パネルシアター劇団、親子で公演にいきました。
10年ぶりにパネルシアターの公演以来をいただいたので行って来ました。
こどもたちもはりきっていってくれるというので劇団らしくなんか見てわかる面白さが欲しいと思って作ったすいかスカート。
だから劇団「スイカの親子」でデビューしました。
親子でパネルができるなんておもってみなかった。
ほんとは赤りんご、青リンゴのシャツの予定だったけど、赤りんごが廃盤だったから何にしようと考えた結果、スイカが面白いかと。
夏が終わり、廃盤柄だったのでまた来年も依頼をいただけたらTシャツもいいなと夢見ながらすいかスカートとこのバックで登場。
バックの中にハンカチやら楽器やら仕込んで、ワクワクポイントもこさえていざ出陣。
0から3歳未満児さんの保育園だったため、きゃーと楽しむより、釘付け状態のみんな。
久々でそれに対応しきる能力がなかったため、自分のペースで行ってしまおうと駆け抜けたけども笑、45分、みなさん釘付けで乗り切りました。あとの15分はもともとおまけのつもりでいたから。
わたしはウクレレ弾きながらお芝居をし、太鼓をたたく息子、張り切って練習したくて、えー、もういいじゃんって私に言われるまでやり続けた娘はやっぱり恥ずかしくてちみっとタンバリンを叩いてくれた娘。
でも親子劇団は全部がパフォーマンスだからそれでいいやって行ったのもよくて、小さい人が大好きな大ちゃんはうまい具合にちびっ子を太鼓に巻き込んでいい雰囲気の親子公演でした。
平日の昼間、こどもたちとでかけた保育園。息子や娘にとってはいつもと違う場所で小さな人と、園児さんにとっては少し大きなお兄さんとこうして日常で、自然体で接することができるって豊かなことじゃないかと感じながら過ごした時間。またこういう時間をもって行こうと思いました。
ありがとう子供達。
楽しんでくれたみんなもありがとう。
人の前で自分らしさをもってはなしをするのは苦手。
近頃、自分を認識する期間に入ってる私は、今の自分をそう捉えてます。
これは好き、これは嫌い、これは苦手。
最近このはっきりした感情が心に止まるようになり、ああ、大事なことだなと思って整理して来た。
子どもとの時間の中でも、これは苦手、これは嫌だって出てくるからその度に自分と向き合い、その感情と向き合いながら、ならば今、我がことどうしたいかを考えながら過ごすことに時間をかけてる。
自分を知る大事な作業を今まで、時間をかけてこれなかったから、自分は後回しで周りに気を使ったり、おやのかおいろみるためにひっしだったりしてたから、ここに来て、我が子との姿からそれを整理してる自分がいる。
んで、一年前のお話会で、自分は大勢のひとの前で話をするのが苦手だし好きじゃないことを知った。
苦手は克服するもんだと思ってる自分がいることも改めて感じ、自分のいつもの行動を省みて、自分を知った。
でも今は自分のペースでいる習慣をつけようとおもってる。
だからいまのわたしは苦手を克服する必要はないし、頼まれた時点で、今は無理だなあって恐れずにお断りしておけば誰にも迷惑かけないしってことに気づき、必要以上に頑張らないように意識するようになった。苦手を全て克服する必要もなく、必要なら克服すせねばならないときがくるからその時でよし。ゆくゆくは変わって行くしね、今頑張る必要もなし。
だから私は人前に出ないタイプって半年くらい思ってたけど、こゆのパネルブームにより、昔の楽しさが蘇り、ひょんなことから、公演依頼を頂い他のでやってみたら楽しくて、これは続けたいと思ってしまってるから、「人の前でも自分のペースで」ってことは克服する必要をむかえてしまった。
んでもって、好きなのでできそうな気がする。
好きなことって不思議で、自分が楽しむついでに、誰かが笑顔になってくれたら嬉しいから、自分のペースでやってみるかー、そうこれに関しては思ってる。
お話会を通して克服するんじゃ、試練しかなかったけど、好きなことはしたいもんなーってそれだけで、この感覚を知れてよかった。
自分を知る作業を積み重ねて行く。
自分が好きなこと、嫌なことをしって、それを大事にして行く。
自分にとって嫌なことを一方的に頑張る必要性のなさを痛感してる。
そこでそれぞれの自分らしさを発揮すれば多分世の中は回る。
自分の人生を楽しみたいと研究し続ける中での発見。
自分の人生は支えてくれる人がいれば、寂しさ、不安も乗り越えて、大人になってからでも切り開いていけるらしい、そう知った今日この頃。
自分を知る。
自分に誠実に。
そういう人生を送るために私たちなりの方法で時間をかけてる。
自分の日々の平和が家族の平和であり、世界の平和に繋がってくとしんじてね、できることを積み重ねて行く。
自分は小さな人間だし、自然界の生き物にも叶わない。アリンコにすら勝てないからね、でも、大きくならなくてもいい。
大きくなろうと思った時に、誰かに威圧感を与えてしまうだろうから、小さな自分で、今を楽しめるように、愛せるように、そう、努力する中で心を少しずつ深くして行きながら生きていきたいとおもう。