日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

私たちが変わった暮らしをする理由。

私たちが旅するように暮らす理由。

 


山での暮らしは毎日が旅のようだと思う。
瞬間瞬間の生き物との出会い、季節の移り変わりに、自分の日頃の雑然とした思いを忘れ、心が奪われるから。


そしてね、私たちがバックパック一つで海の外へ引越しをする理由。
暮らしがどうできているのか、どうしてこうなったのかを知りたいから。

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一つの村に長く滞在し、優しさをいただきながら暮らすことで、助け合う、という意味を身体で感じさせてもらった。
不便は知恵を生み出す希望なんだと知った。


便利であることは、それがないと何かをできない不安を生み出す。
不便になれると、あるもので生み出す知恵を授かるということを知った。
それは、日々の楽しみにもつながる。
今あることの中から、楽しみを見つけ出す、その村の人の生き様にいつも、感動をする。


あるもので作り出すという希望。
ココナッツジュースを飲む時、鉈一本で硬い殻を割って飲む。
そうして果肉を食べる時、また鉈一本で、硬い殻をうまく使ってサジを作る。
自然の中でこれがないと困る、というしんぱいはあまりないと知った。


子どもたちが火遊びをするのも日常のこと。
いたずらしたり、ふざけたり、言葉は通じずとも、喧嘩もすればいたずらもする。
それをなんとなく見守る大人たち。


そして、暮らしを営むということは、子どもたちにとって遊びだけではなく、仕事がある。
それもとても豊かなことで、みんなで刈って脱穀したお米を、今年も取れたね、ありがたいね、という喜びを分かち合えることの満足感と安心感は何者にも変えがたいことだとしった。


タイはなぜかとても子どもに優しい国。
食堂で騒いでいても怒られることはなく、みんな笑って見てるのが常。
都会ではわからないけれど、男の人も子どもと遊んでくれることも度々ある。

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私たちが過ごした5年間のこの暮らしは、大統領だったムヒカさんの思い描く世界が目に見えるような暮らしだね、と家族でよく話をしています。


そして、そんな中で見守られてきた子供達の配慮と優しさに、日々気づきをもらっています。


私はそんな子どもたちに全然追いつけないな、とつくづくとおもう。。
日本に帰ってきて、彼らの吸収してきたことにはっとさせられて気づかせてもらって在る日々。
私はいつだって精一杯の日々だけど、一つずつ未来に残していきたいことが見えてきた。


暮らしながら体に染み込ませてきたこと、子供達に気づかせてもらった大事にしたいことを、心に留めて、丁寧に未来に紡いでいきたいな。


暮らしがどうできているのか、知り始めたら終わりがないことも知った。人の手を介しまくっている今の暮らしは複雑すぎて。
でもね、今あるものにも感謝したいとおもう。そうして昔あったであろうことも大事にしたい。
それを気づかせてもらった五年間。