日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

我が子との時間、自分と向き合うこと。

自分の家族のこととか、その暮らしじぶんのやおやのありかたがおとなのありかただとおもうことが、当たり前だとおもってた。。それはそうだろうな。

 

だからわたしにとってこどものころのきおくがないというのもあたりまえだったけど、旦那さんは4歳の頃の記憶もある。

ああ、覚えてるもんなんだな。わたしはなんで忘れちゃったんだろう。。

っておもって、数年経ち、自分の目の前にあることが辛過ぎて覚えていることをやめたんだと気がつく。

 

学生時代、自分との向き合いにつまづき、心理カウンセラーのもともおとづれたが、心理テストをうけてその結果、あなたには何の問題もないけど、と話を聞いてもらうこともなかった。

今思うと、わたしは自分との親との関係からたくさんの苦しみを抱えていて、それがわからずどうしようもなくて生まれた問題。そこに気づくきっかけをもらえなかったことで、その時にわたしは心理カウンセラーに頼る、という方法も手放した。

 

わたしの心が震える大人に出会えることのなかった、人生。

それが変わったのは今の旦那さんのおかげでした。

そして結婚をきっかけに、わたしはたくさんの自分の問題と向き合うことになりました。

 

でもそれはわたしはずっと、心のどこか潜在意識の中で願ってきたことだったのだとおもう。

ああ、わたしは苦しんできた全てはここにあったんだって発見した時の驚き、、これからも続くそれと向き合い超えていくと言う大変さ、でも変わって行けるだろうと言う希望。それを今でも忘れないし、そんな自分の人生も今は大事に思う。

 

全然綺麗事ではなく、いまでもそれを越えて行く渦中にまた来るであろう新しい苦しみに落胆することもある。でも超えていくしかないと、その度にどこかで腹をくくって生きている経験があるからこれからもそうあると自分を信じてる。信じられるようになった。

 

自分を信じられる。

それはわたしの希望。

自分を信じられなければ他に誰かを信じることはできない。

多分、愛することにもぐらつきが生じる。

 

自分は苦しみの中でそう言うことに気づくことができた。

 

わたしの苦しみ。

自分がどこにいても自分を認めてもらってる感じがなくて不安だったこと。

実家にいても学校にいても、それはどこにいても、まとわりついた。

たった一人、素敵な大人の出会えたら、わたしは救われていたのかもしれないと今は思う。

でも残念だけど旦那さんに会う26歳まで、それはなかった。

 

でも私には奇跡があった。

その後の逆転ホームラン。

旦那さんに出会って、わたしは愛される心地よさを知った後、自分はどんな人間かを知る必要を感じた。結婚して一緒に暮らす中で、自分がどんな中で育ち、自分が抱えた自分に対するもどかしさを超えて、この人と暮らしたいと思ったから。家族という関係を大事にしたかったから。

 

我が子が生まれてきてくれて、消し去られていた自分の過去が自分の行為によって、表された。

子どもを非難する、手をあげる。だんなさんのしごとが忙しくて気持ちの余裕がなくなり、攻めまくる。

 

そんな自分に驚き、愕然とした。

どうして、したくないことをしちゃうのか、ずっとずっと考えた。

止まらないその行為をし続けながら、考えた。

 

もしかしたらわたしの忘れ去られた過去はこういうことだったのかもしれない。

記憶は消せても、刻まれた感覚は残り続ける。

それは、わたしが子どもたちをファミサポさんに預けて羽を伸ばしても変わらなかった。

 

働こうとも思った。でもそれでも変わらない、怒ると自然に手が出る行為を減らせてもそれは一緒にいる時間が減ることにより、実質的に減るだけだから。それにも気付かされた。

 

そしてそんな自分を責め続けた。でもどうするすべもなかった。

寝顔を見ながら明日からやめよう、って決めても、思考で決めただけのことは止まらない。

そんな現実に絶望しそうにもなった。

 

わたしは子どもたちのことが大好きで、旦那さんのことも大好きで。

それだけは変えられないことだったから、自分からは逃げられないことを痛いくらいかんじた。

そう、自分からは逃げられない。

自分の全てが変わらないとそれは変わらない。

 

自分のしていることは自分の親のしてきたこと。

しまわれた記憶を自分の身体が再現する苦しさとぜつぼうかん。

 

でも、わたしは、すでに自分を救ってくれるかもしれない、素敵な人生の先輩に出会ってた。

子どもの頃、心震える大人に出会えなかったけど、大人になって出会えてた。

それを思い出し、相談した。

全てを投げ捨てて、子どもに手を挙げ、放り投げたこの行為をどうやったら謝罪できるか、答えの見えない、けれども、彼らと笑って暮らせるようになりたくて夢中で、自分と向き合いつづけた。

 

親を責め、自分を責め、涙一滴も出ない自分の心をせめたな。

形だけでも泣いて謝れたら、謝罪の気持ちが子供達に伝わるかもしれないって思いながらそれもできない自分を責めてた。

 

そんな夢中な一年。

その頃のわたしには支えてくれる人たちがいた。

だからわたしはなるべく子どもと自分だけにならぬようしながら、自分がどうしてそういう行為になるのか、考え続けた。そしていつしかたくさん手を挙げた息子をしっかりと抱きしめ、謝りたいって思うようになった。胸を合わせてゆっくり抱きしめられる心境になかったから、ちゃんと抱きしめたい、って。

 

そうして、教えてもらった先輩からの言葉。

お母さんの過去を調べてごらん。

調べた直後には、親を許さなくてはと思ってた気持ちがどこかに行ってた。

わたしは幸せになったことがないからあんたなんか幸せ人れるわけがない、と吐き捨てた母のこころのやみがみえたきがしたから。

 

ああ、仕方なかったんだ。わたしに酷い言葉を吐き捨て、いつも眉間にしわを寄せていたのに、びくしくしていたわたしが、ご飯を食べさせてもらえなかったことはない。母のこの矛盾した行為の理由が、親戚のおばさんに聞いたたった一言で想像できてしまったから。

 

このときのしんせきのおばさんの気持ちもわたしには衝撃出来だった。でもおばさんにたいして母がしてきたこともしっているので75歳まで母と姉妹として生きてきたおばさんがそう決めたことを、すっと受け入れてるわたしがいた。

おばさんもね、母の暴言に苦しんできて、もう母という兄弟がいたことを忘れることにするからこれから先、おばさんからわたしに母の話をすることはできないの。ごめんね。

 

そう言ってくれたおばさんが、わたしの質問に一つだけ答えてくれたことの中に、全ての答えがあって、わたしは誰を責めることもできず、わたし自身で、受けて傷と向き合いこえていかねばならないことを静かに感じてた。

母が幼い頃、しんせきにあづけられた時から、母が変わった。幼い子供がきちんと理解できないまま、だれかにあづけられる、かなしみ。きっと、すてられたくらいにぜつぼうしたんだろうな。

 

そうしてその時から、全ての人が母にとって敵になった。自分で自分を守るしかないと、幼心に察したんだろうな。

母が自分を正当化するために、隣近所と争い、自分をまるごとあいしてくれるわがこにあまえつつ、自分を否定されると思った時にブチっと切れて罵声を浴びせる。

 

そうするしかなかった母の苦しみを想像した。

だってね、母はそれしか生きかたを知らなかった。

それ以外の生き方があるんだよ、と自分の旦那さんやほかのひとが言っているのに、人のことを信じるのをやめた母には届かなかった。

 

母の今でも続く苦しみを思うとやりきれない。

もう、わたしにとって怒りとか許すとか、そういう次元ではない。

 

もうこの事実をただただ受け入れるしかない。

わたしをまっすぐに愛することのできなかった母の苦しみを想像し、わたしが自分で自分を受け入れ、愛される存在なのだと、自分で自分に染み込ませて行くしかない。

 

その時はそんな風に綺麗に整理して思えたわけじゃないけど、いま、せいりしてみるとこんなかんじ。

そしてね、自分の心を震わせてくれる人が今入ることに改めて気づく。

新しい家族がわたしを愛し支えてくれ、必死に自分と向き合おうとしているわたしを支えてくれてる友人がいる。

 

わたしにとってのこの長い間の苦しみは橋本病という形になっても現れた。

これはストレスが原因で起こることの多い病気らしいけど、子どもの頃からのストレスかーと改めてかんがえる。わたしが一つずつ、自分と向き合い、幼い頃の経験や感情を味わう時間の不足から未熟さを抱えた今の自分を受け入れることができるようになったら、自分にとってのストレスを、自分で減らして行くことができるのだろうか。

そうしたら、この病は変わって行くかもしれない。

 

わたし次第できっと未来は変わって行く。

 

我が子との時間はいろんな意味でわたしの人生を変えてくれました。

この経験から、自分が何か不安にぶつかった時、戸惑った時、じぶんをせめたくなるじたいにぶつかったとき、それはどこから来るのだろうかと考えるようになった。

 

自分の中にある問題から来るものだったら自分で変えられる。また同じようなことのぶつかった時、不安に飲み込まれずに、考え、動くことができる。

不安になると、怒りになり、家族に雷のように落ちてしまう自分の癖を変えていってる。今でも時々訪れては、わたしに繰り返しここを超える練習をさせてくれる。

 

日々を積み重ねること。

大人になった今のわたしの人生は側から見たら失敗だらけなのだろうけど、わたしにとっては失敗は一つもない。繰り返して、わたしの中に染み渡らせて行くしかないから。失敗してまた繰り返すことは、わたしの経験を増やす。それは失敗じゃないなとわたしは思う。

 

そしてこの自分の苦しんだ経験、今も時々訪れるくるしみはわたしの中にある優しさを育ててくれる。

苦しんで辛かったそのけいけんは、誰かの苦しみの想像する。わたしが幼い頃の母の苦しみをすっと心の中に描いたように、誰かの苦しみを想像できるようになる。

 

わたしは優しい人になりたいから、それを積み重ねる。

そしてそんなチャンスを神様がくれたのかもしれないし母やご先祖様が身を以て教えてくれたのかもしれない。

 

そう思おうとおもってる。

だから日々自分を超えて行くしかないよね。

 

家族のトラブルに翻弄されてきたわたしには自分と向き合う時間も、好きなことを楽しむ時間もなかったし、そんな時間を与えられてるということも知らなかった。

自分を知らなくてわたしも人を責めて自分を保とうとしてきた習慣も時々顔を出す。けど、そんな負の自分をしり、ここから変わって生きたいと思う。

わたしなんか消えちゃいたいと、就職して家を出るまでもう10年以上も思ってきたのに、そこの辛さを超えることができた。超えたから今の自分があるんだな、って。

少しずつ変わってきた自分にうれしいとおもう。

 

表裏のない素直な人でいること、したくないことをしてしまう矛盾した親にはならないこと。

苦しい中にいたから、そこを意識したいと思えるようになった。そう思えるようになるまでに、息子を投げ飛ばしてから6年も経ってたね。苦労させてごめんね。

今は胸を合わせて目を見ながら謝れる。わらえる。

 

でも、そんな酷い時間があったことも、それがわたしの人生だったとようやっと受け入れらえるようになってとっても楽になった。自分の人生が無駄じゃないと思えるようになった希望。

 

わたしの中にある課題はきっといつでも今の自分を超えて行くこと。

時々子どもや旦那さんの問題にすり替えてしまうけど、あ、ちがったね、ってどこかで気づく。

全ては自分の課題だ。

今の自分を知り、うけいれること。そうしないと自分を責めるから。

自分の中にある優しさや誠意を感じること。そうしないと自分の出す答えがふあんになるから。

迷った時はゆっくり答えが出るのを待つこと。我が子を待つようにじぶんをまつこと。

 

日々人の目を気にしてる時間はない。

自分に誠意を持ってできるかぎり、丁寧に生きて行くしかないんだろうな。。

そういうおもいをまたじぶんにきざみこむ。

 

今日も自分と生きていくために。