こったんのアレルギーのこととあれこれ。その3
アレルギーから始まる身体のあれこれを考えること、我が家の日常です。
あんまりにも夫婦でするもんだから、今や家族の会話。
大ちゃんはわたしの参加する勉強会にもついてきて5時間座って大人の話を聞いています。
ホームドクターの自然療法の勉強会。
結構難しいことなんだけど彼なりに理解してじぶんで今日からこれやってみようと思う、と実践してみるのです。
体調を崩す前から自分で日常にできるケアをし、いざ、体調を崩したら断食をする。
断食に関してはいろんな考えがあると思いますが、少なくとも大ちゃんには喘息の発作が治る、と言う目に見える成果を得てる。
子どもの頃から薬だけを頼らずに自分でできる方法をしっていく、その大きさと希望を大ちゃんを見て感じています。
そう思った時に、こったんのアレルギーですら、身体に余計なものを取り込まないという希望を感じています。そしてアレルギーであるということが、小さなうちから身体と向き合う訓練をさせてくれているのかもしれないと。
ホームドクターの言うように、彼女の身体はすぐにガラッとは変わらないと思います。それによりそうわたしの覚悟がここできまったしこれからの時代、アレルギー人口は増えて行くように思うので、選ぶ選択肢もふえ、小さなうちから向き合った分、しなやかに生きていけるんじゃないかと。シンプルな暮らしをした分、たくさんのものを欲する必要がなくなって行くから、彼女はきっと生きやすくなる。
札幌の山での暮らし、物にも食べ物にも執着せず、バックパック一つで数ヶ月を過ごす旅をしてきたこの暮らしが、きっと彼女の生きる道を支えてくれる、そう今は感じています。
なのでアレルギーであることも丁寧に家族で超えて行くことで、彼女はこれからも自分の身体を大事にしていってくれるのかな、と思いを馳せながら。私たちが親として寄り添えるわずかなこと、なのかもしれないな。
余談ですが、我が家のお世話になるクリニックでは自分の身体を大事にする=ご自愛くださいと教えてくれています。
自分を犠牲にする方が簡単だったわたしの生きてきた道、お母さんになってからは自分がするしかない、だと思っていました。辛くても自分がしなくちゃ、と。
でも大ちゃんはそんなわたしに、「辛くてイライラするんならお母さんだからって動く必要ないよ。頼んだらいいでしょう。」とここ数年言ってくれていました。今のわたしは辛い時はお願いします。
「母ちゃん辛いので寝かせてね。妹のことお願いしますね。夕飯は遊び次第でご飯だけ炊いてもらってもいいし、なんか作ってもいいしお任せするから。」
たいていわかったよーっていってくれます。先日も、バタンキューと寝たわたし、目がさめると頭の上で兄妹で野球をしていて盛り上がっていました。でもすぐそばで圧力鍋とお味噌汁を煮る、コトコトシュポシュポという音も。遊びの合間に暮らしの仕事を取り込んでくれたのでしょう。
もう一眠りすると、こんどはこちらデザートセットになります、とデザートを作ってデザートごっこ。一緒に食べれなくてごめんねっていうと、いいよ、楽しんでるー⭐️って返事。
自分たちの遊びにも手を抜かない、このたくましさに感謝と敬意。
彼らの時間を奪うことに後ろめたさがあったけど、日々は繋がっていて全ては積み重ね。家族の時間も積み重ね。元気な時にできることをして関係を積み重ねる。そして、辛い時はちゃんとお願いをする、それが我が家流だなって今は感じています。自分ができない分、理想も捨てて、彼らができることを自分で考えてしてくれるのを信じる。
それぞれの身体を思うことも積み重ね。お互いに思い合い、自分の体のことも思う。
お母さんだけが頑張らなくてもちゃんと回るんですね。そして感謝しているその分、元気な時は丁寧に関係を築こうと思う、いい循環をさせてもらっています。
自分にも優しく、人さんにも優しく。
ここ、サハイナンではオーナーさんとの会話であなたは今ハッピー?って聞くのが挨拶。
ハッピーな生き方ができる人間でありたいな。
かごにはいった2匹のチキンと笑、、久々の薪キッチン。
まきの太さや量で火加減を調整しながら、作って行く。
この時間がわたしはやっぱり好きです。
さっぽろも夏だけでいいから薪調理にしたい、ってほんきでおもう。。