私であることにバンザイ!
日本語の授業をしようと何度も試しながら引き受けています。
そうして私たちの経験から学んだこと。
身体を動かすことの得意なかれらの集中時間は差ほど長くない。
ならば教えようと思うより、自分たちが楽しめることを日本語を使ってやってみよう。
楽しければきっと一つくらい彼らの心に残るだろう、と。
そうおもい今年は日本語で交流、ついでに自分たちがタイ語を習おうという方針に転換。
先生が動物の名前を教えて、ってきっかけをくれたので、だんなさん、絵を描いて、タイ語と日本語を並べます。
上も犬。下は犬。
でも致命的な問題が。私も旦那さんも画才がない!全くない!!
上の絵は旦那さん作。
子どもたちが猫だって答えます。
なのでもう猫ということにして旦那さんは私に絵を描くよう頼みました。
う、うん、かいてみる。犬ね、犬!
ど、どう?
旦那さん、私が書き始めた時点で諦めて野良犬を捕まえに行った。
でも子供達、私の絵を見て、犬!って言ってくれたのにね、それをしらないだんなさん、ひっしに野良犬を捕まえて教室にかえってきた。
それで第一弾、大爆笑!
続いてその野良犬がかなり臭かったらしく、犬、臭い!って叫んだ後、黒板に犬、臭いってタイ語と、日本語で書き始めたの、、、、。。
男子の心をがっつり掴んで大爆笑!
何教えてんだ?って男子が犬、くさい!を日本語で連発。
でもおもったよ。
これ、スーパーいい授業じゃないか!楽しいもん。
くさいをあまり使わなかろうがいいよね、この人の話は面白いって思えばこれからもみんな聞いてくれるもん。
犬が出てきた時点で、私たち、一つの疑問を思い出す。
タイ語で「いぬと馬がきます」ってなんていうか知っていますか?
私たちにはびっくりの「マー マー マー」!?!?!?!?!?!?!?
微妙な上がり下がりなのでみんな同じに聞こえるんです。
犬が出た瞬間にこれをみんなに教えてもらおう、ということに(私たち夫婦の間で)きまった。
犬、猫、くる、の言葉を並べて、あとはひたすらこどもたちにはつおんをならう。
日本人3人、フィンランド人一人。
一人ずつ、旦那さんから当てられて子どもたちに習った通り、マー マー マー!と繰り返す。
私たちの発音に子どもたちから指導がはいる。
その度になんか変、とどこかから爆笑。
爆笑の絶えない40分。
どうにか私たち、マーマーマーを言えるようになった?かな。。
そして、子どもたちの中で私たちの日本語でのやり取りを楽しんでもらえたみたいだし、お互いに楽しく国際交流ゆうというもくてきをはたしたよね。
続いて私の思いつきで、絵の暮らす。
娘の幼稚園でやったスクラッチをやることにしました。
アクリル絵の具だけ日本から持参。クレヨンは現地で調達です。
クレヨンの上に絵の具で塗りつぶして、けずるんだよ。
タイ語の話せない私は実技だけしながら、日本語で説明する。
んでみんなわかってくれて始めます。
彼らの実技の集中力はすごい。
思った以上に楽しんでくれて私が嬉しかった。
私の見本はかなり貧相なものだったのに、彼らの手にかかったらこんな作品に仕上がった。
ブラボー!!
下に塗ったクレヨンづかいもさることながら、私自作のたけのスティックでこんなに繊細にはっきりと描いてくれて、自分の想像をこんなに越えることがあるんだって改めて知りました。
本当にね、今まで意識の面で気づいていなかったことにたくさん気づかせてもらいました。
すごい!
スクラッチの上は黒く塗るもんだと思ってた。
けれども彼らは筆を指で弾き、銀河系を描くようにえのぐをかさね、スクラッチを施した。
鮮やかな才能に、その人の素晴らしさにただただ驚いた。
息子の作品も素晴らしかった。銀河系に月を描いた上にスクラッチ。
天才かもしれない、笑。
ついでにもう一つ。9歳男子。結構ハートも好きらしい。かわいいやつ。笑。
Aちゃんが教えてくれた、人には表面からは見えない才能がある。
ということ。
これは絵だけではなく、生きる上で全てのことにおいてなのだろうとハッとしました。
優しさも、謙虚さも勇気も、積極さも。絵の才能も、感覚の才能も。
そんな思いで、決めつけずにピュアな心で誰かと関わっていきたいな。
そんな大人になりたいな。
今まで思い込みや常識という決めつけで生きてくる時間の長かった私にくれた神様からのメッセージなのだと思います。
今年のここでの時間は、自分の思い込みの殻を破る作業がたくさんありました。
これからもそうあると思います。
誰かに対する思い込みをなくして生きていけたら素敵だな。
奢ることもさげすむこともなく、のほほんと穏やかな心で日々を過ごしたいから。
言葉で理解できない暮らしの中で得られたこと。
タイ語がなかなかできなくてよかった。
英語がなかなかうまくならなくてよかった。
私にこんな感性があることがわかったから。
そうして自分のなりたい人間像がまた見えたから。
こんな自分でよかった、っていうことだよね、きっと。
私であることに、バンザイ。