日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

日々の暮らしの中で観察すること。

昨日ひと月帰省してたサンドットさんの息子くんが帰ってきた。

 

同じ場所で暮らしてる彼らはとっても気があうようで。

今日は大ちゃんが学校に行った後、朝からずっと二人で遊んでます。

 

手を繋いでサハイナンを駆け巡る二人。

嬉しくて楽しくてずっと一緒。

そばで暮らしてるし、幼稚園も行かないから、ずっと二人で好きなことを見つけて遊んでいます。

 

でね、午後からはバンブースティッキーライス作り。

彼らはパーマカルチャーコースに参加した誰よりも物知り。

今度はこれに興味を持った二人、3歳と5歳でちゃかちゃかと竹にご飯を詰めて、ココナッツミルクを詰めて作業を進めて行きます。

 

大人たちが彼らにつぎはどうやるの?

ココナッツミルクはこれくらいでいい?

 

と聞いて行きます。

彼らは火のこともよく知っています。

壊れた工具のなおしかたもまきでのおりょうりのしかたも。

息子くんは鉈がわりにしている工具の金属が持ち手から抜けたから、と火の中にそれをいれます。金属を熱くしてプラスティックの取っ手に差し込むとプラが溶けて再度くっつくのです。お父さんが大好きでくっついて回っているからいろんなことを知っています。そしてね、私たち知識のない大人の動きを待っていてくれます。待てるってすごいこと、ですよね。彼はまだ4歳まじかの小さな男の子。でも身体以上にたくさんの経験と知識が詰まってることを感じます。

そんなサンドットさんの息子くんは三ヶ国語を使い分けます。

タイ語、お母さんの母国の中国語、そして英語。

こゆは英語はわからないの、といいます。けれども Can l have banana? ときくと持ってきてくれるし、We will go back japan soon.っていうと いつ?って帰ってくるくらいだから、身体の中にもう蓄えられてるんだろうなあと思います。わかってるじゃん。これが溢れてくる頃にが私より喋れてるんだろうな。

 

子どもたちの観察力に私はいつも驚きます。

こゆが楽しくしてるときならいいんだけども、私がこゆにおつきあいできないでご飯を作ってる時、悪いなあって思っていたけど、彼女は観察してるんだなあってふと気がついて。

 

時にはゆっくり彼女のペースで一緒にしたいなと思うけど、彼らが何もせず私たち大人を見てることってたくさんあったんだなって改めて深いとこで気づきました。

 

サンドットさんが、子どもは親から学んで行くのがいいんだ。

 

そう伝えてくれたことを思い出します。

スキルも心も彼らと共に生きることで伝わって行く。

 

私ね、子どもたちと幼稚園に一緒に通ってる時間ってそういうことなのかもしれないって今、ハッとしてます。

子どもに合わせすぎなくてもいい、彼らが誰かがしていることを観察する時間になってゆくからそれもいいんだなって。

 

でも基本は彼らと共に日々を過ごして行く心の余裕というか、ペースを落とすというか、それが大事。それだけは大事にしていこうと思う。

 

私たちと共に過ごした中で彼らが学んだり自分で見出したことから楽しみが生まれ、生きる豊かさになるのかもしれない。

 

二人の小さな背中と繋いだ手を見ながらそう気づかせてもらいました。

私は親である時間をどう生きて行きたいのか、こうしてまた整理させてもらっています。

 

忙しく生きてきた幼い頃の私。

自分の家族が心が通い合わないことが不思議だったしつらくて家族をつなげようということに必死で自分が何かをかんさつすることもせずにおとばになってしまったわたし。

 

観察することが生を豊かにすること。

観察することで気づきが生まれ、深まって行く。

物事も、人との関係も。

何かをジャッジするのではなくただ観察をしてみる。

 

このアリはどこへ向かうのだろう。

黒豆とロングビーンの葉っぱの微妙なみどりのこさのちがい。

この子はなぜこんな行為をしているのだろう。

この人はなぜこんなにも優しいのだろう。

 

たくさんたくさん観察をして、子どもたちのように観察力を育てたいなと思う。

そして豊かに感性を開いて行くためのハテナ?もとたくさん向き合ってゆきたいと思う。

 

今日はふと、立ち止まったこゆの、ねえ、聞いて。とねえ、みて。

彼女はそばにいるとき私の顔をお人形のように両手で挟んでクイっと自分の方にまわし、至近距離10センチで笑笑、ねえねえ、って話をする。

そばにないときはさすがにまわされないけど。。

話を聞いても聞いても彼女からたくさんの言葉が溢れてくる。

この話はまた改めて。

 

子供達が詰めてくれたカオラームを焼きます。

こどもたちの写真はまた改めてアップしまーす。

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アレルギーのこゆのためにイタリアンの男性が米粉でピザを作ってくれました。米粉を扱ったことはないのだけど、って一生懸命焼いてくれてね。

いつもは違うものを作るのだけど、やっぱりピザが食べたかったからとってもよろこんでます。

こゆが食べれないものに関しては私がどうにかするからいいよ、といつもこたえるのですが、何人かの方は、それでもこゆをよろこばせたくてこうしてエキストラで作ってくれるのです。本当にね、ありがたくて頭が下がります。どこの国か、なんて関係なくて、その人の人柄はこうして溢れて伝わって来ることをここで感じています。

こゆのアレルギーのおかげでまたたくさんの優しさの触れています。

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一枚全部自分のピザ。こゆにとってはゆめのような喜び。

彼女の中に彼からもらった優しさがふんわりとつもってゆきます。

ありがたいね。

よかったね。あなたのピザはどんなピザよりも美味しいご馳走だよ。
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