日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

優しさのセンサー。

昨日ね、お母さん数人と作業をしていた時に、こんな話になった。

ちょうど佃煮を作っていたとき。

 

「いつもこうしてると子どもたちが今日は何ーってくるけどもうそんな言葉、10年は使ってないよねー、笑。」

「うん、そうだねえ。。笑笑。」

「んでもって、唐揚げ食べたいってリクエストすればすぐ出てくると思ってくるもんね。何もしなきゃできないんだってば、笑。」

「そうそう!」

「先日子どもだけのキャンプに行って自炊して帰ってきて、ご飯作るのって大変でしょう?ってきいたら、うん、ってなっとくしてたわー、笑笑」

 

そんな話を一緒に聞きわらいつつも、いつも暮らしに時間がかかる我が家とは違う光景だなーって気づかせてもらった。

数年前まではうちもそうだった。

私も、そんな子どもたちにご飯ーって行って出てきたらもう毎日なんでもいいわー、っていってたな。

 

最近いつもいつも気づくことがある。

子どもたちの優しさに。

私の気づきが深まってきたのと、お互いに感覚が変わってきたからだと改めて感じた。

 

うちのご飯はご飯と畑から取ってきた野菜でお味噌汁とお漬物かにもの、のひがおおい。

野菜があまり取れない日は一日中野菜は水菜だけってこともある。

スーパーを避けたり否定してるのではなく、今年は山から下りるのが容易ではなかったり、せっかく苦労して育てた野菜を無駄にしたくないから。

それでも子供達は飽きたなとはいえど、文句は言わない。

タイでの暮らしを積み重ねたこともあり、目の前にあるものを食べる、という習慣がついているから。

 

そして子供達がお腹がすいたときに、できてなかったときも、おなかすきまくりーとかいいながらも、子どもたちは仕方ないよね、って心をどこかに持っていてくれる。

ごめんごめん、とやっていると手伝ってくれたり、おなかすいたーってずっといいつつも、怒らずにまっててくれる。

 

タイでの暮らしで、まきから火を起こして作ることが容易でないことをしってるから。

畑から収穫して作ることにかかる時間を知っているから。

優しさのスイッチが多い彼らが今の目の前のことを受け入れてくれてる。

 

そう思うからそれでおたがいにイライラする時間にならない。

それって母子関係ではすごく大事なことだなってきづく。毎日起こりうることだからね。

自分でとりあえず芋でもむすわーって動き出す息子。

ありがとう、って思う私。

ありがとうが飛び交う時間。

 

 

おもえば日常の多くの場面で子供達はありがとうを口にしてくれるようになった。

手も貸してくれるようになった。

猫の手も借りたいくらいのことがたくさんある手作りの暮らし。

その私たちがマックスになる加減を子どもたちがいつもセンサーを働かせてくれてる。

 

遊びが切り上がったところで、手伝おうかってきてくれることのありがたさ。

このありがとうが日常の中で積み上がり、家族間でありがとうと思う時間のおおいゆたかさ。

私がくだらないことで(自分の未熟さで)おこることが減ってきたのはそんな彼らがたくさんの優しさを向けてくれるから、彼らにいつも感謝があることで、負の感情をぶつけられなくなってきたからだとかんじてる。

 

手を貸して、ってお願いすることもあるし、遊びが盛り上がってるから、地道に私たちが動くこともある。そうすると、彼のそのセンサーが作動し、「つかれてるのにありがとう。今遊ぶのが楽しくてできなくてごめんね。」といってくれる言葉に胸がいっぱいになる。「遊ぶのも大事なお仕事だよ、いつもありがとうね。」としかいえないわたし。

 

それが今の我が家の日常。

暮らしの中からお互いに感じて想って動いて、表現して、もっとお互いのことを大事に思う。

 

そう思うから、だんだんと親の権力を降りかざせなくなってゆく。

そうしない、と決めても感情が先にたち簡単にはそうできない私が、そういう体と思考になっていってる。

我が子に対する敬意が一緒にいればいるほど大きくなっていってるなっておもう。

 

私にとってそんな彼らの優しさが信頼となってる。

だから私も優しさを感じるセンサーがもっと増えてゆくといいなっておっていてきょうこのごろ。

 

そんな昨日、幼稚園のスタッフさんが伝えてくれた一場面。

 

ともえがおわってスタッフさんがといれ掃除をしていたら、トイレを使いにきた息子が、「いつもありがとう😊」っていってくれたのー。

 

と。彼の優しさのセンサーはどこでもはたらいてることが嬉しくなった。そんな感性を持っていてくれてありがとうっておもった。

表も裏もない彼の姿にまたわたしはまた敬意を感じてる。

 

本当に大変そうだからてつだおうとおもう。

大変だとわかってるからありがとうって気持ちを伝える。

そんな子どもたちのあふれんばかりの優しさにありがとうって想いがとめどなくあふれて、いつでも私たち、おやのなかにある。

 

家族ってこうしてまわって行くし、深まって行くんだ。

もしかしたら、昔の方が良かったといってるおじいちゃんやおばあちゃんの想っていることの中の一つはこのことなのかもしれない。

 

私たちがタイに行くことを積み重ねてきた形がこんな風に見えてくるとは想像もしていなかった。

 

でも私はこんなふうに家族がいられて、安心と信頼をいつまでも積み重ねてる日常となって、いまのひとつひとつが大切だといいきれるようになった。

それはなにものにもかえられないゆたかさだって、今改めておもう。

 

くらしをつくるのにひっしなこともある。

欲と金銭的バランスに悩むこともある。正直、この時代に生きているのだからお金はもっと必要だよね。

この世な中で変わり者の暮らし方だから、現代社会を否定してると思われて困ることもあるしさ。

 

 

でも私はいまのこの暮らし方が好きで、家族にとって大切なことがここから生み出せることもこうしていまはっきりと感じているので、私はこの暮らしをもっと続けてみたいと思う。

昔の暮らしを知りたいと思うし、いま、ギリギリのとこで人生の先輩から私たちが引き継いでおきたいと思う。

 

いまの時代の良さと、昔の良さとのいいバランスが見つかって暮らしがもっとまわって行くことをおもいえがきながら。