日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

わたしが勝手に受け取ったと思い込んでる自然からのメッセージ、笑。

自然の中の暮らしでいただいたもの。

 

①私が裸足で暮らすわけ。

 

札幌で簾舞に暮らしを変えてからもそうですが、ここ、サハイナンで暮らしている間、私はほとんどいつも裸足で暮らしています。

 

なぜかというと気持ちがいいから。

裸足でいるとね、地面の凸凹に合わせて身体が姿勢を変えてくれるのです。わたしに経験による感覚ではありますが、動物の身体はそうできてるんじゃないかなって思っています。

微妙な傾斜に身体があしのうらから完治して、対応してくれてるみたいなのです。

だからね、はだしであるくほうがあるきやすい。

身体中が歩くたびにマッサージするようにゆるんでゆく。

軽くなって行く。

毎朝、ヨガをするように身体を動かす体操をはじめたら、腰痛も、肩こりもさらによくなりました。

 

そうしてね、全身を血が巡るようになったみたい。

冷え性がよねんまえよりはるかによくなり、体力がつき、今のわたし、ほとんどイライラしなくなりました。子どもたちがお互いに大好きすぎてはじめた喧嘩が長すぎる時くらいかなー。自分がイライラしはじめると、自分の中で調整を始める余裕があることも多く、これはつたえてもいいよね、ってわたしがそれを嫌だって思うわけを伝えるようになった。頭ごなしに怒るのではなく、伝えたいことを伝えられることが増えたんですよね。

 

身体の中の血液が巡るようになった変化は大きくて、時折昔の自分を思い出し、自分の穏やかさにびっくりしています。いろんなことがおだやかにうけいれられうけながされてゆくようになりました。

 

人のことに対して自分が判断下してイライラすることもなくなり、落ち込むこともなくなり、あなたが決めたんならいいんじゃない??っておもったり、目の前で誰かがしたことにたいして、わたしは好きじゃないっておもっても、その時を過ぎればもうすぎたことだし、いっかーっておもう。それか、あんまり関わらなければいいよねーって自分に伝えて自分の気持ちに負担が生じないようにする。相手と自分の感覚は違うからね、必要な時は言葉で伝えるけど、別に伝える必要もないこともある。わたしが受け入れ方を整理すればいいだけだもんね。

 

だから今年はいろんなことが、淡々とすぎたり、ああ、こんな経験したけど受け流せてよかったよねーって思ったり、こころがかるいぶん、残る思いが楽しかったーってなってる。

これってすごいこと。

あまり動じない自分がうれしい。

 

これね、裸足だけではないけど、裸足の効用だと思う!

この話をここに来てくれたにほんじん、コースケくんにしていたら、隣にいただいちゃん、「足は第二の心臓だもんね!」といい合いの手を入れてくれた。

本当にね、第二の心臓だと思います。

 

②じぶんではどうしようもないことを受け入れる力。

時間がかかることを焦らず受け入れる力。

 

が、以前よりずっとついた。

雨が降ったら止むまで、畑仕事の手を止めて、洗濯がなかなか乾かないこともそのまま受け入れて待つしかない。

 

困った人に出逢ったら、うまくかわして受け流してその時間が過ぎるのを待つしかない。サンドットさんがここでの滞在者さんで困った人がいて話しても相手が理解できない時、それ以上その人に言及しない。そして状況が読めるようになった私たちがどうしてこの行為になっちゃうんだろうねー?とたづねるとわたしにいつもこう話してくれる。

あの人はa lot of questions だよね。

もちろん、共同生活の場なので困ることはつたえる。けれどもつたわらないとはんだんしたら、戦うことはしない。もう仕方ないよね、と受け流す。そしてそう遠くない彼らがここを去る日を待つ。

その方が楽なのでわたしもそうする。そっと離れてそ受け流すしかないから。それがすぎて行くのを待つしかないから。

 

困ったことに出逢ったら、ゆっくり焦らずに自分がどう動いて行こうか、考えるしかない。

脱穀機がソーラーで動かなかった。収穫したお米を脱穀するためにクラウドファンディングまでして集めたお金で買った大切な機械。人の手を借りても動く手立てが見つからなかった。サンドットさんは時間をかけて諦めずにたくさんの方法を考え出して、見事に、本当に見事に3週間かかって機会は動いた。買ったばかりの機械を一つずつ分解して、モーターを動かすゴムの力がもう少し緩くなるよう、ゴムの初期作動を手伝ったり、バッテリーやインバータをかえたり、本当にいろんな経験を駆使して機会に手を加えた。そして最終的にモーターの動きを助ける小さな道具をつけ、スイッチを機械でオンにするのではなく、ソーラーのスイッチをいじることで動作時のエネルギー必要量を減らすことで見事にサンドットさんは機械をうごかした。

焦らず、諦めず、受け入れる。そうして状況を変えて行く。

 

サンドットさんが自然の中で暮らすことで身につけてきたことなんだろうな。それを身をもって伝えてくれた。そのことがわたしの中に染み渡り今がある。

 

コンビニがない、今すぐ解決することばかりではない暮らしの中でついた受け入れる力がわたしに大方のことは受け流す力を与えてくれた。答えはすぐに出す必要がないことも。

だからおおかたのことはせめることも、責められることも必要がないことだと考えてる。

その方が誰にとってもいい、おだやかな日々。

もうしかたないもん、いいよね。ってヘラヘラしていられる自分に今は少しなれた気がする。

 

③野宿バンザイ。

雨の音、虫の音、風の音。カエルの合唱。

どんなに大きくてもうるさくない。耳に触らない。全くうるさくないから爆睡する。

 

木々の緑、日の光。月明かり、新月のくらさ。

どんなに明るくても睡眠を妨げない。暗くても虫の音が心に寄り添う。

 

体感温度の暑さ、寒さ。水シャワーの熱さ、寒さ。

覚悟を決めて浴びる冷たいシャワーの後は身体が一気に体温を上げてくれる。からだのしんぴ。

真昼間のシャワーは直射日光でホースを水が通るあいだにお湯を作り上げる。地球の神秘に感動する。

気温が高ければ身体は体温を下げる方法を探し、水を飲み、果物を食べる。低ければ、温かいものを欲する。自然の中で暮らす掟があり身体は自然にそれに従う。

従わなければここではいきてゆけないから。

 

夜中は副交感神経が優位になると同時に蚊に刺されたとこが痒くなる。

カンジタアレルギーのわたしは食べたものにより、かゆみが出る。

だから蚊やカンジタを引き寄せる糖分は控える。

ストレスにより糖分を多量に摂取してきた時間の長いわたしは、ホームドクターのおっしゃるように、カンジタによるかゆみがすぐに引かないことにどうしたものかなあと思ってました。

甘いものをやめて2年、ケーキもクッキーも和菓子も、果物も相当減りました。けれどもご飯を少し多く食べただけでカンジタアレルギーがでてかゆみとなってしまうのです。

 

親からのストレス、という状況を食べることに支えてきてもらったわたしには、糖分、食事量のコントロールも簡単ではなく、食事を変えるということは清水の舞台から飛び降りるように大変な時間でした。自分が変われる時を待ち、じわじわと変わって行くしかすべのなかった自分。

 

野宿によって身体が生き延びる術をはっきしてくれてるとしか言いようがなく、たくさんの泉からひいた水、ハーブと食物繊維を含んだ食事、身体と頭がが糖分を取りたくないというほうこうにはたらく力。もちろん、生き延びるために糖分を欲する力もあります。でも今日はこれを食べたくないっていう感覚に自然に添えるようになってきたことはおおきい。

 

あれほど毎日続いていた身体に出るかゆみを忘れられることがふえてきたから。

ここで生き延びるために身体が変わろうとしてくれている。

野宿は身体の力により、身体が最大限に自分を変えてくれるのかもしれないって思っています。

 

アレルギー症状となってしまったのですぐにはかわれない。それをとても実感しています。

けれども頭のコントロールでは解決し得ないことを、生き延びる力が解決しようとしてくれています。

身体が緩んだことで心が緩み、どうしようもならないんじゃないかって思ってきた自分の心の持ち方が変わっていっています。

 

便利な暮らしに慣れてしまったわたしには過酷だと思えた暮らしが(結構楽しんでこれたので実際は過酷ではなかったけど。)、積み重ねてみて感じることは、便利と快適さから離れた暮らしが結構心地よかったってこと。

 

生きることが楽になりました。

旦那さんに毎日楽しいねえ、ありがとうって言えることは私にとっては奇跡なこと。

9歳になった大ちゃんを膝の上で抱きしめて、お尻の骨が当たって痛いんですけど、とわざと文句を言いつつ、それでも可愛いねえ、うちの子になってくれてありがとう。こんなかあちゃんを受け入れてだいじにしてくれてありがとうっていえること。

こゆはこの半年ほど日に日に怒りで表現することが増えていたけれど、3週間くらい前に、こうして表現することに何かの意味があるのかもしれないって気づいてから、こゆをだきしめるたびに、生まれて来てくれた日は大変で生きて欲しいって思って来たのに、こゆが怒るだけで怒り返してごめんねえ。怒ってても大好きなのにね、泣いてても、笑ってても大好きなのにね。一緒にギュってするとぴったりとパズルのようにはまるし、こんなにかわいいのにねえーって言い始めたら、私が自分でもハッとするくらいにこゆのかわいさをみにしみて感じるようになって、本当に可愛いのにねえ。生まれて来てくれた日よりもいつでも今が可愛くてたまらないことに気がついて、こゆがぎゅっと膝に来るようになったから最近は癖になっていつでもこんなことを言うようになってました。

それと同時に怒りで表現するしかないこゆが一番辛いよねって気づいてハッとして。こゆの怒りに便乗することが一気に減った。

 

時の流れの中で、家族それぞれが変わり始めたのだとおもいます。ここ三日くらい、こゆの怒りが緩んで来たのを急に感じて、嬉しくなってるのはもちろんわたしです。

彼女の日々が少しでも楽になって行くのだろうか、と。

彼女がわたしのカンジタアレルギーをひきついでしまったために、たくさんのアレルギーを持ってることがわかり、アレルギー反応による体の心地悪さからくるイライラかもしれないって、わたしが気づいたことで彼女を理解する新しい方法を見つけられました。

 

食事を変え、気づきが得られたことで関わりかたが変わった。

わたしに抱きついて来てくれる感じから彼女との関係がまたいい方向に向かってるんだろうなって感じています。

 

わたしもだけど、こゆのアレルギーへの対応もここでの暮らしの中では正直、大変な時もあります。

けれども、それを踏まえても、このアレルギーが気づかせてくれたことによる彼女へのわたしの心のあり方、行動は必要な変化であり、大切なことだと感じています。身体が教えてくれることってすごいですね。

 

で、話を元に戻さねば。

こうしてこゆのアレルギーをかわいそうという形ではなく、こゆがもっとらくになるようにするために神様がくれたものなんだよーって、わたしが受け入れられるようになったことも、旦那さんへの日々の感謝も、大ちゃんを9歳になっても可愛いねえ、って小さな頃のように抱きしめられるのも、自然がわたしの心を緩めてくれたからなんですよね。

 

野宿もいいけど、北海道は寒いから家と薪ストーブがあるだけでありがたい。

家族が日々を楽しんでくれてることがありがたい。

自分が毎日を否定せずに暮らせるからありがたい。

たくさんのことを自然から教えてもらっています。

 

自然から教えてもらうことは身体に染み入って感じることであって言葉ではない。

言葉が一つのツールにすぎないのだとしたら、英語を話すのが苦手でもいいよね。

最近は、それを知ってますますここでの言葉の壁もどうでもよくなりつつあり。。

いつか話せたらそれもいいよね。

どっちでもいいから、今は今で幸せなんだわ、きっと。

きっと全てはなんでもいいの、今が穏やかなら。

 

出会った人が別れ際にわたしに、気遣ってくれてありがとうって言ってくれる。

あなたたち家族、大好きだよ。ビューティフルファミリーって何人もの仲間が最後に声をかけてくれる。

自分から溢れるものが少しは優しいものになったかな。

みんなからの言葉がわたしをもっと優しく心地よくしてくれます。

全てはみんなからいただいたもの、ただそれだけなんだよね、きっと。

わたしの気持ちを受け取ってくれてありがとう。

 

子どもたちが作った蒸しケーキ。

材料はバナナ味が米粉、塩、バナナ、ベーキングパウダー、エゴマ。さつまいも味が米粉、塩、さつまいも、ベーキングパウダー、エゴマ

二人でこねこね。

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順序が狂いましたがこちら最後の工程。1時間蒸します。
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キメがでたよ。
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わお、ふわふわ。
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ここにあるもので必要なものを作るということに慣れたからあえて買いに行くこともしません。今日は米粉もバナナもさつまいももあることがありがたい。

チョコ味にすることもないよね。ランク上げてクッキーにすることもないよね。

あるものでできることをやったらいい。そんな気持ちが心の余裕につながっていくのだと思います。

今日はいつもよりもっとおおく幸せがあった。当たり前じゃないから嬉しいことだよね。

美味しいね。うれしいね。を一緒に味わえることも幸せだよね。ケーキがもたらしたたくさんの幸せ。