日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

子どもは夫婦だけでは育てられないことをしってるから。

先日ね、こんなことがありました。

 

外に出かけて、他のお子さんと絡む機会があったんです。

結構長いこと遊んでいたその場所で、同じくらいの時に来た一年生のわんぱく坊主くん、うちの子らが気になり、ちょっかい出しながら無邪気に遊びたいよ、アピール。

私たちはああ、遊びたいのね、って思ってたから笑ってたけど、そのお母さん、そんな風にするんじゃないよーって、気にしてずっと注意してくれてて、思わず声かけた。

 


「嫌だったら子どもたちが自分から言うので心配しないで大丈夫ですよ。」って。

 

息子、私と違って、ストライクゾーン広いので一緒に遊び始めたけど、その子のお母さん、嫌な顔されることも多いのか、彼の言葉遣いとかちょっとオーバーリアクションをずっと注意してて。

明らかに嬉しくてわざとそうしてるわんぱく坊主くんなだけなんだと思うけど、それをずっと気にしてるお母さん、嫌な思いをたくさんしてきたんだろうなあと、それに胸が痛んでた私。

 

そんなときに、わんぱくくん、私の頭に芝生をパラってかけたんですね。

 

それにお父ちゃん激怒。

「頭にかけちゃあダメじゃないか!!」

と、お説教タイム。

いやいや、嬉しくてもっと遊びたかっただけでしょうから怒らなくてもいいですよ、って言ったんだけど、お説教が続く。。

 

ちょっと落ち着いて、お父さんの笑顔が出た頃に、私が笑ってやり過ごした理由を伝えたんですよね。

 

子どもの感覚って色々で、それを悪ふざけしてることもあるだろうし、そうではなく、いっぱい舞って面白いよ、って思ってることもあるだろうし、いろいろ。

 

別に悪気があってやってた感じはしなくて、そこから一緒の遊びに発展して楽しめるなら私はそれでいいって思ったんですよね、って。

 

頭は大事なところだから、って言うことは丁寧に伝えていけばちゃんと理解してくれるでしょうから、そこだけは伝える必要があるのかもしれないけど、私に関しては気にしないでくださいって。

でも、親御さんたちの気持ちがわかってればわたしから伝えたら良かったですね。そうすると嫌な人もいるよ、と。

 

って声をかけた。

 

そうしたら「いえいえ、怒るのは親の仕事ですから。」っておっしゃるので、「他人が言った方がハッとすることもあるでしょうから。彼みたいなタイプはいろんな人から怒られ慣れてるでしょうから、丁寧に伝えたら聞いてくれたかもしれないなっておもって。」とお伝えしました。

 

「受け取る大人の側も嫌な顔して黙ってるんじゃなくて、嫌なら私は嫌だからやめてね、って本人に直接いってくれたら、いろんな人がいることが理解できるようになって、お互いにきもちよくあれるのに、これは社会が作った問題ですよね。

 

なんか、ずっと気にせざるを得ないお母さんの気持ち、共感してしまって。」と1時間ほどの関わりでずっと謝ってるお母さん見て気の毒で仕方がなく、話してみました。

 


私が社会を変えられるわけじゃないし、そのお母さんを救えるわけじゃない。

 

だけど、そのお母さんが、私の言葉で緊張した心が一瞬でも救われてくれたら嬉しいなと思って思い切って話しかけてみた一コマでしたが、ありがたいことにコミュニケーションが取れて、優しくみてもらって嬉しいって言ってくれて、こんな助けあいのしかたもあるんだなって経験させてもらいました。

 

別れ際、「わんぱく息子!お母ちゃんは色々大変なのだ。優しくするのだぞ!」といいたいことをいって帰ってきましたが、自分の積み重ねてきた日々をこうして世の中で使っていけるんだな、って思ったらちょっぴり嬉しくなりました。

 

自分の責任だと背負いこんで、人の目を気にして生きていかねくちゃならないような流れになってる社会はくるしいな、と微笑みの国、タイとの違いを肌で感じて思います。

子どもは社会の宝であり、希望である。

 

タイのお友達から聞いたその言葉が私に心にしまってあります。

 

それを知ってるから、私は変わっていってほしいなってねがえる。

それと同時にこうして、自分が伝えられる一歩があるんだなって感じました。