日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

手仕事

今日はトモエへ。もうじき、年に一度のお祭りを控え、準備に忙しい母たち。私は母さんの夜なべで、レッグウオーマーとあずま袋風、ショッピングバッグを製作。

 

レッグウオーマーは大人用と子供よう、赤ちゃん用。 我ながら上出来。

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買い物袋は丁寧に作りたかったので、ちゃんと布を仕入れたのでちょっとバザーにしては高いかな。けれど、納得のいくもので、使えるものを並べたかったから。

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毎晩毎晩夜なべをしながら、ふと考えていました。私の作ったものはロックミシンもないので生地の裏側は機械で作ったようなうつくしさはありません。だから、売ることに少し抵抗がありました。

 

切り端にジグザグミシンをかけただけ。こんなものじゃ売れないかな。もっと完璧なものでなくてはいけないかな。。

 

けれどね。

けれど、私は思ったんです。人間が作るものに完璧なんてない。

 

タイで住んでいたお家もそうでした。使うお皿も生活グッズも自分で作ったもの。

見た目は素朴。

 

でも、これは自分で直せるんです。壊れても焦らず、壊れちゃった。って笑っていられる。

生きていくぶんには何にも困らないのです。

 

だからね、気楽でした。壊れることを前提に大切に使って壊れたら自然に返すか直す。

 

ただそれだけ。

 

そう思った時にふと思い出したことがあります。

私は自分の子育てに完璧を求めていたんです。

 

いい幼稚園を探し、育児書を読む。子供と自分の関わりで自分を責め続ける。

 

この完璧さは生活の端々にあわられていました。完璧に家事をこなし、人との付き合いも完璧を求める。だから、1日を過ごして夕飯を終える頃にはへとへと。

 

それなのに、これから皿を洗い、洗濯を干し、部屋の片付けをしないとならない。子どもに怒鳴っちゃならない。旦那さんのご飯の支度もまだ待ってる。

 

帰ってきた旦那さんを捕まえて私が今日大変だったこと自慢をしながら、ご飯を食卓に出していました。

 

せっかく過ごす夫婦の時間。私は自分がどう家族と過ごしたかったのかイメージしたことあったのだろうか。

 

仕事でも家庭でも完璧を求められるから、自分一人の時ですら完璧でいようとする癖がついてる。

 

そう思いました。私はそれを手放したい。

 

タイでの生活は私のそんなところを根こそぎ変えてくれました。

 

人間のすることに完璧なんてないのだと。これを前提にせいかつしたいと思いました。

 

私がしたいことはただ一つ、日々愛をもちながら生活すること。

 

そのためにはこの完璧さはいらない。手放そう。今はそう思いながら暮らしています。

 

だから自分の作ったものも外に出してみることにしました。使うぶんには強度も実用性も、見た目も素晴らしいと思う。

 

既製品と違うのは裏側の始末が完璧でないことと、クレームは受け付けませんということ。そして、思いを込めて丁寧に作ったということ。

 

壊れたらそれぞれが直せばいいと思うのです。それくらい自分でできる方が暮らしに不安がわきません。家の修理も電化製品の修理も自分でできたらいいと思いませんか?

 

完璧でないぶん、私は自分の作った作品を誰かに届ける時に、壊れた時に直す方法を添えておこうと思っています。それが、私からそれを使ってくれる人に送る気持ちなのです。自分を思ってくれる人がいる、きっとそれが人を元気付けると今の私は思っています。

 

私は量販店の安い服がアジアの人たちの安い賃金でできているらしいことに悲しみを覚えます。人々が皆、支え合ってお互いの生活の幸せを祈って暮らせたらいいなって願っています。

 

私たちが量販店でものを買うことは、彼らの仕事を支えているのではないような気がしているのです。

 

幸せの経済学という映画を見ました。それが心に響きました。わたしたちのものが豊かになるにつれ、貧しくなる人が増えるというのは本当かもしれない。

 

そう感じています。私は、幸せでいたいと思います。けれども、あなたもあなたのお友達もこの世の生き物すべてが幸せでいてほしいと願っています。みんなで幸せでいられたらいいなと、夢を描いています。

 

私が贈った手作りのものたちは、保証も、責任もないけれど、その人とその家族を思う気持ちを込めています。そんな自分の考えがあるから、だから、わたしの作品たちを外に出していこうと思っています。それがわたしが伝えたいこと、わたしが生きている中で残したいことだから。

 

手仕事は穏やかな生活を祈る気持ちがこもっている気がします。だからわたしは手仕事を続けます。じっくりゆっくり自分と向き合いながら。