日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

私の天職。

今週頭から橋本病のだるさが出て、午前中だけちょっと無理して、娘のお楽しみごとにおつきあいし、午後から「すみません。母ちゃんは辛いのでもう寝ます。妹のことをよろしく頼みます。夕飯は遊びの状況でご飯だけ炊いてもらって食べるだけでもいいし、まかせます。よろしくね。」とばたんきゅー。

 

子供たちははいはーいと遊びながら返事をし、わたしはそのままばくすい。

気づくと、圧力鍋の音と室内で野球で盛り上がる声が。。。

「うったー!打った球は高〜く上がって、、、、、。」って大騒ぎで野球をしてた。

ご飯炊いてるのか、って思いながら台所にも目をやるとストーブの上にお味噌汁の鍋とにんじんのしりしりをつくってるなべ。

 

生活のことをこなしながら、自分たちの遊びも怠らない。

申し訳ないな、って気持ちも一気に吹き飛び、ただただありがとうの思い出子どもたちに声をかけまた休みました。

そして目が覚めて2人を見ると、今度はデザートまで作ってデザートパーティしてる。。

もうすごいとしか言いようのない技。

この状況でここまで楽しんでる。

 

大ちゃんがここ一年くらい、ずっと行ってくれていたこと。

「お母ちゃんだからって辛いのに頑張ってイライラされるより、頼んでくれたらいいのに。」

 

子供達の時間を奪うのが申し訳なくて頑張ってしんどくて、イライラしてた。

でもあなたたちの時間を奪いたくないし、大事だし、って思いはしっかり感じてくれてて、気持ちよく暮らそうよって思いをちゃんと行動に移せていたのは子供達の方だった。

 

ありがとう。そう思って甘えられるようになった。

日々の中でできることを精一杯して、そこまででいいんだ、きっと。

彼らが教えてくれたこと、彼らに引っ張られ、「お母さんだからしなくちゃ行けない」から抜け出せた。

 

札幌での山暮らし、周りのおじいちゃんたちとの暮らし。わたしの体の弱さ、タイでの大人数の暮らし、コミュニティである幼稚園での赤ちゃんからおじいちゃん世代までの人との暮らし。

いま、むすこは必要なら食事をいつでもうちにあるものでなんでも作る。

まき運びもするし、誰かが困っていたら声をかけてくれる。

誰かが具合悪ければお茶やスープなど暖かいものを入れてくれる。

家族の中でも、たくさんのありがとうを口にしてくれる。親にとったら当たり前のことをしただけなのに、それにもありがとうと言える彼の気づきは優しい雰囲気を作り出してくれる。

そしてわたしがイラっとしてる子供にとっちゃめんどくさいような場面でも自分が間違ってたらごめんね、っていう。

娘も同じで。わたしが辛そうなら出来る範囲で生活を回そうとしてくれるし、誰かに寄り添ってくれる。

 

彼らが生きている環境全てが彼らを優しく強く育ててくれて、共に暮らしているわたしはかれらのその優しさをいつもいただいていて。

 

できないことをやめたら楽になった。

そして子供達のできることがふえ、彼らができることを知ってるからわたしが余計なことを言わないで済み、彼らはもっと自分の挑戦や冒険を楽しんでる。

 

もちろん、負担なこともあるだろうと思う。

でも負担な時は負担だからもっと少しにして、って言ってくれる関係になれたからいいんだろうなとおもってる。

なるべく負担になってほしくないとはおもいながら、でも、わたしができないことが多めということは結構いいこともたくさんあるのだと知った、今日この頃。

 

日々の中で家族との関係を深くして行く努力を怠らなければ、お母さん休めももり込んだほうがいい。

 

そんな我が子との経験に感謝して、わたしは、そうおもうのです。

あー、最近うつうつしてるしなんかもう今日はご飯も作りたくない!!そんな日は「すみません。お母ちゃん、辛いんで半日寝ててもいいですか?ご飯だけでいいんで炊いておいてもらえるとありがたいんですが。よろしくお願いします。」って丁寧にお伝えして、休んで少し元気になった気持ちで炊いてくれたご飯を頬張れたら我が子の強さと優しさを感じて、うるさく言えることが減って行くと思います。

 

そうしてお互いに暮らしやすくなって行くかと。

家族ってありがたいもの。でもその関係は日々積み重ねて行くもの。

うちに帰るのが怖くて、居場所もなかったこどもじだいがあったからこそ、こんな風に気持ちのいい家族になって行くことに本気になれたのかもしれません。

 

つらかったことを受け入れるために費やした半端ないエネルギー、そして波は小さくなってきたとはいえ、時折それを超えていかねばならないけれども、こんなに大きな気づきをもらえた。

また波がくることが避けられないどうしようもない悔しさはなくはないけど、人生無駄無しだったのかもしれないとさいきんかんじます。

今の人生を大事にして行こう。

そうおもう。

 

秋を集める!

と、うちの庭で崖を登って落ち葉を集めてる子供達。

改めてすごい場所だな、とおもいます。彼らはどうそだっていくんだろう、こころもからだも。。

今も楽しい、自分たちはここにいられてうれしいよね、タイにいても札幌にいても彼らはそう言います。今を楽しむ生き方をしていたらどう大きくなって行くのか、わたしには全くわかりません。

ただひとつわかってること、それはお母さんであるということは、子どもとともに育ち直せるチャンスがあるということ。

そこを本気で向き合ってこどもたちといたからこそ、思春期にクソババアって壁をこわされない安心感がいまから確実にある。(そんな話をするとゲラゲラ笑ってあー、それはないわ。って話してて、先の話をこんな風に本人とできるのもいいなっておもう。)

小さくてべったりで大変、って言いながらここまできたけど、そんな子供たちのおかげでいろんな場面でいろんな感情を経験し、自分の時はどうだったのだろうってじっくりと思いをめぐらすことができた。それを日々積み重ねて、わたしは息子と一緒に10歳に、娘と一緒に6歳になった。

 

子どもの頃の記憶がないわたしにとってとても大きな経験であり、わたしが親から受けた態度を受け入れられたのはそんな経験のおかげでもある。

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ただ間違えてならないのは、いまはあくまでも我が子の経験であり、彼らの思いを想像してかってにわたしの感情を盛り込んで、我が子がせいりしているこの状況を引っ搔き回さないようにしなくちゃならないけどね。

 

わたしは辛いことも楽しいことも経験できてる。

そうして今、1日の大くが、ありがたいことで成り立ってると思える。人生トータルでみたらラッキーなことなのかもしれないね。

 

お母さん業はとっても大変だけど、私にとってなによりも豊かなお仕事です。

ここに専念してよかった。

あってるのか、あってないのかはわからない。けれどもこれを天職にしたことで私に人生は豊かになった。家族が何よりものたからものになった。

ありがとう。