日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

遊びは学び。学びは遊び。日々は学びであふれてる。

 

私の好きなことの一つ。

子どもたちが遊びを発見する姿をみること。

ジャングルで食べられるものを探していたらついてきた子供たちが、ハットで遊ぶ。

ここではいつも自分で遊びを生み出す。

森は遊びでいっぱいだけど一緒にいる友達がいるから遊びが次々に広がります。

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きのみを見つけてきのぼり。

拾っただけでは足らずに、自分で木登りして取りにゆきます。

自分でやってうまくいかなかったことは学校に行った時に村の子達を観察して、動きを学んで来ます。

そうして一つずつ試してしなやかになって行きます。
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食堂の前でバンブースティッキーライスをつくってます。

私たちが使うのと同じ、彼らのおもちゃはリアルです。

竹のスプーンが欲しいというから目の前でナタを使って作る。できるまで彼らは待つことができます。

そうして大人の動きをかんさつしてゆく。
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村の子達があまりに鮮やかにカニや魚を取るので真似をして見たけれどできなかった私たち。

日を改めて池に向かいました。

歓喜で水の干上がった池。

初めは怖がっていた大ちゃんでしたが村の子達がかっこよかったから自分も取れるようになりたい、その思いでカニの穴に手を入れて見ます。

怖い思いよりも憧れの方が優っていたのでしょう。

泥んこになって2時間、あなにてをいれてかにをつかまえました。

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貝とカニ、小さなエビを捕まえました。
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去年、むらの中学生が、いけでとったさかなをみごとにさばいて、その場で焚き火をしてご馳走してくれました。その感動を忘れられない大ちゃんは自分でとったカニたちを自分で料理してみんなに振る舞うんだと、生きてるカニを自分でさばきます。
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自分で下味をつけて唐揚げにしました。

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エビは卵と混ぜてオムレツに。

 

自分でやりきった喜びで自分は味見だけで他の人たちに振舞ってくれました。

 

このあとまた別の日に、魚を取りに行く機会がありました。

あみをもたなかったわたしたち、大ちゃんは自分のズボンを脱いで足を縛り、あみのようにしてつかまえてみる、と挑戦します。

それを見て村の人が可愛いね、って笑います。

私も笑いながら、でも、自分の知らないことを大人に聞かずにどうしたらいいか自分で考え試してみる。それが身についた大ちゃんを素晴らしい人だと思わずに入られません。

 

私だったら自分で解決するすべを生み出せなかったでしょう。

人数分完璧に用意された学習の中では得られないスキルだとかんじています。

このあと、村の人が網を貸してくれ、仕草でお魚の取り方を教えてくれたとのこと。

ズボンで自分でやって見たからでしょう。

村の人が教えてくれたコツはすぐに大ちゃんの中に取り入れられ、1時間ほどで、六匹の魚をつかんだだいちゃん。

自分の身体を使って考えた経験は全てに生きてくるのだろうと思います。

私が幼き頃、もっていなかった知恵。

でも確実に自分の人生が豊かになるための知恵だと思います。

 

この日も自分で調理したいのだと、私が鱗を取るのを真似て自分で内臓もとってさばいてゆきます。

こうしてね、自分で食べ物を得て調理する。

ああ、これが生きる知恵なんだとずっしりと感じたこの日。

 

きょうもまなびをありがとう。

子どもたちがわたしに生きる力を教えてくれます。