日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

Shall we try no shopping?

ここで身につけたこと。
買い物に行かない、でくらすということ。
自分で車を出していけないから、どうやって人数分の食料を確保するかいつも考えてる。
市場フードはわずかしかないからね。
ここ数日、わたしがキッチンを任されてるので、一品は市場から買って来てくれた野菜で、もう一品はいつも頭上と足元を見て食べるものを探してる。
時々ライスハスクマシーンが壊れるので、ご飯が炊けないこともある。15人分の腹を満たすにはどうしたらいい?


いつも歩く時はまわりをみわたす。
足元、頭上、収穫を終えた畑からコボレダネでできた小さな葉。
それを意識してこどもたちと散歩に出かける。
ほとんど刈り取ってしまったと思っていたけど、バナナの花を見つけたよ。
子どもたちと肩車作戦で届かなければ、そこらへんでボッコを見つけて突き落とす。
2日前に摘みきったはずの食用花が一気に蕾を膨らませてるのを発見。
こないだ道端で見つけた四角豆のコボレダネが花をつけてたはず。。と確認しに行くと食べごろ〜。
今日もフードゲット成功。
これに畑からさつまいもの葉っぱを取って来て混ぜて野菜炒め。
それでも足りないから熟すのを待ってるグリーンバナナをもいで、バナナカリー。


汁物をたくさん作れば米が少なくても大丈夫。
みんなで分け合う。


我が家の持ち物は服が3組、タオルが3本。寝袋4つ。
トイレは水しか使わないからティッシュはない。キッチンは共同。鍋は金属だけど何年もつかえるし、お皿は食べ終わったココナツで作ったボウルと竹で作ったスプーン。壊れたら森に返す。キッチンで洗剤がわりに使うのは、まき調理ででた灰。お皿から洗い流した食べ残しを鶏が食べにくる。
着古した服が頭巾にも(森に入る時に皮膚を守るため)布巾にも紐にもなる。使い終わったライターのプラスチックを溶かして接着剤にして道具を治す。


滞在したウエスターナーの若者が残していったゴミ(真っ黒になった服とか、ペットボトルとか、ライターとか)がここではほとんどが使えるものに生まれ変わる。ペットボトルはホースとつないで自動水やり機になる。
私たちがどれだけものに囲まれているか、(それがありがたいことでもあることを含めて)かんじてる。


物を買わない暮らしの中に知恵が詰まってるなあといつもおもう。


食事の後、久々に時間をかけて子どもたちとお散歩。
うちのことオーナーさんの小さな息子たちとぐるりとあるく。
タイ語と英語、日本語混じりで冒険。
クロアリの大行列だーと息子が言うと、シーデンデンと小さな声が追いかける。タイ語でも同じこと言ってる、笑。
コミュニケーションは言葉だけじゃない。
英語を習う前にみんなそれを知れたらいいのにな、とおもう。


コミュニケーションっておもしろい。


崖っぷちに石を投げ、ありんこのぎょうれつをおいかけ突っ込みその列を乱し、笑、さらすなを見つけて砂時計を作って遊ぶ。
みんなで熱中してゲラゲラ笑って、それが次の関係に繋がって行く。お互いのことをなんとなくわかってるから、相手のことを察したり、一つの単語から相手が言いたいことを想像しようとする。相手の今伝えたいことをわかろうとする。


優しいコミュニケーションだなあっておもう。
それを子供達から改めて学びます。
頑張って英語を勉強する必要はなくて、自分ができるようになりたいって思った時に初めて、入ってくるんだと思う。


学ぶことって実はとっても楽しいことなんだよなあ。

 

黄色くなったバナナはないかな?バナナの花はとりごろかな?

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こぼれだねはないかな?あぜのくさはたべれないかな?

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キッチン前のスイング。一本の木を割ったもので、去年これにぶつかって頭が凹んだねえ。今年はここから落ちて石にごつん。

どこに危険があるか自分で察して動いてます。危険を察することで生き延びて行ける、命に関わらない限り大人が禁止をしない、大事な経験だなあっておもいます。

今はきっと、わたしより子どもたちの方が危険察知能力が高いかもしれません。

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