自分が成長するためのブログだけど。
自分が成長するためのブログ、トピックをつけてみます。
〜自分のために書いてるブログ〜
〜自分の思想を言葉にしてみる〜
〜私を変えてくれる存在〜
〜やっぱり全ては自分のため〜
〜自分のために書いてるブログ〜
はい、私は自分のためにブログを書いてます。
何かを教えようとは思ってなくて、ただ自分のために書いてます。
考えて整理してるうちにふに落ちるときがくる。
そうして気づいたら行動に変わり、そうしぜんに動ける人間になってたらいいなって思って。
それが、変わった時、なのだと思います。
だから自分の言葉で私はここが変わった、って言えるのは相当先だとおもってる。早くても三年後。
その時になって数年前を振り返って、ああ、楽になったな、って思えた時にやっと変わったね、お疲れ様ってもっと自分をハグできる。
ああ、わかった、変わった、って言ってるうちは頭でしかわかってないのだろうと自分に思ってる。
きっとよりよく変わるって独りよがりじゃ上手くいかないんだよね。
ちょっと変わった自分の姿が家族にとっても心地よくなければ、答えはそれではなくもう少し先。自分だけではなくその時々の家族の姿に応じて全く違う答えが出ることもある。
子どもが赤ちゃんの時、少し大きくなった時。子どもに対するうけとめかたやじぶんのこうどうがびみょうにかわっていくひつようがある。同じように旦那さんにもそう。赤ちゃんといるとあかちゃんを優先させたい本能があるからこそ、旦那さんへの気遣い方がある。
そしていつも忘れてはならないのは子どもが巣立って2人になった時、どう、パートナーと気持ちよく暮らしていけるかを思いながら今を積み重ねること。
それを踏まえて変わって行くこと。
家族のいる中で変わるって、そういうことも含めてる。
だから積み重ねの自分へのブログ。
〜自分で気づいちゃったこんな思想が好きだから言葉にしてみる〜
でも本屋さんに並んだ一冊の本みたいに自分が経験して気づいて、変えてみたら自分の好きな思想になってたりすることがある。誰かの支えになることもある。
誰かのために残します、なんて大層なことではなく、私がこれが好きだから、好きな人が増えたらいいな、って思うのでちょっとよみやすくなったらいいな、とおもって段落づけしてみます。
そして言葉にしてみようと思ってちょっと読みやすくしてみようかとおもいます。
〜私を変えてくれる存在〜
家族を思う暮らしが自分の人生を救ってくれました。
けれども、何をするにも、誰かのためではなく、自分のためだってことも見えてきました。
家族のための家事をしてるのではなく、私が、家族に気持ちよく過ごしてもらいたいから。
そして自分のためにいい塩梅に手を抜いてる。
子どもの人生の足を引っ張らない努力は、私が、自分が揺れて苦しくならないように小さなうちから自分はどうありたいか、時間をかけてかんがえつづけてほしいから。
旦那さんの優しさに気づく努力をするのは、私が旦那さんを大事にしたいから。ありがとうって思える日々は、自分との価値観の違いにぶつかったときも、仕方ないよね。いつもありがたいから自分が忍耐するのも大して苦じゃない。だからちょっと我慢して怒らずにはなしあおう。
旦那さんを大事にするってことは、自分を大事にすることも意味する。
子どもの主張がわがままだとか自己中だとか思わない日常。
子どもたちが親のために繊細な気遣いをしてくれてるのを知ってるから。
私にとって子どもの行為は全て愛があると思ってる。
朝、出がけにぐずぐずするのは、大人と一緒だよ。行きたくない日もあるでしょう、自分のとって好きじゃない空間であるのかもしれない。今日は行きたくないよ、ってメッセージ。
なんでも自分軸であるのは人間の本来の姿なんだとおもう。
これがしたい、あれが食べたい。ママと一緒がいい。ままはトイレも行っちゃダメ。あれしたい、これしたい。貸してって言われても貸したくない。これ食べたくない。
彼らの、今の声だから。
私たちと同じ、いましたいことがある。
ママは特別だから、一緒にいたいよね。トイレだってついて行きたい!
今日の気分はカレーだもの。カレーが食べたい。それと、栄養バランスではなく、体調で食べたいモノが決まるのは子どもの方が得意だと思う。
おもちゃだって今楽しいのに貸したくないよね。10分経ったら交代。私にとっての10分と我が子にとっての10分は同じなのかな??それにね、待つ方も、自分が待ってもらった経験をしてきた子は、大人が時間を決めなくてもまてる。相手が小さい子ならかなり長い時間待ってくれるよ。大きい子なら、もうちょっと短いかもしれない。相手の状況をちゃんと読めるようになって行く。大人が人の目を気にせず、急かさなければ、待つことも譲ることもできるようになっていくもんだ。
これ食べたくないなら、無理して食べなくてもいいんじゃない??っておもう。大丈夫、栄養足らなくなって病気になったりすること、相当こだわり強い子じゃないとないから。じゃなきゃ食事も楽しくない。私は酢昆布が嫌い。ニンジンが嫌いな人もいる。ニンジンじゃなくてもカロチン取れるから、笑。
しなくちゃいけないを手放してくれる宇宙みたいな存在。
そしてね、子どもは自分勝手だと思う概念を外すこと。
「子どもに何かを教えれば、それを見つける機会を永遠に奪うことになります。」ージャン ピアジェ ー
私はかの考えに共感しています。彼らは大人が思うよりずっといろんなけいけんをしかんがえています。そして柔軟に対応できる力を持ってる。
そして彼らの愛の深さはとてつもなくおおきい。まるで宇宙。
親がいくらあれていても、その家庭環境に慣れようとするし、親を守ろうとする。大人が子どもをコントロールしない、敬意を持って接する、そんな感覚が世の中のしみわたれば、親を守って亡くなっていく悲しい虐待被害が減っていくのかな、と思ったりもします。
〜そして全ては自分のため〜
話はそれたけど、結局、何をするにも自分が心地よく存在するための作業に過ぎない。
もうちょっと読みやすくしてみようかな、そう思います。
そしたらもっと心地よくなるかも。