日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

不便な暮らしと引きこもってる自分に思うこと。

今年は身体がしんどいことが多い年だった。

でも、そうだから気づいたこともあって。

身体が辛いと気持ちがこもって、引きこもりたくなる。

 

そんな体調があったから旦那さんとは裏腹に、今年はあまり人さんに会いたくないことの多いとしだった。

子供たちは色んな人に会う必要があるのに、こんなに会いたくなくって大丈夫かな??って思うこともしばしば。

 

そんな半年を過ごして出た答え。

今は、身体と心が休みたい時なんだろうな。

誰かに会うということはわたしの心に緊張を呼ぶ。

この習慣を持ち続ける限り、人さんと会うことへのハードルは変わらないな。

 

そう気づき、それが変わって行くのを待ってみることにした。

今は身体がついて行かないから、緊張感のあることはしないほうがいい。

そうして自分に素直に、優しくあることを習慣化して行ってみようと思う。

それはきっと私の身体の不調を変えて行くはず。橋本病もなおったらいいな。

 

甘いものでストレスを発散していた時間が長いから、いまになって調子が悪くなった。(数年前)。

そりゃ、昔は甘いものなんてあまりなかったのだから、この時代の糖分をまともにとっていたら不調が出るよね、緊張感もいつもマックスで神経薄くなっちゃってるだろうしね、だからふちょうなのか、って最近腑に落ちて、ガーンってなった、笑。

その上に運動不足。

子どもの頃から家族のお世話をするのが習慣だったから、自分で遊びに行って思いっきり遊んだり、部活をしたり、スポーツをしたりということをしてこなかった。

だから体を動かすことは得意じゃない。

それは習慣となり、運動不足の人生。

でも自分の人生を振り返り、人さんに会うことにものすごい緊張感を感じたり、自分なんて、と思ったり、うつになってもふしぎじゃないね、ってハッとしたことがあり、それをきっかけにくらしがかわった。

結局、気づいたらやめで暮らしてるけど、そこできづいたこと。

山で暮らす日々は運動をしなくてもからだを使う。

自分なんて、って思ってる時間も、人に会いたくないなあって思ってる時間も、外に出て畑したり、こどもたちときのみをあつめたりして動き始めると、すかんとわすれる。ついでに誰かの会っちゃってもフツーに喋ってる。

 

生活で身体を動かすって大事ね。

 

そんなこと考えてたら、今日泊まった宿のテレビで、人が来ただけでドアが自動で開く自動車の宣伝をしていて感動をしたと同時に、日常生活の中で動くことがもっと減って行ったら、うつがもっと増えていくんじゃないかとかってにしんぱいしてみました。。

不便はいそがしい。でも便利で手が空いた時間に色々考え込むより、ふべんでからだをつかってるほうが、心配や不安がわずかな時間でも消えていいんじゃないかなーとかんじてます。

 

我が家の暮らしは不便です。

んで、わたしは不便は可能性だと思ってます。おもしろい。

それは便利を否定してるでも、負け惜しみでもなくて、この方が心身ともに楽しく暮らせることをしったからかんじてること。

もちろんこの時代にあるものにたくさんの感謝をしています。わたしが自分でお裁縫できるのはそのおかげだから。わたしの仕立てたものを買ってくださるのもこの時代だから。

 

でもね、ふとおもったんです。生まれてから便利のなかでいきて、そこをゼロとしてもっと便利になってることへのふあん。きっと便利もメリット、デメリットで不便もメリット、デメリット。そして自分が心身ともに苦しくない暮らしかたを求めていたら今はここにたどり着いた感じ。

 

不便や物のない暮らしをしてみた我が家のいまのリアル不便を挙げてみるとざっとでもこんなに出てくる。

 

取り付けた全自動洗濯機は度々壊れ、なおしているから、全自動じゃないこともあるし、水道からお湯が出ないからしばれるほど冷たい北海道の水をストーブで温めて使ってるし、トイレも漏れ防止のためにその都度水を止めるために、一度流すと、貯まるまでまって排水栓を締めないとならないし、お風呂の給湯器の弁の調整をしないと壊れるから、お風呂の水を出したり止めたりするときは、お風呂で水道をいぢるひとと、給湯器の弁を調整するひとが必要だし。ついでに窓を増築するのが今年は間に合わなかったから結露対策のために晴れるたびにお布団を日に当てないとダメだし、笑。

冷蔵庫ないから冷凍チンして食べてね、って息子にも言えないし、野菜が必要だったら寒くても畑に行かなきゃならんし。買い物行くにもわたしは、運転できないから、歩いて1時間半でやまをおりないといかんし。

夜はうちの電気を落とすとキャンプ場レベルで真っ暗になるからトイレに行くのに一苦労。

 

でも何もないもっと不便な暮らしもしってる。

お風呂を借りてた半年以上の間、外から帰って好きなように身体を温めることができなかったから、お風呂が自分の家にあるだけでありがたいことで。

タイに行くと寝袋で寝て暮らしてるから、布団の眠りの質に感動してるから、大事にしようとおもえるし。

トイレのタンクにむずを入れるために、水道からジョウロで運んでトイレを使っていたから、自動で出てくるのも奇跡。

うちの断熱を入れる大変さを知ってるから、窓を容易に増やせない中で、できるだけに快適に過ごす別の方法を考えようとする思考になってることもいいよね、っておもえるし。

ちなみに去年は12月1日までうちの外にキッチンがあって雪がちらつく中洗い物をしてたから、うちの中にあるのが本当にありがたいことで。

 

山を歩いて降りる大変さはあるけど、往復3時間もかけて歩きそれが習慣になる頃には身体が確実に変わって行く。体力もついて体温も上がって病ももっと楽になるんじゃないかと想像しているのです。難しい食事療法もダイエットもいらなくて、続くかなあって心配もいらない、笑。

 

冷蔵庫のない暮らしは家事に手を抜くことを教えてくれました。1日一度まとめて作るご飯とお味噌汁。漬物と一品だけの煮物や蒸したもの。食事の準備にかける時間はながくても1日2時間くらい。あるものをいただくしかないからメニューにも悩まない。自分で育てた野菜は喜びで溢れてるしね。どれだけ虫がついてるかもわかるから虫がつかなくて大きくなった野菜が育った環境も想像できるようになったから、市場ものも選べるようになった。

それとね、大ちゃんに喘息があったのはアレルギー反応だとわかり、それをきっかけにこゆもアレルギー数値が高いことが発覚。グラタンや唐揚げ、たこ焼きやカレーを当たり前のように食べていたらもっとひどくなっていたのかもしれないなと思うのでそんな意味でも強制粗食は私たちを助けてくれていたようなのです。そんな子どもたちのおかげで、甘いもので生きてこざるを得なかった自分の過去と向き合い、我慢するのではなく、自分の思考を整理することで食事を変えることがようやっとできたわたし。

 

わたしが疲れてる時には、お願いできる?とつたえると、大ちゃんはじゃあ、今日のメニューはこれを使ってこうしようか、とこゆに提案。お料理好きなのも手伝って、こゆが歌い踊ってるうちにご飯をプレートにしておかずもお汁も添えて作ってくれます。

冷蔵庫があったら、それあっためてたべて、っていってた。それでもいいのかもしれない。けれども、自分がこんなことが好きでこれを作ったら家族がこんなに喜んでくれて、自分の腕が上がってることを感じて。彼の持ったものがこんなにそとにあらわれることはなかった。

 

不便な分、わたしが動けないときは彼らに負担がかかるときもある。

でも、遊びの合間でできる時にやってくれる?というと彼らは遊びの切れ間にそれをこなしてくれて、ありがとうと伝えるとこうかえってくる。

「さっこが身体辛いのに勝手にうちらのためにとかいって頑張ってやって、辛くてイライラされるよりよっぽどましだよー。」と。

生活に時間をかけねばならない分、負担が多いかなと思ったこともあったけど、こうして見えてくる彼らの本音もある。

 

いつの頃からか、親でも子でもかんけいなく、「お互いにできることをしようよ」の関係になっていたんだな。だからできる限り、自分が元気でいられる日常は子供達にも寄り添いたいと思うけれども。便利も不便も超不便も家族みんなで感じたから、お互いの存在をずっとありがたく感じられるようになった。

 

不便な暮らしにかける時間はわたしにとって、とても価値のあるものだと思う。こうして家族の気持ちを確かめ合えること。そしてわたしにとっては自分の身体をしぜんにつかえて、気持ちも切り替えてくれる時間にもなる。

愚痴を言ってる時間にやらなくちゃいけないことがあるからそんな意味でもよくって、笑。

 

我が家におとづれた不便の恩恵。

 

病で身体が重いように動かないもどかしさや鬱々とした精神状態を経験してるから、便利になりすぎることで身体を動かす能力や感覚、きもちよさが落ちて行くことで、わたしは精神的なもの、鬱が心配。。

 

適度に不便な方が感情が豊かな人間にはいいんじゃないかなーって感じてます。

 

そうそう引きこもりのこと。

ふとおもったけど、ずーっと引きこもりってことはないから。

こうしてひとさんにあいたくないなーって時間も大事で。ここを過ぎたらまたなにかがかわってゆくから。

子どもたちは外に出る必要があるし、こんなんじゃいかんかな、っておもったりもしたけど、かわってゆくその先をみることにしよう。

今の自分の気持ちを大事にすることで今の心身の状況だりかいできるよね。

自分の気持ちに素直になる。

少しずつそう歩けるようになってることが嬉しいなと思う。

 

自分がどう生きて生きたいか?と聞かれたとしたら、自分に素直に、自分のペースで、だな。

日本でないとこで暮らす時間は余計な刷り込みをはずして自分のペースを見ることができます。

異文化の中にいることってそれが必要だから。

 

米粉って難しいから、今や息子の方が扱いが上手。

好きだから研究熱心なんだよね。

妹もたべれるものしかつくらないし、買わない。

その優しさが伝わってもっと仲良くなるんだね。

かけがえのないこどもたちにたくさんのことをおしえてもらっています。

蒸しパンとクッキーとパンケーキでカフェごっこ

f:id:yurukkosae:20191102054120j:image

こちらは天ぷら。うちはワンルームで油臭くなるので外で2人でやってもらってます。
f:id:yurukkosae:20191102054116j:image