日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

グズグズ言わないで。

また言っちゃったな、この言葉。

 

多分お母さんの多くはこの言葉を使ってしまう人も多いはず。

子どもの不満からくるであろうこのグジュグジュさんに生理的に耐えられなくなってしまうのはお母さんだからかな、とおもう。

我が子には幸せでいて欲しいから不満を言われるとせめられてるようで、ダメなんじゃないかと思う。

 

「グズグズ言わないで。」

私はこの言葉が好きじゃない。本人にしてみれば、そう身体が動くんだもの、しょうがないじゃない、だよね。そう、わたしも頭ではわかってる。

でも口にしちゃったね。

 

多分、私は幼い頃、こういう態度をとったことがない。

母を怒らせないことに神経を張り巡らせていたから。

だから余計、我が子に対していらっとしてしまうのかもしれない。

私はそんなこと言ったことないのにどうしてあなたはそんなこと言うの?

って。我が子には関係のないことなのにね、自分が叶わなかった思いをたくさんぶつけてしまうのだということに気づいて自分に悲しくなったこともたくさんあった。

 

我が子といる時間が長いお母さんほどこういうことにぶつかるのだと思います。

自分の過去から逃げれないから。

誤魔化せないから。

 

そこのところを、旦那さんや深いことを話すことができる友人家族のおかげで、少しずつ超えて今があります。

私たちの育った時代から、共働きのお家が多くなった。

そうして子どもと関係の築き方が変わって来たのでしょうね。

子どもたちが通う幼稚園の園長は、お母さんが、お母さんとしての一番大きな母性を忘れてしまってる、と表現しているけれど、私はその母性という言葉を、母としてお腹の中にいる時から我が子を愛しみ、旦那さんを愛しみ、家族をいとしむ、そうして家族が循環していく、ということのなのかなとりかいしています。

 

我が子を理解し受け入れる力、旦那さんを理解し受け入れる力を、きっとね、本当に女の人は持っているのかもしれない、と私も感じています。

 

「グズグズ言わないで」

この言葉をふと使って、このことをまた考えています。

一つは自分が子どもの頃にできなかったからと、我が子に嫉妬するのは違うよね。この子は自分ではない、そして大事に思ってる存在だから、私のあなたに対する思いと、自分の抱えてきた思いをちゃんと区別する必要がある。

 

もう一つは今、この子はわたしといてこういう表現をせざるを得ないものを抱えているんだということに、気持ちを寄せ感じて、想像してみるということ。

こう表現せざるを得ない本人に対して怒っても仕方のないこと。

グズグズ言わなければならない本人の辛さを無視して、私の不快感ばかりおしつけるよりも、こう表現せざるを得ないりゆうはなんだろうと、私が自分の中で整理して、接してみることで、この人は今をたのしめるのかもしれない。

そうだとしたらそう寄り添った方がお互いによっぽどいいよね。

、、、と。

 

ごめんね。と、こゆにあやまる。

あなたの表現することに対して、言わないほうがいいこと、なんてほとんどないのだろうと今、思います。私が、それに対して負の思い込みをしているだけなのだから。

 

そうしてまた一つ気づいたことがある。

私に何かを伝えたい。

そう思うから、この人はこう表現せざるを得ないことがまたたくさん出てくるのだろうと。

 

こんなときにはまた、私が穏やかに相手を理解する努力をしていく必要があると、感じています。

このことって容易ではない。けれども、この地球に生きる1人としてとても大切なことだと思うのです。

子どもたちの用意してくれた学びはとても大きくて応用性の高いことが多いです。

私の生きる上での学びはまだまだ続いて行きます。

 

こゆのリクエストであまざけを作りました。

炊飯器でではなく、魔法瓶を使って。

でもそれだけじゃ冷めるの早いのでタオルを巻いて湯たんぽと一緒にお布団へ。

この時期、薪ストーブなので金属の湯たんぽならいつでも温められるのです。

麹作り、やっと身体に染み入り、大変な仕事じゃなくなりました。

今年は旦那さんとコラボして発酵機と麹作り講座しようと思います。

やりたい方いませんか?

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