日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

みてみて、きいてきいて。

さてさて5歳になるこゆのはなし。

 

膝にいることが多いこゆは自分の話をするときに、私の顔を両手で挟んでにんぎょうのようにくいっと自分の方に私の顔を回して話をする。

 

聞いてるんだけどね。

みてるんだけどね。

 

私はそのつもりでも彼女がもっとちゃんと全身を自分に向けて欲しいのかな、観察してみてそうおもう。

一日中マシンガントークの彼女。聞いても聞いても顔をクイって回されるくらいみて欲しいらしい。

 

私もそうだったのかな。諦めてたようで覚えてないけど、子どもたちってみんなそう。

みてみて!っていう。

私は大きくなってからだった。自分ができることが嬉しくてみてみて、って今使っちゃう。子供達が引っ張り出してくれた子供の頃の自分。今ここのところの成長期を通過してるところかもしれません。

 

私のみてみてに、子供達はほとんど手を止めてみてくれる。時々スルーするけどさ。

こうして自己肯定観察が育って行くんだろうなと思う。

みてもらったらうれしいもの。

こんな時期の子どもたちと過ごす、幼稚園の先生たち、多忙すぎてそんなにみてられないよね。私もそうだったな。しっかり見てもらった子供達と、そうでない環境で育って来た子供達に違いを感じてます。しっかり見てもらってきた子供達の方が、誰かに対する配慮が歴然に大きいことにふと気づいてね。

 

喧嘩をすると必ず私に言いに来るこゆ。それをおいかけていいにくるだいちゃん。

いつだってパパではなく私に言いに来る。

お互い様なんだけどね。って思うからどちらの見方をするわけでもないけれど、見て見て、聞いて聞いて、の一日。

こんなときはちょっと面倒臭くなるけどさ、笑。

 

なぜこんなに彼らは見て欲しいんだろう。

聞いて欲しいんだろう。

 

自分の存在を揺るぎないものにするためって言っちゃえばそうなんだけど、なんでかなあ。

みてもみてもみてほしい。

 

野暮ながら大ちゃんに聞いて見たら 

だって、自分すげーって思うから聞いて欲しいじゃん。

だそう。

 

そっかあ。。

まだまだ私、ペースが早いんだろうな。

我が家はありがたい環境にいるので私たちだけでなく彼らのことを見守ってくれるひとがたくさんいます。

でもね、もっともっとペースを落としてみて、きいてにゆっくり顔を向けられるようになりたい。

彼らとの時間を自分の中にしっかりきざむために。

そうしてそれが彼らの生きる上での力になってくれると思うから。

 

子どもといる時間は、自分の時間を奪われてるわけではないよなあって改めて思います。

この経験は、自分にたくさんの気づきをくれる時間。

こどもたちがここにうまれてきてくれたことで、私は苦しみももらいました。

でもそれを命がけで超えたからまた幸せな気づきをもらい、今を生きています。

また超えなくてはならない自分の壁がたちはだかっては、それを超えてもっと自分がしなやかになって行くのだろうなとおもうと、共に苦しみを超えてくれる彼らに感謝の気持ちが止まず、また、人として育ってゆきたいと思うのです。

それしか彼らに残せるものがないからさ。

 

子どもとの時間が心地いいものであるとき、自分の成長を感じることができます。

子育てじゃなくて、子供達に育ててもらってるのはやっぱりわたしなんだよなあ。

 

みてみて、きいてきいて。

今日はいつもより心を寄せて一緒にいようと思います。

最近は旦那さんまでこのペース。

ねえねえ、きいてー。。

家族揃って子どもみたい、笑。

でも家族それぞれのこんなとこが私にも新しい気づきをくれるのでしょうから大事にしないともったいないね。

今日もよりよく生きるために自分がすること、が続きます。

こうしていつも自分で試して自分に落として、自分の生が輝いて行く方向に目を向けて歩いて行ける。

どんなセラピーより家族セラピー。

いつもありがとう。

 

カナダのお姉さんにこえをかけてもらって、一緒にサハイナンtシャツを手刷りでプリント。

手作業の大好きなこゆのこころにのこったんだろうな。

ついでに自分も写真撮りたいってこゆのとったショットはとってもここちいいものでした。

ここの風の気持ち良さの中で気持ちよく乾かされているシャツ。

この景色が心地よくこゆのくらしをいろどってくれているのだとおもいます。

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ご飯の前後に私がキッチンに入り浸り、こゆがスイングに乗ってるとこうしてみんなが遊んでくれます。

フレンチの彼はいつも穏やかに優しく話しかけてくれます。

男の人にはいつも以上にシャイなこゆ、めずらしく一緒にスイングに乗って遊んでました。

本当にこゆはどんなふうに大きくなっていくのでしょう。全然、わかりません。

でも笑顔になれる幸せな時間をたくさんいただいているから、私にとって彼女の未来が楽しみでならないのです。

みんなとの暮らしの中で、自分が食べれないものも出て来る、だからアレルギーになったことで我慢してることもたくさんあるとおもうけど、それ以上に楽しいことがたくさんあるから、大丈夫だよね、って可哀想だと思うより他の楽しいことに時間をかけられる事を、私は幸せだと思うのです。

アレルギーであることは大したことではなくて、かのじょのからだがより生きやすくなるためのメッセージをいただいただけ。

これも私の考え方次第なのかもしれません。

これからも楽しいことに時間をかけて行こうね、こゆ。

みんな、たくさんのあいをくれてありがとう。

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