小さい人と暮らすこと。
山で暮らすようになって一年と少し。
大ちゃんが生活の仕事を手伝ってくれる。
薪割り、薪運び、畑が忙しい時期はご飯の支度、、、、。
ありがとう、というとさりげなく、うんといってまたあそびはじめる。
遊びに夢中でできないときはごめんね、今できなくて。ありがとうね。
と言ってくれる。どちらもとてもすごいことでその気持ちに胸がいっぱいになる。
わたしが幼いときはまた違う親子環境だったので比較し難いけど、わたしにはそんな気づきはなかったな。
思えば、タイの村で暮らす経験を通して、村の子たちの優しさに驚いた。
おばあちゃんが荷物を持って歩いていたら少し大きい子が遊ぶ手を止めてお手伝いして、お家まで運んで戻ってくる。わたしがキッチンに立つと手伝ってくれる。楽しそうにおしゃべりしながら。
大きい子は小さい人のお世話を(性格にもよるけど)してくれるから小さい人は大きい人が大好き。小さいうちは好き勝手やって、大きくなってくると、少し大きい人からそれはみんなで分け合うんでしょ、と言葉が飛ぶ。
自分だけではなく、他の人も気持ちよく過ごすにはどうしたらいいか考えて動く、しなやかに動く彼らのその光景に心が震えた。
大事なことってなんだろう。常識やマナーとして言葉で教えるのではなく大人が心と態度で実践して行くことの意味をここでぐっと感じさせてもらった。
そして「暮らしを手伝うことは、その子の人生に必要なものを体得し、学ぶためであってバイトじゃない。生きるために必要なことを大人が交換条件や損得なしで、丁寧に伝えて行く必要があるものなんじゃないかな」っておもった。お手伝いはそもそも、大好きな家族が大変そうだから手伝おう、って優しさから生まれるもので、それにありがとうと両親が思うことで家族が回って行く。
それにいまやっと気がついたわたし。
そして反省をするわたし。
我が子が小さい頃、洗濯や料理に興味を持ったその時から、一つずつ丁寧におつきあいしていけばよかったな。全くしてこなかったわけではないけど、やっぱりさっさとおわらせて公園にでも行こうかな、がわたしの考えだったから、生活で遊ぶ、というやり方はしてこなかった。
彼らは大人が考えてる遊びだけが遊びじゃない。
生活も遊びだ。
そしてこれを積み重ねることで生活の仕事に興味を持ってくれ一緒にやってくれる。
暮らしが回って行く。
今は学校に行かない長男は生活を自ら手伝ってくれる。
生活の仕事の中に彼の好きな仕事があり、料理は気づけば朝から晩までやってくれてて、遊びつつずっと料理してて好きなんだなあっておもう。すこしはよりそえたのかな、とここでほっとさせてもらいながら。。
タイの山での暮らしの中でも彼は気づいたことをたくさんしてくれる。
水やり、キッチン、洗濯。
ここで28人分の食事をわたしが作っていたあの時から彼の気づきはどんどん深まり、繊細な配慮ですごいなあと尊敬してる。自分が暮らしのために何をしたらいいかをいつも考えているから。
先進国での暮らしできづいたことがある。
こどもは「遊び、勉強、習い事」この三つがしゅになってるきがする。
生活の仕事を基本的にしなくていいと大人が思ってるから、お手伝いして!ってなるし、学校の宿題でお手伝い目標を書かされるという変なことになってる。いやいややってる時点でそれは学びになるんだろうかとちょっと疑問に思う。
いつ見やってくれる家族にありがとうって気持ちになることって大事でそこでお金が発生したり、褒められることを目標にしちゃってたりすると、それがこれからに生かされて行くのは難しいだろうなとおもう。大人もそのときに暮らしのスキルを丁寧に伝えていってるだろうか。この人の人生のために必要なことという意識がないとそこにもよりそえないんじゃないかな、とおもう。
今年わたしはこの村で一つ感動したことがある。
一歳の男の子が自分にとって大きいことなの女性でも重いと思うハンマーを脇に挟んで持って釘を打っていたこと。その子のお兄ちゃんはわずかな釘の曲がりを指摘して優しく教えてあげていたこと。大人にその意識があれば1歳でも釘が打てる。
暮らしの上で何が大切か考える。
彼はこれでうちが立てられるようになる。
何が危険かを予測できるようになる。
パパと同じようにできて嬉しいと思える。
両親は子どもたちにとって憧れなのかもしれないときづかせてもらう。
この子の親みたいな大きな憧れの存在にはなれない。けれどもひとつでも憧れる部分もをつおやでありたいと自分に思う。
だから自分がどう子供と接して行きたいか、どんなひとでありたいか、これからも考えていこうと思う。
布を仕入れました。今年は着物地を手に入れて合わせ技でスカートを作りたい。
いつかこうして旅先でものを作って買ってもらってお金にしていけたらいいな。