日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自然の中で暮らしを営む、ということから生まれたもの。

娘、食事の準備を手伝う。

 


タイにいる時、20人くらいで食事を囲むことも多い。

娘、お皿を用意してくれてます。

 


人数も多く、手伝わないと回らないことを知ってるし、いろんな人の動きをみることからも、自分がどんな行動をとることが人を喜ばせるかも感じられる暮らしなのだと思う。

 


大家族だからこその配慮が飛び交う。

それは大人だけでなく、小さい人からも生まれてくる。

 


小さな人の動きからも、生活が回っていく。

ありがとう、そうみんなに言ってもらってはにかんで笑う。

 


いろんな人がいる暮らしの中で、どんなことをしたら人が喜んでくれるのかも、日々学んでる。

 


遊びが切り上がったころキッチンにやってきた彼らは、なにを聞くでもなく食卓の準備を始める。

 


食卓に並んだ野菜は畑で育てたもの。

重い堆肥を混ぜ込み、みんなで手作業でかったお米。

小さい人たちもそばで遊びながらその光景を心に抱く。

 


暮らしがどう成り立っているのか、ということがからだにしみこんでいるからこその行動と言葉だな、って思う。

 


自然の中でただ遊ぶだけではない、暮らしを営むという世界から身につけた彼らの動きから学ぶこと。

 


大統領だったムヒカさんの言葉がリアルに心に響きます。

ムヒカさんの伝えたい世界が想像できるような気がします。

 


やさしい気持ちで日々を生きていきたいと思う私にくれる気づき。

 


彼らの感性と優しさにはまだまだ追いつけそうにもありません。

 


ただ、大切だって気づかせてもらったことを、私が丁寧に心に留めて日々を営んでいくこと。

それだけで精一杯ですが、私が未来に残していきたいことをこうして丁寧に紡いでいこうと思います。

そのために続けたいこの暮らし。

 

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