日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

人生は才能?

気になって仕方がないことがある。

 

うちにはテレビがないからときどきしかはいってこないけど犯罪のニュースを目にした時。

一通り聞いて、出演者のお話も聞いた後、いつもおもう。

その事件の凶悪さがどうとか、ではなくこんな悲しいことが起こったのはなぜか、その犯罪をしてしまった人の背景をかんがえてる。この人はどんな育ち方をしてきたのだろう。どうしてそういう行動をしなければいけなかったのだろう。その人の背景や抱えてきた心を想像する。

 

誰かと接していて、なぜ、この人は感謝の気持ちを持たないんだろうと思ったことがある。長い時間一緒にいた中のたくさんの場面でその気持ちをもった。

そしておもう。この人はどんな育ち方をしてきたんだろう。どんな風にかぞくとかんけいがあったのだろう。家族の中でありがとうって言葉は飛び交わなかったのかな、と。

 

お前、いい加減にしろよ!と怒鳴ってるお母さんがいる。見ていて気持ちよくないな、それは本音?子供の心理は大丈夫だろうか、とおもう。それと同時になぜそのお母さんはそういう接し方をせざるを得ないのか、思いを巡らせてる自分がいる。多分彼女がそうせざるを得ない理由があるはずだ。

 

そういう場面に出会ってはぐるぐると思いを巡らせてしまう。

 

人のことなのにね。なんでこんなに気になるんだろう。

そんなわたしに旦那さんは面白いことを言う。

その特性はわたしの才能だ、と。

才能、か。

うーん、困ったなあ。。考えさるんだよね。どうなんだろう。。。。

 

そう考えながらふと思う。

 

自分は親との関係に苦しんできたんだよね。

暴言もたくさん浴びてきたしね、そんな中にいた自分はいつも消えたくて、自分を信じることさえできなかった。

 

それを時間をかけて苦しんで這い上がって、自分の過去を整理した。

自分は何が苦しいのか、どう育ってきたのか、こんな生き方で幸せなのか、と。

そして親の過去にも向き合った。彼らはどうわたしを育て、彼ら自身は育ってきたのか。

 

そうしてね、見つけたんだよね。

わたしの苦しみは彼らが背負ってきた苦しみだった。

彼らも違う形であれ、悲しい気持ちを常に持ちながら育ってきたことを知った。

本音を素直に言えないなかでいきてきたことをしった。

 

わたしはそう育てられたことを受け入れざるを得なかった。

そして彼らは彼らなりに一生懸命生きてきたことんだと言う答えをわたしは見つけた。

 

だからね、気になっちゃうんだよね。

あれ?、っておもったとき、その人は自分がひび幸せに向かえるように生きてるのかな、って。

 

そして、自分が子供たちにとても気をつけていることがある。

自分が完璧な訳はない。だから彼らの思いに気づけないこともたくさんあるとおもう。

けれども自分のできる限り、我が子の足を引っ張る親でありたくない、と。

 

だからわたしは専業主婦をする。

家族を全力で愛すると言うことはどういうことかしりたいんだよね。

 

この気になることから生まれることがあるのかもしれない。

わたしは苦しいだけだと思ってきた自分の人生を今は仕方なかったよね、それなのによくがんばったねえ、今は日々幸せを感じられる人でありたい、って意識してる自分がいるからっておもえる。

わたしが思ってた以上にわたしは強く優しいんだなあーって思えるようになった。未熟さはたくさんあるけど、それを抱え続ける覚悟もできたんだ。

 

消えたい、って思ったいたらできなかったことだから。

自分は自分でいいんだ、そう思えて1つずつ超えて行く日々。

 

そんな自分が生きてきた道が誰かを支えることがあるのかもしれない。

そしてそんだけ考え続けてきた人生だから今は人の中で騒ぐより、静かにミシンを踏んでいたい。

誰かの笑顔を見にパネルシアターをしたい。

心を緩めるために気持ちよくウクレレ弾いて、ちょっと歌って、自分の中の小さな自分が喜ぶように、いまの家族と楽しい安心できる時間を過ごしたい。

そして傷つけてきた自分の心と身体を自分で癒せるように、リラックスしたり、子どもたちの笑顔を眺めていたりしたい。

 

そのためにしている努力もある。

できない今の自分をそのまま受け入れて、できるようになるまで待つこともしながらわたしは自分がどんな人でありたいか考え続ける。

自分が何を大事にしているか、知っていく。

そうして日々を生きていつまでも成長して行く。

 

たくさんのことを受け入れられずに怒鳴り続けた母の苦しみは今、わたしの中で自分の人生の時間の怒りの時間をすくなくしたい、っておもいを意識づけてくれている。

怒りと憎しみ、悲しみと不安と恐怖は、なるべく小さくしたいから。

 

虐待で受けた脳の損傷を癒すきっかけをくれた人生の先輩がいます。そして今きっとわたしは自分でその傷を癒し続ける力を持っている、そう感じています。

 

それはあなたの才能でしょ。

この言葉はわたしの人生まるごとを肯定してくれてるみたいだね。笑。

自分はどんな人間か知るということ。

自分の弱いところも変わったなあ、うれしいなあって思うところも。

そうして自分はどう生きて生きたいか意識して行く、ということ。

 

自分の思いも自分の過去も自分の弱さもたくさん聞いてもらったね。

黙って聞いていてくれた旦那さんに感謝してます。

自分を感じられる心になりました。

とても大事な作業だったよ。

そしてね、改めて感じています。

 

夫婦関係を大事にして行くことの大切さも。

余裕がなくて旦那さんの話を聞けなかった頃の自分。

落ち着いた気持ちで聞いてみたら、かも合わなかったお互いの行動が、旦那さんもわたしを思い、子供を思ってくれてた。

それが腑に落ちて申し訳なかったね、と言う気持ちとありがとうと言う気持ちで日々がある。

今、ともにいる暮らしの中でめんどいでしょ、って言われたりもするけど、わたしは、いてくれてありがたいんだよね。色々あるけど、土台に旦那さんの思いがあるよね、って想像できるから。

そしてようやっと、こどものおもいをなんできけないの?と、パパを悪者にすることなく、子供達にこんな言葉を口にするわたし。

大ちゃんの気持ちもわかるけど、パパもそれが苦手なんだよね。わたしも手伝うから、どうにかそこにより知ってあげる方法はないものかなあ、と。

 

思うことで思い合える。

それを実感するとともに実家の両親の生きづらさをかんじ、実家の家族環境がそうせざるを得なかったことを自然に理解して行くことの積み重ね。

 

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わたしはそんな今の夫婦関係を大切にしていきたいとおもっています。

そう思えるのもわたしの才能だね、笑。