日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

我が家のパーマカルチャー。

〜野菜づくり2年目〜

〜我が家が今の暮らしに至った経緯〜

〜自ら畑に関わり始めたけれども、いま、自分たちの大事にしたいと思うはっきりしたものがあった〜

 

 

 

〜野菜づくり2年目〜

 

野菜を作ってみる暮らし2年目。

本気でやり始めて、反省してることがある。

オーガニックがいいとか、農薬は良くない、だとか、いってたこと。

自分たちが食べるものとしての野菜のことしかみてなかった。

 

そうじゃないんだよね。

作ってくれてる側からしたら生業でもある。

彼らの暮らしを想像せずに、そんなことを考えてた小さな自分に反省だ。

 

 

〜我が家が今な暮らしに至った経緯〜

 

息子を授かってから、食材を変えた。

オーガニック野菜と伝統的調味料を扱うラディッシュぼーやって宅配に5年くらい頼ってました。

そうしてるうちに、野菜は地元のこだわり農家さんと直接契約して配達してもらうようになり、調味料も自分で調達するようになって、宅配のチラシ見て欲しくなって、必要のないものを買いすぎることも減って行った。

 

ちょうどその頃起きた東日本大震災

原発事故がおき、東京に住んでいた私たち。わたしは小さな我が子に対するこれから生きていくこの世界への不安と絶望を感じ、呆然とした。

けれども、生きていくしかないという答えに至り、ふとこの事故は何も知らずに、何も考えずに当たり前にいきてきた自分のせいでおこったのかもしれないって思いがよぎった。

誰のせいにしたとて流れ出た放射能は帳消しにならない。

そんなぶつけどころのない苦しみの中、根本は、自分がどう生かしていただいてるのか知らないことにあるのではないかと、ハッとしたんだ。

 

そうして思った。わたしは自分の周りのことから知る必要がある。

電気は何からできてどうやって我が家まで届いているのか。そしてそれはその頃の暮らしで使っていた量が、本当に必要なのか。

この食材はどこからきたのだろうか。原材料一つ一つをどう集め、どんな人がどんな思いでつくってくれたのだろうか。

今までいただいていた農家さんのお野菜もそう。どれだけの思いと手間が詰まっていたかを自分は本当に理解しようとしていたのだろうか?単に応援している、って上からの気持ちになってなかっただろうか。

靴も洋服もこの家もそう、、、、。

と思いを巡らせ始めた。

 

そうして我が家は暮らしごと変わった。

旦那さんがその時の仕事を手放したと同時に、今の私たちにとって本当に大切なことは何かを夫婦で探し始めた。

そうして2年、大事なことを見つめていった結果、旦那さんはもう一度仕事を辞めた。

 

その頃の我が家には80歳に近い素敵な人生の先輩がいた。

その人はこう問いかけた。

あなたは今、幸せですか?

我が子よりもまず、夫婦であるこの関係を大事にし、丁寧に関係を作っていますか?

あなたの丸ごとの生き方の中から、あなたの子を含めて7代先の孫の代になって、その子にどういきていてほしいかを考えていますか?

、と。

 

ハッとして、いつも考えては行動にし、感じて試して考えて今のわたしがある。

そしてそれはこれからも続いて行くわたしの行動の原点である続ける。

 

 

〜自ら畑に関わり始めた〜

 

そんな家族で過ごす日々の中で、山の開拓を始めた旦那さん。

不思議な、ありがたいご縁で、とうとう旦那さんが有機農家さんにお手伝いに行かせてもらうようになり、自然農法の農家さんとも繋がりができてどんなふうにお野菜に愛を注いでいるのかを感じながら、いただくようになった。

 

〜自ら畑に関わり始めたけれども、いま、だいじにしたいとおもうものがあった〜

 

そしてつぎは自分で育てることになった。

でもね、私たちは畑以上にいま、大事にしてることがある。

 

パーマカルチャー研究所をやってる我が家。

家も手を加えてるし、自営だし、畑もして、土地を貸してくださる高齢の大家さんのお手伝いもしたいな、とおもう。自分の身体も強くない。

それと我が家が一番大事にしていることがあって、小さいうちの子どもとの関係を丁寧にしていきたいという思いがある。

大人は小さな人のそばにいることで、かれらのいま、必要なことを感じていけるようになるんじゃないかと私は思っていて。それでも彼らが求めることと違うことをしてしまうことがたくさんあって、彼らはそんな私を受け入れて怒らずにいてくれる。自分の感覚と我が子の感覚は全然ちがうから、私がいいって思ったことが彼らにとってそんなによくないこともたくさんあるのが現実なんだよね。

 

それを自分の中で、肝に命じておく必要がある。

私が良かれと思ってしたことはかれらがほんとうにほしかったものなのだろうか、と私はよく自問してみる。

少し大きくなった大ちゃんには直接聞いてみることもある。

日常の細かなことで、私がしてあげたいと思ったこととこどもがしてほしかったんだあって事って、違うことの方が多いんだよね。

怖いもので、大人は自分の思い込みで走り過ぎそうになってしまうから、基本的には自分がやろうとしてることは余計なことかもしれない、って思いでブレーキかけながらやっとくのがちょうどいい加減だと思ってる。

余計なことをしてしまったとしても、せめて、しすぎないように。

 

一緒にいてね、息子が7つになった時、それを噛み合わせることの難しさを痛いほどしった。

 

でもそれをできるだけ小さいうちに知るって、親として大事なことなんだ。

私個人のやり方を押し付けてしまうことになるんだったら、黙っていた方が、彼らが自分の力で生きる感覚を育てる時間を邪魔せずに済むんだよね。

中学生になってからじゃあ、うるさいおばさん、って思いができちゃうので遅くて、小さいうちからの積み重ね。

 

子どもは成長が早いし、感覚が鋭いのでどんどん変化もしていく。

私の側が、この子はこういう人って決めつけないように気をつけながら接していかないと、それもまた邪魔をしてしまうしね。

親として、「あなたのことをほとんど知ってる」のは、大人側の思い込み。私はこんなに一緒にいても、一緒にいた時間でおきた過去の出来事のいくつかを知ってるだけで、子どもの心の中で常にどんな感情が動いているかはわからないことも多い。

 

赤ちゃんのうちから保育園に預けてまでパーマカルチャーやっても、家族関係はパーマカルチャーじゃないよね、って考えがなんとなくあったので、子どもたちとも一緒に過ごしてきた。

 

これは我が家スタイルなんだけど、子どもの予定は日々変わるの。

子ども同士、明日も一緒に遊ぼうねえ、って約束したって、次の日はお互いに違うことに興味持ってることがほとんど。今の遊びはいまだけ。

だから親子で幼稚園に行ったら、かれらがあきるまで付き合うようにしてきたんだよね。

毎日その日の動きは朝決めて、親子で通う幼稚園に登園して帰るときには変わってることもある。

大人に合わせることで自分の主張を諦める人になって欲しくなかったので、帰る時間も含めて私は子どもと予定に関する約束は一切しないことにしていて。

その都度お互いの希望に合わせて相談できればそれでいいから。

 

だからね、パーマカルチャー畑にしたくても、自分の手で開拓し、自然農法のために土を研究してる余裕はなくて今に至ってるんだよね。

子どもとの関係は小さいうちからの積み重ねだけど、こちらはゆっくりしていけばいいって思っているから。

我が家にとって自然な流れで今がある。

 

畑ではなく、親子関係を耕してきた成果は大きいなって思うので、オススメするとしたら、私はまずはこちらの形をオススメするなあ。

 

我が家の親子関係はありがたいことに、思春期になってくそばばあって吐き捨てられないだろう揺るがない安心感が既にある。

 

未熟であるがゆえに感情で子どもに怒って、日々反省する私。だけども、そのあと、ごめんね、これからまだ成長していくので許してね、って私が我が子に伝えられる日常。はっきりいってまだまだ余計なこと言ううるさい母ちゃんだけど、これくらいじゃ、私たちの関係は揺るがないどっしりした絆はもうできてるので、自分の未熟さをきちんと謝って、これからも日々成長していくすがたをさらけ出してればいいと思ってる。

 

素直でいることの大切さとここちよさを育ててきた。

その大切さを家族一人一人がきちんと知ることができたいままでのくらしがかけがえのないものだったんですよね。

 

 

そんなわけで、少し大きくなってきた我が子とともに、自粛生活のおかげもありようやっと畑をしています。

本題に入る前に長くなったので、ここらで区切って次は次回へ。

 

 

しいたけをいただいた。

これを干した息子の五目寿司は絶品。

畑をしながら小さなお店を開くか、キッチンカーで旅をしながら、暮らしたいらしい。

とってもいいアイデアだと思うなあ。

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こっこは大ちゃん仕込みの包丁使いから始まり、料理は全て大ちゃんから教わった。

大ちゃんはほとんど世で言うような勉強をしてこなかった。

だから読み書き計算を必要に応じて身につけてきた程度で、学力テストでもしたら学年相応の力はないと思うけれど、今を受け入れる力も、人を大事にする力も歳以上だよなあって思っています。

 

彼の優しさと経験がこっこの興味を上手に育ててくれてこっこもりょうりをするようになった。

昨日、誕生日してもらったんだけど、6歳娘、自分で買い物リスト作ってココアや果物買ってきて米粉の粉から自分で引いて、ココア蒸しパンを作ってくれました。(詳細はまた今度。)

私ずっと畑にいたのに。

すごすぎる!!

それにはたと気づいてしまった。

本当にこっこにも大ちゃんにも全くもって敵いません。

 

一番未熟なのは母である私。

教えることなんてなくて、学ぶことばかり。

精進いたします。。