日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

今の気持ち。

 

昨夜、コユに声をかけられた。「ねえ、さっこ。鏡の部屋の電気つけて。」「はいどうぞ。」と電気をつけて部屋を出る私。

 

しばらくして「ねえ、さっこちゃん」とまたよばれていった。満面の笑みのコユ。楽しそうだね、と笑いかけふと気づく。。コユのくちびるが蛍光ピンク!!左手には蛍光ラインマーカー!!

 

思わず、「おおう、大変だ。タオルで拭かなきゃ。」と走り出す私。ついてきたかな、後ろを振り向きつつ、タオルを絞る。すると大ちゃんの声。「さっこちゃん、コユ、泣いてるよ。」

 

おやおやと思い、さっきの部屋に戻るとコユが布団に隠れて涙を目にいっぱいためてこらえていました。ぎゅっと胸が締まり、ごめんね、やりたかったね。とふっとコユの気持ちを思い、あやまる。そうして少し抱きしめ落ち着くのを待って、私が言った言葉は、「やりたかったのはわかるよ。いきなり止めてごめんね。」。コユはうん、とうなづく。そうしてやりたかった思いをぎゅっと胸に抱えつつ、自分の伝えたいことばかり続けた。「でもこれは口に入れたらお腹痛くなっちゃうものでできてるんだよ。」そうして最後に「じゃあ、あしたお化粧、買いに行こう。」と声をかけました。おもちゃ屋さんにいっておもちゃを買うことがない我が家ですが、今のこの想いを大事にしたい、そう、おもって旦那さんに相談しようと思ったのです。コユは一気に笑顔になって、ああ、良かった、って明日を楽しみに終わったつもりでした。

 

でも私の中に煮え切らないものが残っていました。布団に入ってコユがうとうとしたころ、やっと煮えてきたのです笑。あ、わたしは、コユの かわいいでしょ、うれしいの! の気持ちに気づけなかったんだ。ハッとしました。ああ、私を呼んだ時のあの笑顔はきっとそういうことだったのね。悲しくなって泣いていたのは、今の嬉しい想いを共感してもらえなかった からだったんだね。

 

日頃、私はダメ、とはあまりいいません。子供の動きを制限してしまうと思ってきたから。ダメと言わないようにしてきた、といったほうが正しいかもしれません。子どもたちと心から人として対等に感じる感覚が最近やっと身につき、気がつきました。ダメ、というのはこちらの常識、感覚から生まれたもの。相手の今の状況を想像したら、もしやらないでほしいことであっても使うのはその言葉じゃないでしょうし、違う伝え方があるとおもうのです。そう気付き、私は態度と目で ダメ と何度伝えたこ

とでしょう。子どもの状況を想像せず、さっさと動いて終わらせてきたことが何度あったでしょう。それを目の当たりにしました。

 

そうして改めて、コユの涙の思いを想像しました。そしてまた子どもたちは 今を生きてるということにも気づかされました 。その今の思いにもっと気づいて行きたいな。深く深く、そう思いました。ごめんね、コユ。もう過去のことだけど、コユが起きたら謝ろうと思います。そして 今の自分に目をつぶってきたであろう自分の生き方も感じました。

 

もっともっとゆっくり毎日を生きたい、そうしないと感じたり想像する時間が持てないなあと思いました。今日も学びをありがとう。母としての学びは、自分としての学びでした。私は私であり私でしかないのですね。そうして今日もここに戻ってきました。一歩ずつ一歩ずつ。