日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

相手の状況を想像できる優しさを。

石垣に住む友から届いたパイナップル。

思いのこもった大きな箱に、嬉しいね、あいたいねっていいながら贈り物のハコを開けたよ。

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ちょうどパパが出かけようとした時。

パパ無しで食べるのはかわいそうだね。

何かを食べる時、どこかへ出かけた時、必ず子どもたちが思いを寄せてくれます。 「パパに食べさせてあげたいな、妹に(兄に)あげたいね。」 食事の支度をする時も、私が畑に行っていてもみんなの分を揃えて声をかけてくれます。

 


タイでの暮らしは、全員で食卓を囲む。

ある人は断水を直し、ある人は30キロもあるコンポストを畑に運び、ある人は農作業の疲れて帰ってきたからだで食事を作る。

 


30人分の食事を作るのが大変なことも、断水場所を探し当てるのが大変なこともみてきた子供達。

みんなが持ち場を守って、暮らしができていることを感じてくれているようで、お腹空いたなあ、とは言えど、ご飯まだできないの??とはいわないし、畑に出てる時間が長いと息子は「お腹すいたから作とくわ」、って動いてくれる。

お気に入りの服が洗濯が遅れて乾いていなくても、文句を言わない。困ったなあ、と相談されるくらい。

 


相手の状況を想像して動いてくれる力は私よりずっとあるなあと彼らといて思う。

 


私たち家族と共に暮らしてくれた友人たちのおかげで、家族での時間がとても心地よいものになっていることにかんしゃがつきません。

 


暮らしが気持ちよく回るのは家族同士の思いがあるから。

 


家族での暮らしが気持ちよく回っていくよう配慮し合うことも大事なパーマカルチャーの要素だと思うのです。

 


そんなことを感じさせてくれる子供たちに感謝しながら、今日は農家さんのお手伝いへいってきます。

 


いつもは私だけだけど自分の畑を作り始めた子どもたちもほかのはたけにも興味を持ったので、一緒にいくことに。

学びに寄り添ってくださる農家さんにも感謝です。

 


パインも美味しかったよー。

ありがとうね。