日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自然の中で身体が感じてくれること。(タイ暮らし日記60日目)

   今年は身体が微調整にかかってくれるのかまた風邪をひいてしまいました。サハイナンを離れて2日目。移動中はどうにか持ったのでゲストハウスでゴロゴロ。頭痛と鼻水。。デトックスかなあ。。。だからひたすらゴロゴロ。昨日から食べたいのに食べると胃が重たかったのはそういうことだったのかー。。

 

   さてさて昨日から3日ほど旅へ。目的地に向けてのバスが朝早く暗いうちに出発しようと思ったら村長さんが送ってくれました。その車内の中での会話。。森の中での暮らしで彼が感じていること。一歳半の息子ちゃん、好奇心旺盛だけどいつも穏やかな笑顔で、のんびり屋さん。彼がこんな風なのは森がネガティヴだからだと思うんだ、という。その言葉が私にはしっくりきます。頑張って自分を変えたのではなく今の自分が穏やかになってきたのは、自然の中にいるからだと私も感じていたから。次々と受動的な情報に終われず、自分のしたいことを自分のペースでやることで一日がすぎて行く。やりたい時、できるときにやる。村長さんを含め、周りは待っていてくれるから。

 

   その反対で街はポジティブ。一生懸命生きてきて感じます。もっと自分を知っていたかったなと。きっと私の親も待っている時間がなかったのでしょう。いつも追われたように過ごしていた私の家族。日々を楽しめず、時折訪れるイベントでしか生きが抜けなかったと思っていたけれど、そのイベントですら終わると次のイベントを追いかけていました。

 

   そしてもう一つ、自分の体験から共感できたこと。森にいると裸足で歩くことも多い。でも街にいると、靴を履くでしょう、大地に足をつけることで人はデリートされるんだとおもうんだ、と。最近やっとここで素足で歩けるようになりました。石が痛くて素足で入られるのもわずかだったけれど、慣れてきたのと身体が変化することで受け入れられるようになったのでしょう。素足で歩いて感じること。

 

    大地の冷たさ、あたたかさ。葉っぱの上を歩く感触、土の上を歩く感触、耕したばかりの土を歩く感触、竹の床を歩く感触。土は汚くないことを知ったので、うちに土が入ったらはらうだけ、気楽です笑。そして凸凹な上に斜めになった山の坂道を足の裏でつかんで歩く感触。歩くってこんなに楽だったんだ、こんなに気持ちよかったのだと感じています。だから今は一日素足。綺麗事ではなく本当に気持ちいいのです。それを知っていたので彼の言葉がすっと入りました。猿の頃から素足で歩いてきたからでしょうか、素足ってこんなにいいものだって感じている今。コユが生まれたとき、2ヶ月も寝たきりだったので二足歩行ができなくなった時期があり、動物の二足歩行による体への負担の大きさを感じていたけれど、足の裏が解決してくれていたのかもしれません。足の裏、手のひら、指先、甲。ここから得る情報の多さに驚き、その得た情報を身体が知らぬうちに処理をしてくれている奇跡と神秘。すごいものです。

 

    そんな話を終えての旅と風邪。身体への負担をかけてしまったことも何かあったのかもしれません。とにかく休む。休む。。。休んでいる間もいろんな情報を処理してくれているのだと思うと身体が辛いと思うときはただただ休むこと、それしかないなあと思います。旅記録はまた今度。とは言っても移動以外はたべたいときにたべて休んでいるだけですが笑。食べるのも減らしつつ、食べたいなあと思うときは自分を許しながら、ストイックにならずに少食。しばらくはただただ休めておきますね。いつもどんな時でも自分に命をかけてくれる身体ですものね。明日の移動が無事にできるよう、ただただそれだけだなあ。。

 

   移動2日目、食べるものは本当にシンプル。カオニャオともちきびとタイ風お漬物。パクチー、ジンジャー、チリが入ってます。ジンジャーとちりをとるのは朝晩と冷え込むのにストーブがないこの国の智慧かもしれません。身体ごとあたたまりますから。それにきゅうり。塩を持ち歩いています。きょうは豪華にふりかけ付き。いつもは地物のごまでごま塩にして持ち歩いてます。

   ちなみにあさと、ひるとおやつはカオニャオと揚げパンとバナナとスイートコーンとピーナッツでした。炭水化物多めですが、おかずはMSGとお砂糖がよく使われているのでそちらよりはこちらを選択。考えてみたら全て地物でありがたいなあ。

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