日々が愛で溢れていることを感じられるようになった私。
こちらはFB記事に加筆したもの。
自分がどう生かしていただいてるのか、しりたくて日々を生きてます。
畑を昨年からみっちりやってます。札幌で作物を作れる期間は約半年。
ハウスで苗だてはできるけど、ストーブを炊くほどの寒さのなか、覆いやお天道様の加減を見ながら、芽を出させて、それを枯らさずにそだてるのが、しろうとのわたしには、まずむずかしい。
去年は、ハウスの風通りを失敗し、ポットの中でタネが煮えてしまい、ことしは芽をだしてくれたのに、温度調節をミスり、双葉になる前に枯れてしまったのもすでにいくつも。
ホーマックの苗は奇跡だね、と旦那さんと話します。そう話してたら、昨日、私たちの農の師匠(人生の、でもある)から聞いた言葉を、旦那さんが話してくれました。
「うちのタネを作ってる人は、ビニールハウスで寝泊まりして、タネの研究をするんだ。人間とおんなじ、手足が冷えては健やかにいきられないでしょ。」と。
愛することについて、とてもリアルに考えさせてもらいました。
農家さんは、我が子のように野菜を育てるって有名な言葉があるけれど、それが、すっと腹の底におちてきました。
いきてるんだよね。
タネを落とす日が、1日違えば違う状態でそだってゆく。
この小さなタネから双葉になる頃には、タネの頃の十倍以上の大きさになる。
山からの恵みに感謝をし、自分たちが口にする野菜に、作ってくださった農家さんご家族の愛をもっとしっかり感じるようになった。
沢山の恵みへの感謝と、一つ一つにタネを落としてくれた農家さんの愛を忘れない日々を送りたいなと思う。
たくさんの愛が自分のそばにあったんだなって気づかさる日々。ありがとうございます。
そんな思いとともに今日も、我が家の畑に向かいます。
私はこの子達にどれだけの愛を向けられるかな。
家族にも同じ。
愛を向けた分、答えてくれる存在がたくさんいてくれる日常の中で、生かしてもらってるんですね。
日々は、たくさんの奇跡でできてるんですね。
ありがとうございます。
子供達がじぶんたちのきちのまえを耕しはじめました。
日に日に増えていく、子どもたちの畑。
粘土質のため、めがでるためにはどうしたらいいか、畑の土や山の土を混ぜてうえたそうです。
出たばかりの小さなルッコラを毎日大事そうに眺めています。
暮らしが遊びに、そして学びになっていくんですね。
学校に行かない日々から、彼らは自分自身から湧き出す興味とともに日々をたくさんの学びで満たしていきます。
生きている以上、あしたというみらいにどんなことがあるかわからないということを実感する今回のコロナ事態。
自分で感じ、考え、いまをひとつでもおおくのたのしみと喜びで満たせる事って希望だと思います。
もし、我が家が以前のようにアパートで暮らしていたら、どこかに出かけないと窮屈だったでしょう。
でも、山での暮らしが、家族関係を適度に調整してくれて、仕事と遊び、暮らしのいい距離を作ってくれていると感じています。
家族でここにこもれる時間もかけがえがない時間だと思える。
それをしみじみと感じ、こんな暮らしの良さもやっぱり伝えていきたいなっておもっています。
山での暮らしは自ら生み出せることが多くて、こもっていてもワクワクすることもたくさんあるなあって、思うので。