日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

夫婦の関係を築いて行く努力をすること。

日々の中で夫婦でたくさんのすり合わせをするのが日常になりました。

 

五年前、こうじゃなかったな。

旦那さんは月に一度しか休みがなくてずーっと仕事をしてた。好きなことでもあったし、かなり頑張っていたんだと思う。

 

それを支えている気持ちで表面上はいながら、つい、ぐちがたまり文句に変わる。

それが嫌だった。つい、自分の方が頑張ってる、という気もちになって文句になったり、愚痴になったりしてしまう。

自分に余裕がないために、旦那さんがどんな気持ちで仕事に行ってるのか想像できなくなってた。

 

新婚だったあの頃、もっと相手を思って日常をくらしていたな。長い時間新婚の感情であることはむずかしい。けれどももっと旦那さんがどんなふうに思って家族とあるかについて思いを巡らせることを習慣として取り入れる努力をすべきだったとは思う。

 

仕事ばっかりしてるようにみえる旦那さんの想いの中に、家族を思う気持ちが入ってるのだから。苦しんでいたのかもしれないから。

それに感謝して添える言葉とそれをスルーしていう言葉では伝わり方が全く違うし、自分の旦那さんへの想いもかわってゆく。

その習慣を持たないことで、自分の忙しさに負け、相手の不快な場面が強調されて行く。

 

自分で旦那さんから気持ちを離して行く思考を作っていたんだと今は思う。

 

共に日常を過ごすようになって関係は変わった。

新婚期を経て子供が生まれると関係がかわる。

母性のためか、優先順位が子供優先になる。そして産後の疲れもあり、旦那さんのことを考える、ということを忘れて行く。いつしか、思いやり度数はかなり低くなってる。

 

子供たちに優しさを持って大きくなってほしいとか願うくせにね、自分がそばにいる家族に優しくなかった。

 

一般的な家庭の暮らしと旦那不在の家庭の暮らしを経験し、わたしの場合は、旦那さんなしで子どもと動くことのなれきってた。だからしょくじのしたくはせど、自分のことは自分でどうぞ、のこころもちだった。さぞかし寂しかったろうと思う。

 

家族の優しさの土台は夫婦関係だよ。

 

これを学校で教えてくれたらどうかと思う。

わたしはありがたいことに、五年前にそれを教えてもらった。

その言葉が数年かけて自分の中に浸透し、ハッとした。わたしは旦那さんを大事にできているだろうかと。

 

その頃、旦那さんは育休を取ってくれた。わたしのこどもとのかんけいがあまりにあやういので、意を決して取ってくれた育休。数ヶ月だと思っていたのに、その企業で初めての、1年間の男性育休。

 

旦那さんのいる暮らしになって子どもたちの喜んだこと。

ああ、家族のことをずっと思ってくれてたんだね、そう気づき、自分が変えて行かねばならないことと向き合う覚悟が決まった。

 

旦那さんとの関係を見つめ直そうと。

久々の暮らしの中で、たくさんの価値観の違いとぶつかった。

喧嘩したこともあった。けど、それを積み重ねるたびに、自分の中での意識ははっきりして行った。

 

家族全員が暮らし良くなるように、する合わせていくのだと。

だからいつまでも怒る表現ばかりしてはいけない。自分がここでなぜ怒らなくてはならなかったのかを整理して行かなくちゃ、と。

 

旦那さんの話を聞けるように自分の気持ちを整理して、怒っては話しあいにならないので、きちんと伝えて相手の想いとすり合わせて行けるよう、また自分共向き合って行く。

 

その作業をひたすらしてきたけど、これからもきっと続いて行く。

 

旦那さんに怒って表現する必要がなくなった。

お互いに何気無い話もしあうようになった。

嬉しいこと、疑問、小さなことも話すこともある。

おたがいをりかいしようとするどりょくがお互いを思う力になり、ありがとう、ごめんねを使い合えるようになった。

 

わたしは毎日たくさんのありがとうを旦那さんに思う。

相手がわたしに対してどんなふうに思ってくれてるか想像する。

この数年、たくさんのそんな時間を超えてきたから揺るぎないありがとうという思いがわたしの中にある。だから亭主元気で留守がいい、とは毛頭思わない。

いまいっしょにいてくれることがありがたい。

 

そのことが家族という空間に安心を読んだのだと思う。

色々あれど、子どもたちは優しく揺るぎない。

我が家の中に流れてるのは素直な空気。

 

もちろんわたしが怒る時も普通にある。

それが理不尽なら子供達からあっさりとそれは変だよ、と返ってくる。あるいは無言のまますぎ、大抵、冷静になったわたしが、謝ることも多々ある。

あなたのしたことがわたしの感情に触れちゃっただけ。伝えたいことは使ったら片付けてってことだけで、いかっていうこともなかったよね。。ごめん。

それに対して、子供達はいう。ああ、ごめんね。何度も言ってくれてるのにね。(子どもたちの方が凛としてる。)

わかってるのに自分の中に浸透するのに時間がかかるだけなんだよね。わたしのリズムであなたを変えようとしたことに反省です。。となる。

 

お互いにごめんねが飛び交う。

そうしてお互いの本音が顔を出す。

ありがとうの時もそう。

私たち家族はここ数年、素直さが必要とされる環境にいつも身を置いているから、家族の中で、ありがたいね、嬉しいね、悲しいね、ごめんね、とお互いにたくさんの表現をするようになった。

 

家族それぞれの今を理解するためにとっても大事な、素直であること。

 

夫婦の間でのコミュニケーションを大事にする。

そうすればおのずと家族の関係は変わって行く。

 

それを経験しました。

とても大事なことなのに、一般的じゃない、夫婦で思い合うと言うこと。

家族となる時にとても大切なことを伝えていけるような人間でいたいなとおもう。

それがあふれる人でありたいと思う。

 

私たちはこれからもたくさんのすり合わせをしてゆくのだとおもう。だってまだ若いから、わたしたち。それに違う人間だから。

 

それとね、どんな家族でありたいかをよく話してる。

そのイメージがお互いに見えるように。

夫婦の関係を丁寧に気づいて行きたいなと今日も心に留めながら暮らして行こう。