日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

家族として。

知り合いの家族がお引越しすることになった。

 

お父さん、お仕事で忙しくて、ここらにいると子どもたちと怒涛のようにすぎる1日が大変なんだって。

 

って五歳の娘に伝えたら「お引越ししても変わらないんじゃない?」とこたえた。

おお、いろんなこと想像してるなあ。。と思い、「なんでそうおもうの?」って聞いてみたらね。

 

「だってお父さんとお母さんがちゃんと話しをしなければよくならないでしょう?」ってこたえてくれた。

 

実家のそばに移ると聞いたので、おばあちゃんに助けてもらうんだって、って言ったら「ふうん、そっかあ。」と返事をしてました。

それぞれいろんな事情があるのでどんな形がいいのかは私にはわからないから、知り合いのお家の話とは絡ませたくないので、このお話はここまでにして。。

 

冷静にこういうことを考えられる娘をとても素晴らしいなあとおもいました。

 

子供に寄り添いたいなんて目標を持っていたのに、いつだって怒鳴ってばかりいて実際は寄り添うことなんてできてなかった五年前の私。1日に16時間勤務、月に一度の休日で子どもと過ごす時間なんて全くなかった旦那さん。

家族ごっこに限界を迎え、崩壊寸前でやっと話し合えた。

共に過ごす時間を増やし、一つずつ夫婦でどう生きて生きたいかをその都度話し合い、自分たちの矛盾を修正してきた数年。子どもたちはどう感じているのだろう、と一緒にいる時間を増やし、子どもとの時間をどう過ごそうか、夫婦で話あってきたこの時間。

 

うちの子供たちにはとっても苦労かけてきました、笑。

でも本当にそう思うのです。

私たちが変わって行く道のりを彼らはずっと見てきてくれたのです。

 

4歳半までパパと過ごしたことなんてほとんどなかった長男はパパとおバカな男子ジョークで盛り上がるようになり、パパの仕事についていきたいっていうようになりました。パパとの関係の中で自分が納得できないことがあったとき、僕はこう思う、とはっきりと伝えられる関係になりました。男の子にとってパパとの関係を築くことの大切さを改めて感じます。

 

娘は私と喧嘩をするとパパに助けを求めるようになり、パパがうちにいないことを仕事だから仕方がないと諦めるのではなく、残念に思う気持ちを伝えて、次の楽しみを一緒に作っておくようになりました。娘もね、自分の思いを態度で、時には言葉で私たちに伝えてくれます。

 

私がいて、大ちゃんとこゆがいて、旦那さんがいることが、家族という形なんだなってみんなで思えていること、それがとっても嬉しいなって感じています。

 

私が子供のころ、そうではなかったから、子供達にそんなことを伝えられるなんて思ってもみなかったけど、子どもたちが、私たち家族の形がそうであることを教えてくれました。

 

札幌でのこの暮らし方で長いじかん一緒にいるから、パパが私を助けてくれてること、パパが出来る限り自分たちに寄り添ってくれてることをしってる。

そしてタイのジャングルでタイ人家族と助け合う暮らしの中で、水が来なくなったら、パパたちがごはんも後回しにしてなおしにいってくれてることをしってる。ひたすら待ってあまりに遅いのでパパの分を残していただこうね、という日々の暮らしの積み重ね。お父さんが日々の暮らしの中にいてくれてるってこういうことなんですね。パパがしてくれること、コミュニティの中で共に過ごす〇〇さんがしてくれてることを感じて、みて、しっている。

 

自分の身近な大人と過ごす幼少期の大切さを改めて感じています。

自分のペースで過ごすこと。

その中で大好きな人がやってくれてることをしること。その苦労を見てるからそれには必ず感謝が伴う。いろんな背景を創造する力と、優しさを持ちながら日々を積み重ねていけるんだろうと思うのですう。

 

私が幼い頃、お父さんは私たちのためにお仕事頑張ってくれてるのよ、なんて時々言われても私がじっくりと感じたことがなかった気がします。どちらかというと母も亭主元気で留守がいい、人だったし、ほとんどいっしょにすごさないひとに想いを感じることがあまりできなかったから。残念だけど、親に向かって、と言われた時に、なぜかその言葉によりもっと距離を感じたのは、気持ちが寄り添ってなかったから親しさと敬意を感じることがなかったからなのでしょうね。我が家の場合、母が精神病んでいたりいろんな事情もあったしね。

 

旦那さんが私を助けてくれてることを私が感じる努力をする必要があり、そうすることで子供達に伝わったのであろう、私の旦那さんへの思い。

旦那さんが私を想ってくれる気持ちも同じ。子どもたちがちゃんとパパから感じてるのだろうと思います。

そして私がだいちゃんをおもうこと、こゆをおもうこと。

旦那さんがだいちゃんをおもうこと、こゆをおもうこと。

その思いが通じ合うって当たり前ではないと思うのです。

共に暮らすこと、おもいあうことの大切さを感じています。

 

娘が家族が気持ちよくある方法を知ってくれてることがとても嬉しいなって思います。

私たちは、自分がどう生きて生きたいかを考えて、いまこのくらしかたをしています。けれどももう一つ、私たち家族が崩壊する寸前に、夫婦で話したことがありました。未来に向かうちいさなこどもたちの足取りを邪魔したくないってこと。

私たちが夫婦として向き合えなくなった時、お互いを恨んで一緒にいたらそれはきっと子どもにとって心の傷になる。私たちが怒鳴り合わないでほしい、子どもがここに神経を注ぐようになったら、きっと自分のことを感じ考える余裕なんて全くなくなる日々になると思うのです。子どもは親に対してとても優しいから私たちを救うために自分を犠牲にしちゃうから。

自分が育ってきた家庭のような夫婦が恨み合う関係になることだけは絶対にやめよう。ちゃんと向き合ってみよう、お互いの弱点をせめあわない、ママ友との間で、お酒の席でパートナーの愚痴は言わない。それは日頃の中にこぼれていくから。お互いを恨まない生き方をしよう、それがきっと子どもの未来を邪魔しない方法。

 

家族を信じられること。

自分に嘘をつく生き方はしないこと。(苦しみにも出会いながらも、楽しいことをたくさんして自分が納得できる生き方を子どもたちとしたい。)

家族それぞれにとってここが一番安心できる場所であること。

 

これを作り上げるために、安定した稼ぎを失っちゃったね、笑。

家族でどうしてもいまやりたいことがあるから普通に習い事して日々を過ごしながら、大学は行かせてあげられないね、笑。

今の一番の課題、笑笑。

 

でもいま、楽しい時間を共に過ごせたことは子どもたちの希望になってくると思う!!!きっと、笑。

そう、今、家族みんなで楽しい!って思えてることが、そんな経験をしたことがなかった私には、かけがえのない共に生きる時間である気がしてならないのです。

 

自分の苦しみがあったから、これに価値が持ててしまってならないのです。

ごめんね、こどもたち、これも私たちの自己満足かもしれない。

けれどもいつでも自己満足であるか、家族で満足できているのかは問うていきたいっておもって日々向き合いながら生きています。

いつでもどんなときも。

いつも一緒に生きてくれてありがとう。

 

こゆの絵の具アートとお絵描きが素敵だったので飾って見ました。

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大ちゃんは久々に烏骨鶏とあって嬉しくて、餌付けしてます。私たちとあったのが久々だったのでちょっぴり怖がらせてしまってるから少しずつ距離を縮めてます。

自然、生き物、大好きなおじいちゃんおばあちゃん、大人に子ども。大事なお友達がたくさんいてよかったね。

好きであるということ、可愛いと思えることはいやしであり、幸せであり、とても心をゆるめてくれる。こんな時間をたくさん味わいながら生きていこう。もちろん、私もね!

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