暮らしを知ること。(タイにてパーマカルチャー日記29日目)

   ここの村の暮らしを学べるよう村長さんが朝一番の市場に連れ出してくれました。朝四時から始まる市場。昼は屋台、午後2じから夜に向けての市場でまた活気付くのがここの村での暮らしです。朝は揚げパンや豆乳、おかずとカオニャオ、とうきび。ここではもちきびがおおいです。もちろん野菜とお肉のお店も出ます。そしてそれが終わるとおやつの屋台。揚げバナナやあげいも、アーモンド。お昼はレストラン、麺やおかずかけごはん、唐揚げ。夜はおかずとカオニャオ、唐揚げ、鳥の丸焼き。

 

   さてこれ、お肉屋さん。一頭買いでしょうか、持つも足も、耳も顔を全て1つのお店に並びます。これをお母さんがナタのようなものでガンガンきっていきます。これはももから下。解剖室の様な現実です。カエルもネズミもそう。私はできるけど、お魚ですら嫌な人は嫌でしょうね。でもそれを知っておきたい、そうおもっています。もちろん、これはお肉だけでなく、どうやってお野菜が育つのか、届くのか、ものが出来るのか、私が手放した後はどうなるのか。暮らしを知らないと、自分ができること、していいことからはなれていく気がするのです。

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   食育って言葉があるけれど情報だけだと頭でっかちになってしまうから、共に暮らす大人の中で誰かが興味を持っているといいのかもしれないなとおもいます。世界各国の食事が自分のうちで楽しめる今、7割、いえ、6割くらいでしょうか。私自身、知らないことが多すぎて、〇〇だから大事に食べましょう、という言葉をこどもたちにかけることができません。目の前にある豚の顔が悲しそうにみえて、このお野菜はHさんが育ててくれたものだから、ならばありがたくいただきたい、ただ自分がそう思うだけなのです。もったいないもおしつけるつもりはなく、自分が無駄にできない、ただそれだけ。

 

   私も旦那さんもいくらか違う考えがあり、暮らしの中で顔を出すそれと自分の経験を踏まえて子どもたちがどうしたいか考えていってもらっています。でもそんな中から自分で学んでくれているんですよね。彼らの感受性にすごいなとおもいます。なので 暮らしの中にあるものをできるだけ自分で知っていたい、それが暮らすことに時間をかける私にとっての意味なんだろうなあと、また自分を知ります。

 

   ここの国はお野菜の量も多くて蒸し野菜もおかずやさんでかえます。蒸しただけのお野菜ってとっても美味しいです。これにチリとガーリックとお醤油混ぜたチリソースで絶品です。

 

    お昼は韓国から来たシェフ兼ファーマーのマーさんが腕をふるってくれました。マーさん、来て3日目なのにすごい。豚のブロックを煮込んでバナナの葉を使って綺麗に盛り付け。キムチも作ってくれました。英語はほとんど喋れないけど、子どもたちを大事にしてくれて、昨日はコユがマーさんに肩車してもらって2人で鼻歌交じりにキッチンから帰って来ました。身振りと韓国語で会話をしてくれます。チャイジャ、おやすみなさい。一月滞在するマーさん、きっと子どもたちは韓国語を少し覚えて帰るんだろうな。であいにかんしゃをして。

 

 

   こちらは干物。スルメやみりん干しみたいのもあります。海がないので池のさかな以外はこうしてやってきます。後は昆虫食。いろんなのが山盛りで市場に並びます。

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   スルメを買って来ました。旦那さんが猫を心配してたけれど、ここではありたちが容赦ないのです。彼らも真剣にいきているんですよね。二重のビニール袋を破って入り込みます。やられました、スルメ。彼らの方が先に住んでいたので敬意は持っています。でも共存って綺麗事ではなく、生きるために向き合う必要があることもあるんだって感じます。3度もやられたスルメ、彼らに分けつつ、3度目は燻してありをはらいます。もはやあり、汚い、、って感覚もほとんどなくなった我が家です。そう言えば昔、バンコクに来たとき、コンビニにアリの行列の出来たドーナツ見て、やだなあってびっくりしたけれど、ここでは共存。日常すぎてはらえば問題ないんでしょうね。プロテインであります。