日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

その17 日本という国の持った豊かさ。

ふーっとね、おもったことがあります。

 

先日、ナーン県にある山から滲み出てる水を煮詰めて塩を取り出してる作業村で塩を手に入れました。シンプルに煮詰めただけの塩は、しっかり乾ききっておらずずっしりで味もからみが強くない。でもその素朴さと、ここの土地がどんな場所かなんとなくわかってる安心感でありがたく分けてもらってきました。塩がローカルなんて私には初めてで嬉しいこと。

 

そしてね、いつもサハイナンで黒糖を使います。タイで取れたブロックのままの黒糖。調理に使うにはちょっぴり手間がかかるけど、この国で取れたものってありがたい。そしてローカルな野菜たち。ゴマやピーナツもローカルなのでここではありがたくいただいています。

 

パパイヤ、バナナ、マンゴー、ジャックフルーツ。一見すると日本人である私には果物だと思うけれど、これらは未熟なまま摘果して、野菜としてもいただきます。スープにも、サラダにも、炒め物にもなる。

 

ああ、タイって豊かな国だなーって思ってふっと、日本を思い出しました。日本もね、とっても豊かなんじゃないかって。

 

お米がとれ野菜がなる。木々と川がありどうぶつがいる。四季がある。塩だってお砂糖だって取れる。私が住まわせてもらってるのは、それをローカルにしても成り立つ、北海道だし、日本には、人間を生かしてくれるものが全て揃ってるって気がついちゃったんです。子どもたちが遊ぶ自然があり、私たちを癒してくれる景色がある。食べ物も実は豊かなんじゃないかなって思うんですけど、食料自給率40パーセントっていうのは何かの間違いなのでは???、って思ってしまうくらい。

 

食料廃棄率が世界でも特に高いって本当かなあ。とりあえずコンビニでバイトしていた頃はたくさん捨ててました。それが動物の餌になるとしても、ケミカルだらけのものを食べた動物のお肉を頂きたくはないし、自分が育てたものが廃棄されるとしたらとても悲しいし、自分を大切にされてないようで多分嫌になると思う。。自分で育てた野菜で作ったおかずが腐っちゃったからごめんね、と言いながら畑に巻くのとは全然違う気持ちだろうな。

 

この四季があるからいつも違うものが食べられて、野草のような毎年一度あえる自然からの贈り物を嬉しい気持ちで愛でることができるって思ったら、廃棄になってしまう食事のシステムを変えた方がいいのだろうなと思います。今できることはしてるけど改めて自分に何ができるかなあ、と考えてます。

 

暖をとるエネルギー源となる木々だってある。それを育てられる経験を持ってる方がいる。水が豊か。水が豊かということは生き物が生きられるということ。それは安心という心の豊かさにつながる。

 

八百万の神というように日本の自然を守ってくれるかみさまがいたんだよっていう感覚、旦那さんとともに、私たちなりに最近感じています。心の忙しさで神さまが守ってくれているということを忘れちゃならないなと感じています。それでは心の穏やかさを持った日々を自ら失って行くきがしていて。

 

そしてね、サハイナンに来て、日本の文化が好き、って行ってくれるいろんな国の方に出会います。アニメや伝統食、自然、察する文化を持つ人々。車のように日本人の繊細さが生み出した技術。

 

もっともっと、ここに書ききれないくらいたくさんたくさんあります。日本の素晴らしさをもっと語り合えたら、もっと意識し合えたら、もっと住みやすく生きやすくなってゆくのかなあ。。

 

わからないけれど、もったいない!!なんだかもったいない。もっと自分たちで暮らす知恵を持って助け合えたら、日々に安心がもてるのかなあって感じてます。そうしたらもっとみんなが優しくなりあえるのかなあって。

 

実は日本はとっても豊かな国。だからそんなとこに住む私たちはきっと、もっともっと、優しい存在なはずなのですよ。うん、きっと。

ちょっぴり旅行。

というわけで旅に出てます。タイの北部からラオスの端っこへ。

 

ナーン県から国境超えて。トウクトウクとバスで、サハイナンと同じような、竹の手作りの家の集落が点在しています。人々の暮らしと表情が見えるのが好きで、観光地には行ったことがないです。そしてね、子連れでバス頼りで移動している私たち、ちなみに旦那さんが慎重派なものでその村を訪ねたことはありません。

 

化粧っ気のない素顔で、土っぽい服を着て生活をしている人たち。子どもたちは木の棒できのみをつつき、朝は庭に焚いた焚き火の周りに人が集まっているようです。標高も高いので寒くて、上着を忘れた私は旦那さんのフリースを借りているところ。

 

そんな山道を通るものですから車に座っていてもお尻が右へ左へ揺れてゆっくり座っていられない状態 笑。Hongsaという小さなコンビニもないような街について、ゲストハウスを当たって一泊。お昼は持ってきたカオニャオと日本のふりかけ笑、夜になる前に屋台でご飯です。

 

小麦粉の麺はとってもジャンクそうだったので、明日の移動を考え、いつもの米粉麺、クイッティアオ。多分、化学調味料は入ってます。けれども一緒に入ってるお肉は毎朝時間をかけてとろとろに煮込んでいる小さな村の屋台。手間がかかっているのに化学調味料、勿体無いなあっていつも思います。おばちゃんがあとで持ってきてくれたから、この写真には写ってないけどこれに葉物と豆とチリとハーブという生野菜が付きます。

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トラディショナルなこういう食生活。肉を取った分、ハーブやニンニクが消化を助けてくれるのだと思います。野生の木の葉っぱもたべます。サハイナンでもそうだけど、こういう食生活をしながら身体を動かす暮らしがココロとカラダのバランスを取ってくれるのだろうなあって感じています。そして川に入り水を浴び、森の中で音を聞き、素足で歩く。風の音を聞き、自然に敬意しめしながらくらす、そのすべてが動物が生きて行くには必要なものな気がします。

 

もう少しかきたいけど、この続きはまたにして旅の話。夜になる前に宿に帰り、beerlao(ラオスビール)とタイの銘菓、ココナッツロールというお菓子を買って、旦那さんのお誕生会。いろんなお菓子が入ってきているけど、この伝統菓子は、結構シンプル。米粉と砂糖とココナッツとパンダンの葉。米粉なのが嬉しいのと、今はやりの甘ったるさがなくてこどもたちほおばります。

 

で、夜になって、次に来るときはもっと田舎にステイしたくて、パソコンで調べました。けれども、、、、小さすぎて地図が出てこないんですねえ。。私たちがいるとこすら、出てこない。地図にも載ってないんだなあって改めて実感します。子どもたちがいるから無茶できないけど、次は今朝通りがかりに見つけた小さな村のゲストハウス、突撃してみようと思ってます。

 

タイとラオスとまた微妙に言葉が違うので、英語が通じないのとバイクで移動ではないのでちょっぴりハードルに感じてしまったけど次はそうしよーっと。

 

夕方、屋台のおばちゃんにどこからきたのって聞かれて、タイ語で「 イープン」、って言ったけどつうじなかった。今日もしもあえたら、次はイープンロット(日本の車)、 ホンダ、ミツビシ、トヨタ、って言ってみよう。違う国で、ホンダ、三菱、トヨタの中古がバンバン走ってる。日本ってすごいなあ。。。。

 

こんなのもめちゃめちゃ美味しい。カオマンガイの豚肉バージョン。カオカームー。豚肉に卵手作りで、野菜はおひたし。これにチリソースがつきます。屋台はそれぞれのおばちゃんの味。もはやファミレスはレトルトだからこういうのってすばらしいなあって思います。

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あがりまくってますが、個室の前に、休憩テーブルがあって子連れにはありがたい。ここで買い込んだものを広げてます。

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その15(我が子と過ごすひび。彼らが教えてくれること。)

コユのこと。

 

最近のコユは頑固一徹。親に気を使って来すぎた私と違ってがんこをおしとおします。もう何を言っても譲らない。

 

昨日はそれに耐えられなくなり、私がはらをたてっぱなしだったので、喧嘩したり、私がランナウェイしたり、ぶつかりまくって1日が終わりました。

 

そんな1日を振り返り、私はどうしたらいいのだろうって考えてます。頑固一徹とはいえ、優しいコユはたくさんの気を使ってることも知ってます。だからそれでも自分を主張できるって素晴らしいなあって思ってる私もいます。

 

そもそも私は何に腹を立てていたのだろう。。と思い返してハッとすること。私が食べて欲しくないものは食べるのにご飯は食べない、とか、私の話を聞かずに意地をはる、とか、考えてみたら、私が勝手に気をもんで自分の思いを押し通そうとしていただけなんじゃないかって。


昔の私はそういう主張ができなかった。でもしたかったのだろうな。安心できるからそういう表現ができる、そういうことなのかもしれません。ここで私も意地を張ってもなんの解決にもならず、コユが持ってる自分らしさを失ってしまうことになるかも、しれない。コユはもうすでに優しさもユーモアも十分にもったひと。


それを信じて受け入れること。嫌なことは嫌と伝える、けれども家族一人一人を信じているからこそ、だまって受け入れる必要が母として、妻としての私にはあると、今は感じています。ただただ受け入れること、今日も、また一つ器を大きくするための修行。

 

私もあなたもまだまだ育ち盛り。「まあ、いいや。」を増やしていきたい今日の経験。


彼らに対してひていせず、怖がらせず、怒らせず。それが私にとってもじつは一番の楽な方法なんですけれどもね。私が柔軟ならば、頑固さも解きほぐせるはずですし。私自身がそうありたい方に行動に移す癖がついてないので今はまだ難しい。


頑固一徹。それだけ自分に自信を持てるコユが羨ましいなあ。そんな娘から力づくで教わったこと。今日も育ててくれてありがとう。

 

コユと大ちゃん。それぞれの畑を作った。思い思いのたねを植え、耕した畑は 賑やかすぎてどうなるのだろうか?という感じだけど、大きくなあれと、トトロのワンシーン。毎日毎日おまじないをかけてぐんぐん育ってます。かわいいなあ。。

 

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その14 こどもたちのこと。

子どもたちのこと、あんまりかいてなかったですね。子どもたちの日々は同じ場所で過ごしているけど毎日楽しそうにしてます。いつでもアウトドアのなかにいるので、遊ぶことにはことかかないようで、木登りしながらおやつ食べたり、水遊びで流れた水でスライダーしたり。

 

自然の中は遊びの宝庫で、車の止めた場所により洗車ついでにスライダーになったり、稲わらを集めて来た場所がトランポリンになったり、干上がった池が魚つかみ場になったり、子どもたちの発想が次から次へと湧き上がって来ていることを実感してます。

 

火起こししてバナナ焼いて、ふと思い立って、うちのそばの盛り土を、こゆと大ちゃんそれぞれで畑にしたり。大人たちの生活スペースの中にいるので、料理をすることも、畑を作ることも、水道管のパイプで遊んだり、竹をナタで切ったりすることも、すべてかれらのあそびにつながってゆくので、面白いなあと思います。大人の真似もたくさんします。だからね、もちろんおもちゃなんて必要なくて。決まった遊びよりもどこまでも果てしなく遊びが湧いてくる、自然の中に日常があるってこういうことなのだと実感しています。

 

今を否定する必要もないけれど、昔の環境っていいなあってつくづく思ってしまうここでの暮らし。自然が遊び相手になってくれることも、習い事だらけになってしまうこともないから、うちを出れば誰か彼かが外で遊んでいることも、いい環境だなあって思いませんか?そうして子どもたちが遊んでることも当たり前だからなんとなくみんなが気にしていて、困っていても困ってなくても声をかけてくれて。

 

こゆとだいちゃんもここではそんな暮らし。村までは少し離れているので、年の下の友達と遊んだり、いろんな大人たちと関わったり。

 

村の子どもたちのいい顔は、こうした中で生まれたのだろうなあと感じています。いつも人の中で思い切り自分を出して生きていて。楽しむのが上手。少し空いた時間で何もなくても池で魚釣りしたりしているし、授業中も気楽にやっているので、おしゃべりやいたずらもしゅっちゅう。

 

この緊張感のなさは時間の流れのゆっくりさと、自分を楽しめるとこから生まれたものなのかなあと想像しています。

 

子どもたちの時間を見守れるような母でありたいと思うとともに自分を見直すわたしでした。

 

何度洗濯しても泥んこになる子どもたち、シャワーあびたのに、あしたのピクニックに向けてうちの前で洗車がはじめった。洗車で十分に濡れたのに、今度は流れ出た水のスライダーで泥んこに戻り、今日も楽しそうな人たちでした。おやつは傷み始めたバナナを使いたくて米粉を混ぜてパンケーキ。全部手で潰して混ぜて焼きます。火加減に手を抜きまくりでいつもうまくいかないけど子どもたちは大好き。いつでも外にいるからなんとなく人と過ごして1日がすぎる、村の人たちの日々もそうなのかなっておもいます。そんな日々。

 

今日はみんなのリクエストで大ちゃんのサツマイモ炒め。ハーブをたくさん使ったお料理好きの彼のおかずは逸品です。コユもお手伝い。ありがとう。

 

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その13(便利さゆえに、身体に合わない暮らしをしているのかもしれない、ということ。)

私の冷えの話をしようとおもいます。

 

漢方を飲んでも、腹巻きしてお白湯をのんでも、お灸をしても、幾らかの期間筋トレしても全然改善しなかった冷え。それどころか、今の不調はほとんど冷えとストレスからきたものと、かんじています。

 

個人的なことになりますが、その原因は、親との緊張関係による血管の萎縮、腸の萎縮による便秘、ストレス発散による砂糖の取りすぎ、親の期待に応えて過食傾向だったということ。。。

とみています。漢方を2年以上も飲んで本を買っては冷え性の改善のためのピンポイントを制覇して。。。

けれどもね、どれを読んでも、全体的な生活習慣の改善は書かれていなかった気がするんです。私に響かなかった、といった方がただしいかな。

 

甘いものを控える。と書かれていても、この癖はすぐに治りません。だからすぐにリバウンド。知識ばかりが増えて行きました。

 

控える、というのは甘いものを断たねばならない、ではないと思っています。無理をしないで三年はかけて控えられるようになって行く。今の私は毎日疲れて食後に甘いものを欲していた頃とは変わってきています。やっと、今はなくても大丈夫。

そして食べ過ぎることもほとんどなくなってきました。美味しいものでストレス発散しなくてもいいから。でもこれもまだもう少しかかると思います。ゆっくりゆっくりむりせずに。

 

そうして身体が軽いことを知りました。だから動ける。と、同時に身体が暖かくなってきていることを感じられるようになりました。夏でも芯が寒かった身体が素足でもオッケーなくらいの暖かさに。

我が家のホームドクターの支えと、ここでの、自然な暮らしのおかげで大切なことを身をもって知りました。

 

そう、寒い日にアイスなんて食べません。日頃からたくさんのハーブをとります。サンドットさんは何に効くのか把握しきれないほどに種類があるハーブをとっています。野菜だけではなく、木の葉や花、実も。それもおしゃれにというわけでもなく、いつだってシンプルに。

 

でもそれが昔からの知恵なのでしょう。そうして日頃からとって、丁寧にカラダと、心とお付き合いして行く。昔は日本でもそうだったのでしょうか。忘れてしまった文化がもったいないなあと思います。

 

いつの頃からか身体に必要なものと、欲で欲するものがまぜこぜになってしまったのかもしれないと感じています。

 

すっかりみんなにジャングルガール。と呼ばれるようになりました。山岳民族の子みたいだね、村の人にも言われます。村長さんちのことはすっかり兄弟。

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こんなに思い切り遊んで7時には寝てる、10時間はひたすら寝続ける。そうして身体も心も休めて次の日にはまた遊び始める。彼らの日々はいつも楽しい。大人もこうして生きていけないものかな、そう考える今日この頃。

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その12(自然の中での暮らしは、ただただ受け入れるとしかないことがたくさんあるということ。)

24時間以上も続いたバケツをひっくり返したような雨。夜中にもざんざか降る雨にも目げず、その音を聞きながら眠る。

 

個人的には欲を手放せたら楽だろうなと思っているけど、欲を持たない方がいい、と言いたいのではなく、ここでの暮らしは、受け入れるしかないことが多いことに気づきます。

 

この雨もどうもしようもなく、家の中でできる仕事をしながら、雨がすぎるのを待つしかないんです。濡れてしまったら服が乾くのを待つしかなく、ただただ受け入れるしかない自然の中での生活。

 

ここでの暮らしを経験すること三年目、今年の大きな気づきは、ただただ受け入れるしかないことがたくさんあるということ。

 

日本で暮らしていた頃はお金で解決できることも多かったし、小さな頃から欲を叶えてもらうことに慣れていた気がします。だから小さな事でイライラしていたのかもしれません。

 

子どもたちが時々うるさーい!!って感じてしまう事、笑、せっかく出かけようと思ったのに車が壊れちゃったり子どもが熱を出しちゃたこと、自分の時間が取れなくてイライラしてしまう事、うまくいかない事だらけ。それを自分にせいにし、人のせいにし、何かのせいにするくせがついていたのだろうと思います。

 

これらがうまくいかないのは、私だからであり、でも決して私のせいではないのかもしれません。この雨と同じ、自然な事。自分が不器用なことも、人とのコミュニケーションがうまく取れない環境で育ったということも、全て、私にとって、ある意味、「自然の流れ」だったのかもしれません。

 

まずは目の前を受け入れる。受け入れてみたら、この雨のように解決の方法が見えてくるのかもしれません。

 

この雨は私に、ただただ受け入れるということを教えてくれました。ここの人が穏やかなのは、こうして自然の中で暮らしているから、ここで暮らすために、自然を守りながら自然と共に暮らしているから、どうしようもならないことを受け入れられる力が大きいのかもしれません。

 

昔の北海道で暮らしていた人は、死なない程度の寒さは耐えたのだろうと思います。だから身体を冷やさない食生活をしたり、夜も火を絶やさない知恵を生み出したり。ストーブ焚いた部屋でアイスを食べる醍醐味を北海道の人は持っているけど、それでも外に出ると寒いので身体にとっては矛盾を生じるのでしょうね。こうした暮らしがたくさんの病気につながる現代になってしまったのかもしれません。

 

私が漢方を飲んでも、腹巻しても、ツボ押しをしても冷え性が治らなかったのは生活習慣に問題があることに気づかなかったから。その話はまた次回に。。

 

子どもたちと夕飯を作ります。ロングビーンズ。

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畑から集めた野菜と一緒に。

 

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その11(ただただ待ち続けるだけの雨の一日。)

ジャングル今日は朝からひとつきぶりの大雨。絶え間なく降り続いています。壁のない我が家は雨の中の雨宿りの感じ。

 

日本でアパート暮らしの我が家はふた部屋と、小さな窓が3つ。北海道は二重窓になっていて、ここは昔の作りなので、内窓は曇りガラス。夏場は内窓をあけて日をいれますが、冬は凍りついてあきません笑。居間の窓だけは凍らないので時々日を入れますが。

 

そんな日本の普通の暮らしをして来た我が家ですが、ここに来るようになって三年目。雨のリズムをつかみ、この雨が何日間か続くことを予想して、万全の対策を立てる一日。

 

雨が続くと気温が下がるので、お茶を飲んで暖をとるしかないので、焚き火をできるようまきの準備。
洗濯物が乾かないので洗濯物を極力減らす。日中着るものは二日くらいきる覚悟で。洗濯したら、焚き火の上で干して僅かでも乾くように。

 

体温を下げないように極力服を濡らさない。(子どもたちはそれでも外に飛び出して行くので仕方ないですが。) 体温が下がらないように上着着たり、生姜茶飲んだり。

 

三年目の経験が生きて雨宿りの家を楽しんでいましたが、気づいたら雨漏りが!!!!!寝袋1つやられ、この雨が済むまで寝床が1つ、減ってしまいました。。でも旦那さんがさっと屋根に登って応急処置。って、さっと、ってここの人に少しは近づいたかな。。もう一箇所の雨漏りは蚊帳の上にビニールを敷いて応急処置をしています。どうにか乗り越えられますように。

 

風邪気味の私は布団に入って暖をとりつつ、雨音の響く森を眺めながら昼寝です。やはり気温の下がってきた森の中は少し心もとなく、動物たちが雨の日は外に出てこない意味がとてもよくわかります。これが洞窟だったならもっと暖かかったでしょう。

 

こうして、人にとってはちょっと厄介と思われがちな雨。でもこの雨はひと月続いた乾燥した大地を、潤してくれています。植えたばかりの苗に毎日水をあげていた私にとって、この雨が与えてくれるものの大きさを感じずに入られません。

 

昨日雨が降りそうなのを察して耕した畑に一気に種を蒔き、稲わらをしいた小さな畑にも雨は深くまで浸透していってくれているようです。水やりでは補いきれない地中まで染み渡る水を雨は余すことなく与えてくれています。この休みなく続く雨が硬い豆を売るかし、根を張り始めた苗に勢いを与えてくれることを実感として感じることができます。

 

この雨の後は、一気に植物が潤いをまし大きくなる。暖かいこの土地での雨は植物の育ちをぐんぐん、目に見える勢いで早めてくれる存在。

 

そしてまたその雨は、近頃泉からやって来る、水が減り始めた我が家の生活を支えるタンクも一気に潤してくれるでしょう。シャワー、飲み水、洗濯。雨は人間にどれだけの恩恵をくれているのだろうと実感せずにはいられません。

 

だからこの寒さも、身動きの取れない(滅多に降らない雨に対する傘の準備はしていないので)、この時間も嫌がることもイライラすることもなく、この時が過ぎるのを待つだけなのです。

 

便利ではない暮らしの中で、本当に必要な最低限のことはなんだろうって考えます。

 

いま、私がここでしている暮らし。

 

まきから火を起こし食を賄うこと。
暖かい時間を狙って、太陽光でぬるくなった水でシャワーを浴びること。その反面、寒い日は浴びないことも受け入れること。

少しくらい汚れた服も、臭わない限りつかうのに支障がないこと。
欲しいものは竹や木や葉っぱで作ること。(お皿、スプーン、古着から作る子どもたちの服も)
買ってきたものはブランケットとマットレス、わずかな共用の調理道具とタライ。おさがりの服。

 

 

おもちゃがないこの家で、雨の日の子供たちは、作り途中の土壁に、旅に出るお兄ちゃんからもらったビーズを埋め込み、食堂に集まったみんなとけん玉をし、雨漏り修理途中に旦那さんがとってくれた蜂の巣に目を輝かせ、いつまでも遊んでいます。

 

化学調味料が好きではないので食事はいたってシンプル。塩と油と、野菜と卵。そしてご飯。毎日夫婦で得意分野をする。旦那さんが家を住みやすくし、私は子どもたちの希望に寄り添いつつ、お願いして好きなこともする。今は畑作りが好きなのだけど、気づいたら子どもたちもやっていたりします。

 

日本で食べたいものがたくさんあった暮らしから、食べれるものにあふれていない暮らしをして、2年余りの時間をかけて、食べたい、ということも少しずつ減ってきました。この中にある食べたい、だけで、実は十分であり、身体にとってはそれ以上は負担でしかなかったのかもしれないということ。今の一日、二食の暮らしが、身体が軽くて楽だということも、そうして身体を使う暮らしが、心地よいからこそ、自分の身体がどうして欲しいかを感じられるということも。今、雨の中、風邪引いてる自分の体に対する不安がないのは、ここで暮らすことに調和を取れてきたからなのかなって感じています。

 

本当に足りない食材を買いに行く。週に一度だけカフェに行く。日常が家族と共にあり、人の優しさにふれ、家族それぞれが自分の好きなことをしている日常は、遊園地に行くよりも楽しい。ただただこんな暮らしの繰り返しに見えるけれど、新しい人や、ことに出会い、ふと自分が変わったことを感じられる、こころ穏やかな日常がすごく豊かで、私はこれ以上のない暮らしをさせてもらってることを実感しています。


自分がしたい暮らしをしていること。受け入れられることが増えていったり、時には受け流して行く力もついて日々成長している自分を想えること。健康でいること。家族でも、ともに食卓を囲める人でも、とにかく仲間がいること。

雨宿りのこの家での暮らしがどれだけこころ豊かかを、自分の中で納得しています。こうして「足る」を知っていく道を少しずつ歩んでいます。

明日は少し良くなるかなー、風邪。暖かくして休息をとる。ただただそれだけですね。

 

ジャングルクッキング。20人分の料理を作って、ハーブをたくさん使って味付けします。これがここでの伝統的な暮らし。食べ物と生活習慣と心のあり方が変わりはじめてやっとからだのひえがかわりはじめました。

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炭で歯磨き粉をつくりました。 

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炭を粉にしてペパーミントのオイルを混ぜてできあがり。

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