生まれ持ったものは個性だと認識したときのこと。
家族で旅をしてるけど、娘、結構なアレルギーっ子なのです。
いつ、良い方向に変わるかわからないアレルギー反応。
早く良くなるといいな、って思っていたけど、近頃は想いが変わってきた。
アレルギーである身体は個性。
そんな今の自分とどうおつきあいして行ったらいいかを、娘が身につけてくれたら何も可哀想に、なんて気に病むことはないよね、とおもう。
全てでいつも同じ反応がでるわけではない。反応の度合いも違えば、その日によっても違う。
その身体の状態を本人が察知し、それに合わせて行ったらいい。
時々ならすこしは食べて大丈夫なものだってある。
それを本人が身体と相談して決めていければ、大きくなろうとしている時に、大人が余計な迷いを与えなくて済む。
この身体は個性だから。
我慢をせずにお付き合いしていく方法を一緒に見つけて行ってあげたらいいよね、そう、旅をすることで気がついた。
アレルギーがあっても旅はできる。
どんな風にできるか、できることの中から好きなように過ごしていけばいい。
個性は全ての人が持った自分だけの力。多分、必要があってそれを持って生まれたのだろうから。
そんな個性とどうおつきあいしていくかだけだと私は思ってる。
そのうち変わっていくだろうし、もしなかなか変わらないものがあってもいいのだろうと思う。
それを不自由だと思うか、もともと持ったものだしね、って受け入れちゃうかは自分次第だから。
それぞれの好きなように解釈したらいいよね。
1枚目。アレルギーの娘のおやつ。
旅の道中だからこそ、腸を荒らさないために、お砂糖に入ったものを避ける。
そしてこれなら小腹が空いたときにご飯にもなるから。
2枚目。外ご飯がダメなことも結構あるのでそんな時はご飯と野菜だけ買って持参した食品でカバー。軽くて常温オッケーなもの。
旅の道中の秘密兵器。