日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

図らずも経験することになったモバイル漬けのいちにち。

今日は最終日、バンコクにもどり、シティライフ。外に出ても暑いだけで遊ぶこともできない街中なのでこの時ばかりは動画視聴オッケー。無法地帯にしていたら夕方からムスメが大爆発。何度もぶつかってきては理不尽なことを言う。話も入らずどうしようもなく、もう、動いてそのエネルギーを外に逃がすしかないと外に出てしばらくすると冷静になった。
初めてわたしが何も言わずに動画をみたいだけみた。合わせて4時間以上。寝転がりながらずっとみてた。冷静になって一緒に見ていた息子も交えて話を聞く。


ムスメ「ぼーっとして疲れたし、なんかわからないけどグジュグジュしたくなっちゃったの。」
ワタシ「みんながゲームにハマるように、動画に取り憑かれちゃったのかもね。」
ムスコ「ああーあ、そうかも!!!!本当にとりつかれちゃってた!!!だから携帯のメールを1日に600回とかしちゃった中学生がいるんだね!!(うちのおせわになってるホームドクターのクリニックにおいてある某冊子より)」
ワタシ「わたしもそうだった。ずっとみてた時期があってぼーっとして気持ち悪くてね。おまけに身体痛くなってきちゃってね。怖いなあって思って、だから携帯手放したの。外のリアルな世界はもっと気持ちよくて楽しいって今は感じてる。ムスメ、こんなにくるくるうごきまわってて、きいてくれなくて、明日飛行機に乗れなかったらどうしようってほんきでしんぱいしたよ。じんたいじっけんになっちゃったね。」


お互いに感想を交換し合う。そして。
ワタシ「わたしも想像してなくてごめんね。でもお互いにいい経験したかもしれないね。」
「うちはこの経験で多分、違う状況が舞い込んでも中学生で携帯持っていいよ、って言わないなって、いまははっきりおもう。相手の返信が気になってコントロールできなくなっちゃうかもしれないのと、もし携帯ばっかりになってしまったら、たとえばせっかくタイに来ていろんなこと感じる時間が、そっちに気を取られちゃっていつもの日常しかなくなっちゃう(いろんな状況があるので私たちの場合は、だけど。。)本当にもってみたくなったらじぶんでばいとしてもったらいいとおもう。自分の頑張って得たお金をそこにつぎ込んで幸せか、それとも違う方に使ったほうがよかったかじぶんでかんがえたらいいとおもう。きっと持つと言うことは今の社会の中でそれくらい人生の時間を注ぎ込んじゃう大きなものだから。」
ムスコ「うん、そう思う。本当に動画見たくて仕方なかったもん。一緒にお茶しに行ったほうがよかったなー。」
ムスメ「うん、これからはもっとかんがえる。」


お互いに感じたことを交換できてよかった。経験してなんぼの人生だと思ってた。でも想像できたら経験してほしくないと思ってたと思う。図らずも人体実験になった。でも経験したからなっとくしたんだろうな、やばい、って。


息子の実感は疲れてぼーっとしてやだった、だけだけどムスコもムスメのすがたにこまったそうな。ほんにんもどうしようもなかったそうな。


お互いに困ったその瞬間に、きちんと一緒に整理できてよかった。いろいろあるなあ。

 

わたしの好きな屋台飯。

北部名物、カオソーイ。カレーラーメンにあげめんとコトコト煮たチキンが乗ったもの。

うまいんです。

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おかず乗せご飯。ガパオライス。これが食べたくてタイバジルを育てたくなっちゃうくらい好き。

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