石が割れ、かけらを持って帰ることにした大ちゃんでしたがkくんがこの石、あんもないとがはいってる!!持って帰ろう!!

 

おう、まじですか!?やっぱり持って帰るんですか?

タイの山奥にいそうな山の男たち、笑笑。

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二人でのチームワーク、息合わせてるなあとそちらにも見とれおつきあいしてみることにしました。

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二人で運ぶことに疲れた二人、一人ずつ順番に運びつつ、下り坂に行くと蹴飛ばす役と、方向を正す役にわけ少し楽をしようといろんな方法を考える。

 

この石、3キロはあります。

でもどちらも相手を思ってるので、お前の方が持つ時間短いじゃんにならないんです。助けて、って言えるし、大丈夫?って言える。

 

私、こんな重労働を弱音を吐かず責めることもなく、ただただ前向きにこなす人たち初めて見ましたよ。本当にこの石が大切なんだと思い、(展示する場所も決めてました。kくんちの研究室に展示するそうで有名になるかもねーって夢を馳せてて可愛かった。)、やっぱりただただ待つこと一時間。

 

私、ふっと思ったことがあります。

子どもたちに大人が楽しむ姿を見せことの重要性、を我が師匠を言葉を変え何度も伝えてくれています。

それを日々考えています。

 

お祭りのように大きな楽しみもいい。

けれどもこうして日常を積み重ねて行くことの尊さを今日もまた感じています。

 

いつでも大人が楽しもうって思うと、大人ばかりが走ってしまう気がするんです。

楽しむのはげらげらわらうことだけではない、こうして子どもたちの傍らで寄り添い見守る中で彼らが喜びを見つけたことを共感する、そのことを楽しむこと。

自分がやってあげたいことやしたいことと彼らのやりたいことやして欲しいことが噛み合った時の嬉しさ。

私はそれを思うだけで、日々この人たちといることが楽しいって思えてしまうんですよね。

こうして待ってくれる大人がいることの安心感。そして自分の喜びをそばで見ていてくれる人がいるということも、ともに楽しむことになるのだろうと思うのです。

 

本気でこの人たちと楽しみたい、って思って日々を生きてます。だから安心感を持って日々を生きられるよう配慮した上での、楽しむ姿がとっても大事だと思います。

 

なんとなく私たちの滞在した村もそうだったように思います。

子どもたちを楽しませるこどもの日のイベントを本気で楽しんでるのは、子どもは宝だ、という感覚がみんなの根底にあり、子どもたちはいつでも見守られている日常がある。そして大人も、お互いに思い合う心を日頃から育てあってる、そんな中での彼らのイベントは、無理のない大人の楽しみ方と優しさが溢れたものだったんですね。自然の中で暮らしをする彼らが日々を本気で生きるのは必要があってのことで、実はそれってとても豊かな感覚なのかもしれない、ふとそう思います。たぶん、楽しさメインの学生さんの文化祭とはまた違う楽しみ方なのだろうと思います。

 

話を戻します。頂上を4時近くに出た私たち、石を担いで1キロ降ったあたりからひがかげりはじめました。日が陰ってくると、山の空気って一気に変わって行くんですね。

 

途中から背中もそわそわ怖くなって来て子どもたちに話したんです。私怖くなって来たんだけど、どうする??って。

そうしたら子供達も一人一人、そう感じていたようで、意を決して石を手放してその後は猛ダッシュで山を下り始めました。帰りは思ったより長く石を手放したことは正解だったね、と子どもたちが言ってくれるほど。

 

どうにか無事に登山道入り口につき、きっと神様が危険を知らせてくれたのだろうと山の神様に頭を下げて帰ってきました。

帰ってから大ちゃんと話しながらきっとあのそばにくまがいたんだろうとふたり(たぶんkくんもじゃなかろうか。)で口にしてます。見られてる気がしたよね、と大ちゃんのいう言葉に、私もあの時背中がぞわぞわしたのはそのせいじゃないかと自分たちの動物としての直感をかんじているのです。どうぶつとしての直感。。自然の中に私たち3人だけしかいなかったから蘇ったのかもしれないな。

毎年この時期、熊の目撃情報があるここらの山、気をつけながら出かけたけど山を知らない私とともに行って子供達が無事に降りてこれたことに感謝をしています。(ちなみにこの次の日、私たちの住む近くにクマが降りて来た情報が流れたそうです。人里に近づいていたのかな。)

 

山は確実に日が上の方にあるうちに降りてこなくちゃいけないと身をもって知りました。そして自分の直感を信じて動くことも。自然の脅威と優しさを管理された自然でない本当の自然界から学ぶ私たち。

これを知る必要があるんだと思います。

 

自分がだれかより劣ってるわけでも優れてるわけでもないということ。

人はただ助け合う必要のある動物であるということ。

自然にはいつだっておなじけいけんはないこと。

 

私たちの世代はすでに便利な暮らしをしてきてるから、おじいちゃんの話でも聞かない限り教育的自然学習で伝えられることはあまりないのかなって思います。

子どもたちの学びをそっと見守る、そしてこうして自分も怖くなって一緒に経験して帰ってくる。

 

お友達のお子さん連れて行ったから無事に帰れて何よりだけど、でもね、ほんきで楽しむ、本気でともにまなぶってこういうことなのかなって感じてます。

本人も学べたからいいんじゃない?って理解のあるkくんかあさまに感謝です。いつもありがとうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

褒めるということ。

最近、大ちゃんがお料理に興味を持っていて、これがお世辞抜きで美味しいので、

「おいしーい!!センスあるね。おみせだせるわー。。」

と言いまくってる旦那さんと私。

 

お世辞でも褒めてるわけでもなく、心からすごいとおもう。

だからすごい、すごい、いってしまうわたしたち。

 

何が凄いかって、いくらかかるって計算も含んでいたり、段取りもその都度経験踏まえて変わっていってたり、たのしんでつくってるし、おいしいし、この時ばかりはじぶんがいちばーん!!、ではなくて、みんなの喜ぶ顔を見るのが先だったり。

持って生まれたであろうセンスや自分の興味に誠実なとことか、本当にね、いろんなとこがすごいなっておもうのです。褒める、っていう気持ちじゃなくて、対等に敬意をもってつたえたいというか。

(自分の言葉の表現力、乏しすぎます笑笑。)

 

私に簡単に真似できるかって言われたら今でも出来ないことがたくさんある。

だからわたしたちはすなおにすごいっておもってからだから溢れ出た言葉。

 

こんなことがあった次の日、褒める、ということについてかんがえるきかいがありました。

 

そして、そういえば我が家は「褒める」ってことをしなくなったなあときづきました。

褒めて伸ばさなくてもこうして自分で自分の成長をしていくし、すごいすごいっていつも言われてたら、私だって多分疲れちゃうかもしれない笑笑。

 

大人が子供に褒めるってなんとなく、下心を感じちゃう私はひねくれてるだけだろうか笑笑。

少なくとも私が受けて来た、褒めて伸ばす、教育法はそんな感じでした。そして自分もそうして来ました。でも、そうじゃない今、褒められるとそれなりの反応しないとならないし、いがいとたいへんかと。

 

寄り添ったり、いっしょにたのしんでるほうが、その子の興味の方へ進んでいく気がするのです。

「みてみてー」の、問いかけにも必ずしも「すごいねー。」とか、リアクションをおおきくする必要もなく、ともに今を楽しむだけでもいいことのたくさんあると、最近感じています。

 

大ちゃんは自分のことが好きだよ、と話してくれたことがあります。

なんで?と聞いたら「すごいから」と答えました。

だからと言って彼は自分ができることを人に自慢するわけではないし、他の人がこれすごいでしょ、といった時に、へーすごいねえ、って素直に思える感性も持っています。kくんは虫のことが博士ですごいんだよ、とか、こゆが〜できるようになってすごいねえ、とか私にシェアしてくれることのおおさからもかんじています。

 

このすごいという言葉の表現は、「一つずつ自分ができるようになって行く過程を、自分で認めているから生まれた言葉」なのだろうと私は感じています。そんな自分にワクワクしているというか、そんな日々の積み重ねを楽しんでいるというか。

 

昔の私は褒めたり、大げさなリアクションで子どもを持ち上げていました 苦笑。でもそんな自分をいつの間にか卒業し、いまはそうでないじぶんで子供達との日々を過ごしています。(時々癖が顔出すこともあるけど、でもその時は、あ、顔だしたって思えるくらいの自分の行為の不自然さを感じられるようになりました。それがまた自分で面白かったりもします。)

 

気づきが思いになり、いつのまにか行為が変わって行く。

自分の育ちの癖で、自分の思ってることと表現してることの矛盾で疲れていたけど、こうして、時間をかけて行為が変りはじまるんですねえ。。

 

共感してすごいねえっていうのは褒める、とは違うと思うし、これからも私は褒めない人でいつづけたいなあと改めて思った出来事。。

 

気づきは日々の暮らしの中に、日々の会話や出来事の中にたくさん転がってるんだなあ。。きっとこれからもっと気づいて行く日々を積み重ねるんだろうな。

 

それが私の我が子との、家族との暮らし。親育ちにも夫婦育ちにも多分終わりはないのだろうと思います。

肩の力を抜いて生きていきたいなー。(難しいけど笑笑)

 

 

娘4歳、野菜を切って炒めて。包丁の使い方から全て大ちゃん仕込みです。今日初めてほぼ一人で作り上げたおかず。彼女のできる量なので本当にすこーしをみんなで分け合っていただきました。美味しかったな。

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お料理といえばエプロン。可愛いって思うのがいつも柄物、笑笑。柄物でお洋服の上下になってたりして慌てて型紙変えるのだけど、いつか落ち着くのかなあ。

とりあえずマルシェのご縁を願って作りだめしとこう。

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誕生日。

を迎えました。

1月も前から息子がパーティメニューを考えてくれて前日からかいだし、仕込みと続いています。

 

メニューはチーズパン、サラダ、チーズケーキ、抹茶大福と抹茶ラテ。

自分でお金出して材料揃えて、レシピ本みながら一生懸命作ってくれたもの。

 

前日からあんこをたいて段取りも組んで。

あんこのたける9歳男子。

フライパンでチーズタルトも作れます。

 

お世辞抜きで美味しくて、多分、すでに喫茶店できると思います。

なによりも私はもちろん家族に喜んで欲しくて作ってくれたお料理。

大きなプレゼントに母ちゃん、泣きそうです。こんな9歳になってくれること、想像できなかったな。

ありがとう。

 

私も母として、人として、成長できているのだろうか。

子供達には敵わないけれど、歳をとるごとにいつまでも成長していこう、そう感じた誕生日。

 

ありがとう。

今年も心が大きくふかくなれるよう目指して生きます。

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我が子に寄り添うということ。

大ちゃん9歳。

近頃の彼は大好きなことを自分で形にして行く。

もちろん誰かの手を借りながら。

 

昨日、通ってる幼稚園でリサイクルバザーがあって、お小遣いを持って出かけた。

私もみにいってみると、彼の手にしていたのは、ベトナムと日本を行き来するお友達のお母さんが持ってきてくれたライスペーパーとシナモン。そして小さな小さなミルクパン。

 

おもわず笑った。ああ、本当に料理が好きなんだなあと。

ミルクパンはバターをとかしやすいどこぞのブランドものだそうで、いいものだそうな。

可愛がってくださる方に、とメモを添えてくれた出品者の方の想いの通りに、可愛がってくれる息子の手に届いた。いつかこれをバックパックに入れて一人で旅に出るのだろうか。そんな思いを馳せながら。。

 

先日のリサイクルでも、圧力鍋のスープレシピが欲しいから50円、貸して欲しい、って頼まれたっけ。

 

小さな頃から好きなことにしっかりのめり込めること。

これって大事な人生の積み重ねの時間。昔の子どもたちがどうか走らないけど、近頃のお子さんとせっしてるとその時間は少なそう、ちょっぴりそう、思います。

 

今日は私の誕生日パーティーをしてくれるということで、昨日は張り切って買い出し。

買い出しは一人で行きたくないから付き合って、というので、ちょっぴり重い腰を上げてお付き合いする。ここは寄り添うところだな、と自分に言い聞かせながら。

 

我が子に寄り添うということ。

近頃、めっきりわざわざ外に出かけて自分のやりたいことにかける時間が減った。

そうしたいとおもわなくなった。

 

多分五年前くらいまではそうしていたのだけれど。

なぜかというと、今大切なことを自分に問いかける習慣がついたから。

 

子供達の、いま遊びたいという気持ちを削いでまで、街に出かけ勉強会に出たり、買い物に行ったり、自分の趣味探しをしたりすることがなくなった。

ちいさな子どもたちをたしなめてまで、今、するようなことでもないし、この子たちとともに暮らす今のおおくを、子供に付き合ってる、って思うんじゃなく、私が自分の時間に変えて行きたいと思ったから。

 

今という時間、こどもたちといることに腰を据えたいと思ったから。

 

それを気づかせてくれた先輩家族たちを見よう見まねで始めて、試行錯誤で実行してみること五年。いろんなことがありました。

あーもう、自分の時間が欲しい!!

 

そのたびに自分が今どう暮らしたいのか、自分に問い続けました。

今しかない我が子との時間、この人たちにとって4歳のこの時間は今しかない、これを私とやりたいこの時間も今しかないのだと。毎日同じことに付き合ってると思ってきたこのことも、そうおもいながらお付き合いするうちに、ふっと、我が子自身にとっては昨日と違う喜びに溢れてるんじゃないだろうかと気づかせてもらった。

そうしたら同じことの繰り返し、じゃないんだっておもい、日々の積み重ねの大切さがふに落ちて行きました。

 

彼らが私と一緒にいたい、やりたい、私にみていて欲しい。これらの欲求をできる限り満たすこと、これね、私が子供の頃、叶えてもらえなかった思いだったんですよね。

専業主婦だった母、一緒にいてくれたはずなのに、残念ながら、私が思う愛をほぼもらえなかったと思うわけは、きっと、母の気持ちがまっすぐと私に向いていなかったから。母との関係は大きくなるにつれ全くずれて行き、修正がまったくきかなくなりました。

子どもの話を聞くちからを、私たちが小さな頃から積み重ねる練習をしてこなかった母は、私たちが思春期を迎えると自分の権力で動かすことが不可能になった、という結果だったのだろうと、今考えると思います。子ども、だった私は母を悲しませないようにいつまでもしてきたけれど、母に本音を言うことは一度もなかったのです。もちろんこれも母の育てられ方、母なりに精一杯私たち兄弟と接してきたことですから、仕方がなかったことなんですけれどもね。

 

私が、四年前衝撃的な経験をして以来、そう言う自分の育ちを何年もかけて振り返り整理して子どもたちとどう向き合うか、今も考えこうどうにつなげていっています。

 

寄り添うって、何かを与え続けることだけではないんだって最近気づきました。悲しい時にそばにいること、見て、って言われた時にちゃんとみること、読んでって言われた時に読んであげること。これはなんとなく、与えていると言う表現もできるかなって思ってこの言葉を拝借したのですが、例えば、今日のように、幼稚園に今日は一緒に来て、といわれて、一緒に行ったけど、着いた途端大好きなお友達と二人で遊んでる。二人でいいから、といわれはなれていくこゆをみおくり、そうじをしていました。でもね、だから明日は私が一緒に通わなくていいか、って言うとそうではなくて、常に一緒じゃなくても、一緒に通って来て欲しい、って思いを受け止め、とりあえず一緒の空間で1日を過ごす。そういったさじ加減を調整して行くことも寄り添うということなんだってふっと気づいたのです。

 

一緒に通いたいっていうから、ずっとそばにいたらいいのかっておもってたけど、こゆが集中して遊んでる時間にこえをかけてしまうのは邪魔してることになり、寄り添うことにはならないし、でも途中でお店やさんやってるからきて、ということにちゃんとからだをむけるとか、ふっと彼女が不安になってることを察してそばに身を置くとか、そのさじ加減が出来た時に、見守れてる、よりそえてるってことになるのだと思うのです。

 

これって難しくてね。ただ一緒に暮らしてて、彼らが本読んで、って言語化してくれることだけを聞いてるだけではできるようにはならなくて。だから、今でも私は、大ちゃんとこゆとのかんけいは成長途中。常に成長し続ける彼らに寄り添える母になるためにはいつまでも積み重ね続けるしかないんだと思うのです。

 

そばにいるだけではなく、やっぱりこころをいれて、向き合っていく、その積み重ね。

四年前までの私は実いつだって、自分がこう考えてる、こうしてる、「自分が自分が、」って自分の思いの上から子どもたちをみていたから、彼らの真意を見つめることができなかったのだと思います。

 

最近お友達ママが、彼女の子どもの行為がなんだかよくわからない、って話してくれたことで、いま、私と子どもたちの関係の中にそういう不安定さがなくなってることに気づきました。

 

いろーんなことがあるけど、わからなくなる前に、ここで自分が気づく努力をするために、しっかりこのこにこころをむけてみよう、ってしてみると、今ここでこういう行為になっていった理由がゆっくりと想像できる、見えていくことが経験としてわかったのです。

少し大きくなった大ちゃんは時々言葉で答えたりもしてくれます(大人でも言葉にすることって難しいことがあることを忘れずに、きくようにしています。)。

 

少しは寄り添えるようになったのかもしれない、とふっと自分の成長を感じました。

 

今はね、いろんなことがあるけど、この子との関係の基礎を感じるのです。私が寄り添うのをやめたらもろくも崩れて行くだろう信頼関係の基礎。でも、私は、この基礎がある心地よさを今、しっかりと感じているので寄り添い続けたいと思うしこれからもそうあると思います。この子を信じられるって気持ち、守っていこうという気持ち。

 

この言葉で表現しきれない安定感のある土台は我が子との小さなうちからの積み重ね、いつも先にいる素敵な先輩家族の中にあったものはこれなのだろうと、自分がそこに気づいて知りました。

 

私の大好きな先輩家族は毎日ふとその人を見ると、家族の誰かがそばに来て一緒におべんと食べたりおしゃべりしたりしているんです。子どもさんも思春期なのに、友達がそばにいるのに、ちゃんと家族でいることがしぜん。

 

我が子に寄り添う、旦那さんに寄り添う。自分にも寄り添う。

家族同士寄り添う関係がこんなにも心地いいってこと、私は知らなかったから、昔、毎日家に帰りたくなかったんだな。親といるのが恥ずかしかったんだな。

 

母として成長に合わせて我が子との関わるさじ加減を考えて行くことは、小さいうちからの関係の積み重ね。もちろんこれからも大ちゃんとのこの調整は続くけど、一人目ちゃんだけで必死だった頃から少し成長できた今、今度はこゆにも全力で向けていこう、そう思います。

 

きっと10歳までに出来た関係がこれからの全ての基礎だと思うのです。

もちろん今でもしっかり気持ちいい関係をかんじさせてもらってるけど、こゆが私のために、頑張ってくれてるのかもしれない。それじゃ負担の針がいつかは振り切れちゃうからね。真剣に寄り添っていく努力をしようと思います。こゆが10歳になった時に、ああ、この関係は不動だな、そう思えるような日を迎えたいから。そしてね、子どもの頃も楽しかったな、私や旦那さんと暮らせてよかったなって思いながら生きていってもらいたいから。

 

いつだって明日は何があるかわからないし、私や私の母が小さな頃から感じて来た涙が出るほどの悲しさ、くるしみをこの子たちの代に伝えていきたくないから。

 

今、我が子にとって私たちができることを真剣に考え積み重ねて行く。寄り添って行く。

彼らが幸せに生きようとする足どりはかけがえのないもの、未来の希望だから。

 

大ちゃんの作るご飯。

野草も料理できるし、レシピみてなんでも作る。

センスもいい。

よく個性を、長所を伸ばそう、っていうけれど、これも経験の積み重ね。

子どもが自ら好きを極める時間を見守っていくことのかけがえのなさを感じています。

そういう気づきをくれてありがとう、美味しいご飯にフリーな時間といういくつものプレゼントをもらいながら思います。

私も母として成長して行くからね。

ぐんぐん成長して行く大ちゃん、見失ったら、守ることができなくなるから必死で追いかけて行く日々。その中に私の成長があるのだと思います。

 

子どもたちと過ごす日々は自然の中のように同じ日々はありません。どんどん世界の広がるこどもたち、私の小さな心を変えて行く(しかない笑笑。)日々、人生を豊かにしてくれる子どもたちに心から感謝をして。

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春夏パンツ、オーダーできたよー。

真冬のパンツを頼んでくれたお友達がこれからの時期のものをオーダーしてくれてました。

私も一応母なので長くきれて本人に似合いそうなものをと考えること一月。

今回はひとつきもかんがえてました。おそくなってごめんね。

 

でね、子供服は基本的に一年でサイズアウトしちゃうし、動きやすいニットで作ることを考えるとできるだけ長く、春と夏、着れるもの。

そして本人のご希望はアカレンジャー、笑。

男の子なのでそうなんだけど、男の子!!ってかおのお子さんなので男子っぽいかんじで、あとはちょっぴりお尻の大きい男の子なので余裕のあるおしりのおおきさで。

 

昨日の朝ふと思い立って作ってみたら可愛かったー。。

何かを作るときはこのタイミングが大事ね。

 

くしゅくしゅポッケのハーフパンツ。スパッツとわんせっとにして春夏対応可能。これオーガニックコットンで気持ちのいい生地なのです。気持ちも緩むかな。

入れたい要素はぜんぶいれました。

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娘ちゃんの身体借りて着画も。

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これも欲しいって。。。。リクエストにお答えしていたらこゆの服だけで100着になります笑。

 

気に入ってくれたらお嫁に行きます。彼の毎日を見守ってくれますように。気に入ってくれるといいな。

オーダーありがとう。