日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

昨日のつづき。

昨日ね、ここで我が家のシンプルごはんのおはなしをさせてもらいました。

 

私は幼い頃そんな風に口にしたことがなかったことばをこどもたちがいってくれてね。

先日も昼ごはんが幼稚園の釜で私が焼いたお芋だけだったんです。いつもはお弁当もあってそれなんですけどね、その前にジャガイモ焼いて大ちゃんが遊んでるうちになくなっちゃったから、きょうはおいもだけたくさんやくよーっていってもっていったんです。

 

その言葉に、「うんわかったよー、」って行っていたのに、昼になって、「おいもだけ?足りなーい。」って言われてね。

文句言われた感をかんじながら、「ああ、ごめんね、朝、確認した時にそれでいいって行っていたから、これしかもってこなかったんだよ。」

って、つたえたら、大ちゃん、「うん、(ああいう言い方して)ごめんね。朝はそれでいいと思ったのに、いまになってみたらたりなかったんだ。」

 

そう答えてくれてね、すごく配慮を感じました。このところたいてい、かれはそうなのです。穏やかにそう伝えてくれる。こころが大きな木のようにとっても穏やかなのです。そういう配慮を彼が持ってくれていることがありがたいなあと思うと同時に、家族のペースに合わせた丁寧に暮らしが少しはできているのかなあって勝手にだけど感じさせてもらっています。

一番は彼の感性が、私たちの気持ちを感じようとしてくれているからなのだけどね。

大ちゃん、ありがとう。

 

こゆも「おかゆさんもうあきちゃったー。」っていうけど結局は自分でカスタマイズしてチリ足したり、大根おろし足したり。

ある日、今日はこゆがご飯作りたいといい、できないとこだけを私に頼み、自分で、材料の準備して、作り始めてね。

「あれ、手伝う?」って聞いても、「いいよ、いいよ、ミシンしてて」っていってくれてね。

小さな手を真っ赤にして食器洗ってくれてるのをみて、「さっこやるからおいといてー。」っていったら、「いいの、いいの。さっこいつもやってくれてるでしょう。今日ゆっくりしてて。」

 

こゆ5歳。すごい感性だとおもいます。自分がたのしんでるのもあるとおもうけど、こんなに感じて優しい気持ちを表現してくれる感性が。

もちろん、私だけじゃない、旦那さんが子供達に向ける思い、お友達家族が向けてくれる思い、一日中家族と過ごせる幼稚園で向けてもらったみんなからの思い、去年から暮らす、ここ、コンテナハウスの土地を貸してくださる五郎さんご夫婦の思い、タイでたった10日間しか一緒に過ごさないのに、ずっと友達だったかのように関わってくれる世界の人々、農場のサンドットさん家族。。みんなの愛で満たされて今でも感性をフルに使って感じているのだと思います。

 

こうしてそばで感じさせてもらって、小さな人たちのすごさから、私を優しい人に育ててもらっています。こんなにそばに私を思ってくれるちいさな神様がいて、本当にありがとうございます、なのです。小さな人たちの背後にあるのはとても大きな木の根元。

 

きっと彼らの生きて来た中での経験全てがここにあってね。

我が家がシンプルに暮らせるようになって来たのは家族一人一人のおかげだよなあって思ってありがたいなあとおもう。

いろんなことが成り立つのは共に暮らす仲間の気持ちがあってこそ。

夫婦での話し合いも、子ども一人一人とのかんけいも。

だから私の自己満足でない家族の形になってゆくにはどうしたらいいかなあってずっとかんがえています。

 

周りに気遣う余裕なんてなかった私の幼い頃を思い出し、子どもたちの感性に涙しそうになることがたくさん。この感性を大事にしていけるお母さんになれるかなあ。大きな木の根元をもっと太くするあなたたちに寄り添えるおかあさんになれるかなあ。

なりたいな。

 

樹液チコリコーヒーと樹液とお塩で炊いた貝豆。お豆の甘みと相まって優しい甘さで娘とおやつにたべちゃった。

下は樹液で炊いたおいなりさん。冷めたら十分に甘い!!これ、いいかもー。。

白樺の命の水に感謝です。

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