家族想い。
おととい、子どもたちがお友達の家に遊びにいった。
幼稚園では仲良しだけどおうちに伺ったのは初めて。
1日遊んで、まだ遊び足りないということで、お友達のお母さんの送っていてあげるよ、って言葉に甘えてお願いしたら2時間後、弾んだ声で電話がまた来た。
「おともだちのおかあさんはいいよっていってくれてるんだけど、泊まっていってもいい??」
彼らのお泊まりデイはいつも突然やってくる。
だから着替えの歯ブラシもないまま、泊まることになる。
けれどもね、わたしは子供達といて気づきたことがある。
子供たちの今の楽しいは、「今」しかないんだ。
明日約束したって時間が経てば気持ちは変わっていく。
この今のワクワクがかけがえのない大切なことなんだと感じるようになった。
だからいつも答えはこう。
「気持ちはわかったよ。私の都合はなんぼでもずらせるようにいつもしているから、好きにしていいよ。楽しませてもらってよかったね、本当にありがたいね。」
「わあ、ありがとう!!」
子どもたちは何度も何度も私にありがとう、ありがとう、って言いながら電話を切った。
「ありがたいのはお友達ご家族だよ。」
そう言いながら私も子供たちの気持ちにあたたかくなる。
一晩明けて、次の日。
たのしかったろうなあ、何時に帰ってくるかな?って待ちながら、子供たちの梅ジュースが腐らないようこの時だけ私の手でかき混ぜていたら突然友達のお母さんからメールが来た。
「早朝銭湯に行ったんだけど、その後こどもたちのきめたプランでニセコに行くことになったから行ってくるー!!」
びっくりしながら、涙出そうなくらいありがたい気持ちになったよ。
子供たちの楽しいを彼女も私と同じように大事にしてくれてることに。
子どもたちが丸一日お世話になることに、感謝は尽きないけれど、心配はまったくなかった。
子どもたちが友達家族を困らせないようちゃんと配慮ができる子だと、信じているから。
ただただ、本当にワクワク楽しい時を過ごしてるだろうなあって思い浮かべて、すごく嬉しくて。
大きくなってきて、私たちだけで彼らを楽しませてあげる範囲を超えた今、彼らのワクワクに寄り添ってくれる人がいることが本当にありがたいことだから。
4時を過ぎてうちにかえってきた。
、と思ったら、楽しかったーひとしきり土産話を聞いて、食べたものを嬉しそうに教えてくれて。
アレルギーをたくさん持つこっこはいつも外で何かを食べるときに、私に確認しないと不安んなところがあって、ずっと気になっていたけれど、自分で食べれるもの、食べるものを決めて、一緒に楽しんできたそう。
彼女は1つ、自分の不安を超えることができたのだと胸がいっぱいになった。
アレルギーを持ってるとはいえ、もうじき7歳、「今日はこれを食べても大丈夫」、そう、自分の意思で決められるようになったほうが幸せが増えるんじゃないかって思い始めていたので、いいタイミングで友達がその波に乗せてくれた。
今まで一緒に気をつけてきたし、血液検査の数値もその都度一緒に見て、それに合わせた暮らしを積み重ねてきたつもり。
だからそろそろ自分で決める、ということを楽しめるようになったほうが、生きることに自由になれると思ったんだよね。
アレルギーだから自分は食べれないって悲しい思いをしながら生きて行く必要はなく、食べれるものを楽しむ、その方法を自分の力にしていけばいいだけだと、私は思うんだ。
アレルギーは個性。得意、不得意と大して変わらない。
その個性とどう付き合っていくか、なのだと捉えてる。
全てはいずれ変わって行くから、大丈夫。今食べれないものも変わってゆくのだし、食べれないものがあってもいいのだとおもう。
もうどこでもいけるね。自分の好きなように生きていけるから、大丈夫。
そう思った矢先、今日もお友達のうちに泊まりたい!!と。
お友達もそのお母さんも兄弟ができたみたいで楽しいからうちはありがたいんだあって言ってくれたので甘えさせてもらってまた一泊することになった。
今日は1日遊んでお友達のお母さんが夕方出かけるので子供達だけで留守番するらしい。
今夜帰ってくるのかこないのか。。
いつ帰ってくるのかなあ。。
こんな不思議な感じ、初めてだけど、彼らが楽しく過ごせて、それを負担に思うのではなく一緒に楽しんでくれるお友達ご家族がいて、最高のホームスクールだね。
日々がワクワクで詰まってる彼らの日常に嬉しく思う。
私たち以外の人に愛されて、信頼されて、その感謝でいっぱいになって、自分の持った優しい気持ちをどんどん使っていきたいと思うようになる。
それはなによりも大事な学びだと私は思ってる。
「そんなに幸せな時間を過ごさせてもらってありがたいことだね、」彼らから電話が来るたびに私はそれしか答えられない。
彼らはうん、でもさっこたちのおかげでもあるんだ。好きにさせてくれて本当にありがとう!!
この3日で彼らが私たちに何度ありがとうって言ってくれたろう。
揺るぎない家族としての関係をかんじて、私は子どもたちにも、今までの時間にも、いま見守ってくれてる友人ご家族にも感謝がつきません。
最高のホームスクールだ。
改めてずっしりとかんじています。
お友達ご家族といったニセコで、買ってきてくれたお土産。
日帰りのつもりで遊びにいったのでお金なんて持たせてなかったけれども、道の駅で、「これさっこが好きなやつなんだ。お金持ってたらよかったな。」っていってたらしくて、お友達のお母さんが買ってくれたって持ってきてくれたお豆腐。
「もったいなくてたべれないよ。」
「家族の話をたくさんしてくれるんだ。これは〇〇がすきなやつなんだ、とか、好きなようにさせてくれて優しいんだ、とかずっといってるんだよね。本当に家族想いだね。」
お友達のお母さんが言ってくれたその言葉に涙が出たよ。
大ちゃんが五歳の時、私は虐待母さんだった。そんな自分が嫌で、子どもたちに苦しさを抱えさせたくなくて変わりたくてもがく中でしった、自分も虐待受けて育ってきたこと。それをどうにか受け入れて、必死にここまできたその苦しみが全て報われた気がしたよ。
母にもらえなかった愛を我が子たちにもらってきた、それだけで十分だったのに、子どもたちが私の人生全てを包んでくれたんだよね。
私が彼らにできることは彼らの感性の邪魔をしないよう努力をすることだけ。
生きることが喜びであってほしい。
子どもたちの受容力に気づき、また、私の器も少しだけ広がっていく。
そだててもらってるのは私の方だね。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。
楽しい日々を支えてくれてるお友達ご家族がに感謝しながら、母はあなたたちが今日も自ら幸せな1日を創ってくれることを祈っています。