日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

「生」と「死」は大人が簡単に教えるられるものではないのかもしれない。私が自然から学んだこと。

インスタとかぶる事もありますが大切なことを整理するためにやはりこちらのブログは丁寧に記録していこうと思います。

 

生と死はしぜんかいでくるくるとまわっています。

もちろん虫が死んでしまった時と、大好きなおじさんが死んでしまった時は悲しみのふるえかたが違います。

けれども、自然の中にいると思うのです。

地球にとって、虫の生死も人の生死もあまりかわりはないのではないかと。

 

さて、今回のテーマは性教育のこと。

性教育

私が六年生くらいだったいわゆるエッチな話をクラスの友達としたことを思い出しました。

きっと身体も心も大きくなるという事は、そういうことを知っていく必要があるんでしょうね。

だから興味を持つ。

という事なんだと今は感じております。

私の両親はそんなことの疑問を向けても、話を逸らしました。

なので、私はずっと「恥ずかしいこと」という認識のまま大人になりました。

 

今は私の子どもの頃よりずっと、性教育って大事なんだ、って世間で言われている様に感じています。

様々な本があり、学校でも勉強をする機会があるそうです。

赤ちゃんができるまでの話、っていうタイトルだったかな、絵本でも読んだことがあり、その絵本はとてもわかりやすく、ちょっと楽しいイラストタッチで、「変なことなの?」って感じも払拭してくれる素敵な本だなって思いました。

 

我が子が大きくなって、赤ちゃんはどこからくるの?ってきかれました。

性教育の話や、時折ニュースになり若年出産の話、公園で一人、赤ちゃんを産み落としそのまま置いて行かざるを得なかったこと、、、などを耳にします。虐待だったり、子どもっていうのはどんな存在かがわからないゆえに起こるのかな、と感じたりもしております。

 

時代の流れです、何を責めるつもりもありませんが、子どもは学校や保育園に、大きくなると塾や習い事で忙しく、子ども達が公園などで遊んでる光景もあまりみなくなりました。

 

ジャングルライフをしてきた経験からふと思うのは、外に出ても面白いことがあまりない、というのも事実でしょう。

季節の木のみがあり、好きなように走り回り、気の向くままに凧揚げする場所も寝転がる場所も花をつめる場所も少ないのです。

 

少し大きくなった人が小さな存在と関わる事もほとんどなくなった現在、こうなってしまうのは致し方ない気がします。

大人の暮らしに、子どもの暮らしを合わせ過ぎている、そんな気が私はちょっぴりします。

自然の中には子どもたちの興味が本当に沢山ありますから。

道端を歩いて興味のあるものを見つけてはフラフラとそれに向かっていって観察する。

疲れてその場に座り込んだり、寝転がったりしながら、地面の温度や感触に触れて、冷たくて気持ちいいーって味わう。そして遠くにバイクの音を聞いてはすっと立ち上がり、どっちからくるかなーと耳をすませて通り過ぎるのを待つ。

 

一歩外に出ると、車が来て危ないよ、手を繋ぐことが当たり前になった分、小さい人の興味は満たされなくなったんじゃないかな、とは感じています。1つ1つの小さな興味のたびにフラフラする、そこまでの動きに大人が付き合うのは難しいですから。

 

さて、赤ちゃんはどこからくるの?と聞いたムスコの話、下記に書きます。

聞かれたときに、そのまま伝えようと思っていただけで、どんな風に伝えるかは考えた事もなかったけど、自然の中での暮らしが、自然と言葉にしてくれました。

 

自然の中には、沢山の「生きる」ことの触れる瞬間があり、それは「生まれる」「子孫を残す」という自然に行われている事にも触れることになります。

 

「人もほかの生き物と同じ、交尾をするの。違うところは好きな人と、ってことかなあ、と。」

そんな自分から出てきた言葉が、「自然界と同じ」ということに気づかせてくれました。

自然の中には全てがあり、特に、「生きる」「死ぬ」ということが同じように循環の中で行われているのだと、頭ではなく、感覚として感じます。

 

自然から離れない、それが人が生きていく上で一番大切なことのような気がいま、ふとします。

 

私たちは完璧ではありません。

だからそれぞれが自然を観察して学ぶことが必要だと思っています。

そこに生きることの学びが沢山あると思うのです。

人の力で教えることにも限界があるとおもっています。

ひとりの教師が言ったことが、クラス全員の子どもたちの心に入っていくわけではありません。

それぞれの個性と噛み合った時に初めて、その教えは入っていくのだと思います。

 

そのフォローをしてくれるのが自然だと思います。

自然の中にいると、誰かが以前に行ってくれた言葉をふっと思い出すことがあります。

そして、ああ、こういうことだったのか、と。

 

以下、赤ちゃんはどこからくるの?図らずもやってきた我が家の性教育、を書くつもりでしたが長くなったので次に書きますね。