大量生産品も手作りも、きっと、手間は同じ。
良いやっときた札幌の超短い夏。
30度を超える暑さをわずかな夏だーと名残惜しみます。
オーダーもらったお洋服をチクチクしながら、自分の夢に近づいてる喜びを味わいつつ。
サロペットスカート、二人のお友達に声をかけてもらって、色違いでおし立て中。
わたしは黒だったけどお友達のはネイビー、パープルです。
ピンク系も可愛い。
イメージトレーニングも兼ねて自分用にもう一枚仕立てようかと検討中。
いつもおし立てしながら思うことがある。
世界には私たちの大量生産品のために働いている人がいるんだろうか、と。
赤ちゃんを足元に転がしながら、その日暮らすわずかなお金を得るために一日中薄暗い倉庫で働き続けるのだろうか、と。
時々、縫製ミスにぶち当たる。
生地を切らないように丁寧に糸を解いて、布を合わせ治し、おもてうらとはりがづれないように気をつけながらチクチクぬい、カーブであったならハサミを入れ、表に返し、ステッチを入れ、アイロンをかける。
その作業をたった一枚10円の子供服のために行う。
自分の納得のいくお値段でどなたかの手に渡るなら、それも思いを込めて行う。
けど、切なすぎるとわたしは感じてます。
とてつもなく、大変な作業だから。
市場を出回るやすい商品の中に手間のかかるものが沢山ある。
きっと100均の竹かごもそう。
お野菜もそう。
今のわたしはスーパーのお野菜が農薬漬けであるのは必要があったからだってかんじています。
自分ちの一年分のお野菜ですら作れないわたしは一年分のお野菜をうることの難しさの想像がいきらかつく。
普通に農家さんをするなら、一つ100円の大根ではのうやくなしでは暮らしが成り立たない。
毎日温度管理をしながらタネを落とし芽吹かせて、栄養のある土を混ぜて大地に定植し、雑草を抜く。追肥をし、水をやり、おおきくなれば支柱を立てて、受粉を手伝い、収穫をする。
この中に何度かの農薬をまいて、一つ100円のお野菜で家族いちねんくらしていくおかねをうるための量をそだてる。
農薬と化成肥料は私たちがそういう背景を想像できないことから、使われてるのだろうと思ってます。農薬や化学肥料を抑えた分、かなりの人件費が必要で、野菜の値段はぐんと上がる。
日本のオーガニック野菜は安すぎるから、そういう農家さんたちはたぶんとてつもないご苦労をされてるのだろうと想像しています。
でも、自分が食べれるものを作りたいとか、ご自身のポリシーで頑張ってくださってる。
我が家も自然栽培に近いことをしたいけど、現実、まだまだできません。
今は畑だけにすべてのエネルギーをつぎ込むことはできないから。
ちょっぴり高く感じることあると思うけど、その背景にはそのお値段以上の、ご苦労があるのだろうと今は想像できます。
お洋服を仕立てることもとっても似てる。
わたしはこれが大好きなことです。
そんなわたしにお洋服を作る時間を切れる友人たち。
わたしは自分で丁寧におしたてできるような手間賃を頂くようになりました。
何かに自分の人生の時間をかける、ということを丁寧に扱いたいと思うようになったのです。
そうしないと、受け取ってもらったお友達に喜んでもらえることが想像できない。
それを支えてくれる友人にかんしゃをしながら、それとは対極にある、安賃金で働かざるを得ない人をおもい、切なくなります。
野菜を作ることも、なにかものを作ることも、実はとても手間がかかること。
タイの村で、草を編んで屋根を作ること、竹を森から切り出して家の壁を作ることもそうでした。ご飯を作ることもそう。毎日みんなで集めたまきで三食のご飯をまきでつくる。雨の日は湿気った枝を使いこなし、火の神様に祈りながら火がつくのをまつ。そうして畑で時間をかけて育った野菜を収穫してから作る。冷蔵庫の野菜で作るのは手間がないけど、まだひのあけかけたうすぐらい畑から採ってくるのは手間がかなりかかるのです。
私たちは好きでそれをしています。だから正直大変な時もあるけど、それも自分たちの選んだ道。
けれども、わたしがふと思うのは、生きていくことにはとても手間がかかるんだということを、暮らしを通して知る、ってとても大切なことなんじゃないかということ。
生きるために、暮らすために必要なことの中に、とても手間がかかることがたくさんあることを知ってる。
このことでわたしはいろんなことを想像するようになりました。
今、わたしが手にしているものがここまでくるのにどんな道を辿り、どんな人の手に渡ってきたのかということを。
何より、わたしが暮らせてることのありがたさがいつでも自然に湧いてくるようになった。
目の前の人に感謝をし、旦那さんに感謝をし、子どもたちに感謝をする。
今のわたしはウジ虫はまだ嫌いだけど、アリンコはうちにいてもつまんで窓の外にポイする程度になりました。彼らのすごい役割を知ってしまったから。
彼らはお掃除屋であり分解者。先日彼らは夏場なのに1日放置してしまった生ゴミに湧いたうじむしを食べるために巣に運んでいたんですよね。
うちの中に転がってた時はびびったけど、自分より大きなウジを数匹でかみよわらせ、運んで行く。ウジ虫だって立派な分解者だからわるいけど、わたしの心はアリンコの偉業に心を奪われた。彼らが片付けてくれるものの多さに驚いた。
だからわたしはアリンコにも感謝をしています。
今多すぎて困ってるブヨにも何かきっと意味がある。
今の時期を過ぎるとさっといなくなるらしいから。
私たちは彼らにたかられないように、避けて暮らせばいいだけだとおもう。
自然に優しく、とか、自然を大切に、とかもうどうでもよくて、自然界にはただただ敬意しか無くなった自分の気づきが面白いなあと思って記録しています。
そう思うから自然界にできるだけ敬意を持って自分が存在していたいと思うのです。
自分たちの暮らしが変わってるなあとますます思う今日この頃。
わたしにとってのパーマカルチャー。
それはいい、悪い、の情報に左右されずに、自分が敬意をもって何かに接し、決めて行くいきかた。
人にも自然にも敬意をもって。
もちろん自分にも。