日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

親として伝えられること。

サンドットさんから学んだこと。

 

共にいる小さなうちだから、彼らのペースに合わせて働く。

親は先生だから。ゆっくりゆっくり彼らと動いて日々を築きあげて行くんだ。

 

例えばここで言えば、うちを建てる時、畑を作る時、出かける時。

まきから調理して食事を作る時、山に入る時。

三才の息子さんが傍で穴を掘ったり、一緒に車に乗ったり、本当に鶏の親子のように日々を過ごしています。ゆっくりゆっくりペースを落とし仕事をするサンドットさん。その傍で息子くんは穴を掘ったり、水道管レゴをしたり、滞在してる外国人と遊んだり、自分の楽しみを見つけています。パパが大好きでどこに行くにもパパと一緒。村に用があって出かけると、むすこさんのためにかわであそんでかえってくる。

 

サンドットさんには年の離れた息子さんがいて、二十歳を超えた息子さんを筆頭に3人目にして学んだこと、だそうです。

 

わたしはさっさと家事を終わらせてゆっくり遊ぼうっていつも思ってました。

けれども目の前の家事が終わってもやりたいことが出てくる。

 

結局遊びこむことはできないことも多くて。だから今の子供達の幼稚園を選びました。

わたしも共に通えばうちから離れてる間は一緒に遊び込める。

とっても素敵な幼稚園でその存在がいつもありがたいなと思います。

でも近頃、幼稚園にいる間だけでも遊び込めるからいいっちゃいいけれども、うちに帰ると、寄り添える時間はぐっと減るから、もう少し自分の心がゆっくりできないかなあって考えていました。

自分の心次第なんだけどね、どうしたら自分にも我が子にもいいかなあって。

 

んで、今年、ここにきて、ずーっとサンドットさんが言ってくれてたことがいきなりストンと腑に落ちてきました。今年の学びの一つはこれ。

 

親として自分の経験を伝えながらゆっくりゆっくりくらしていくということ。

 

やらなければ、に縛られないで子供のペースに合わせて暮らしの中の仕事も入れて行く。

できることは共に、傍において彼らの気持ちも聴きながらゆっくりゆっくり暮らしをこなして行ければいいなあってふと気がつきました。

 

ゆっくりゆっくり、このペースが札幌にいるわたしにはあまりできていなかったのかもなあ。

ここでの暮らしは人の助けもあり、ゆっくり、が経験できます。これを経験して、帰ったら札幌でどう実践できるかやってもようと思います。やっぱり札幌では人の手がないからこのまま実践はできないから。

 

どうしたら不満なく、家事の傍にいてもらえるか。もちろんいつでもは無理だよね。でも家事も結構楽しかったりする。まずはこの楽しいとこだけでも共にやらないともったいないよね、って今思ったしね。

 

旦那さんは実は子供のペースに寄り添うのが苦手な人でした。じいちゃんは孫といつまでも遊んでくれるすごい人で、自分も遊んでもらってきたのになーって言ってるけど、環境は常に変わって行くし、彼の感情の中でいろーんなことがあったのでしょうね。

ここにきても自分のペースでうちを建てることに一生懸命でした。それを見てね、サンドットさんが彼の声をかけてくれたのです。そこから少しずつ少しずつ、変わり始めたお父さんとしての旦那さん。

 

サンドットさんの経験から生まれる言葉が、染み入ったのだと思います。経験と優しさから生まれる言葉で一人の人間が自分がより良くなるように見つめ直す。その一言がいつでも響くわけではないし、絶妙なタイミングと信頼関係が生み出した多分、奇跡。

 

こどもたちがかわってゆきました。パパとの関係、わたしとの関係が深まったことは彼らに基本的な安心感を一層持たせてくれたようです。

 

親としてできることは多分、教えることではなくて、伝えること、感じてもらうこと。

共に暮らして、共に生きて、私たちの生き様を感じてもらうこと。それを彼らの人生にいかしてもらうこと。

考えてみたらわたしは今でも間違うことだらけだし、思い込みだらけだし、情報だけが詰まってることもたくさん。だから子どもたちとも旦那さんとも共に学んで行くように日々を過ごしています。

 

共に遊んで、暮らしの仕事をして。火おこしすれば枝の先に火をつけてタバコーっていつまでも遊んでるし、料理すれば味見しまくるし、きのみの殻割りを始めればまとめてローストしたい大人を無視して早く食べたいってうるさいし、笑笑。腑に落ちてからゆっくりゆっくりでいいやーってだんだん受け入れられるようになってきてイラっとすることがないまま1日が終わって行く自分が嬉しい、笑。

ボケーっと、ヘラーっと1日がすぎて行く、笑笑。

 

でも共に過ごした中で、こどもたちはまなびつづけます。金槌で指の先を打ち付けた時にそばにいたからその危険さも対処法も知ってるし、きのみの殻割りは木のボッコでできちゃうことも知ってるし、カシューナッツはウルシの毒を消してからでないと食べれないから作るのが大変なことも知ってるし、うちを作るのは大変だけど楽しいことも嬉しいことも知ってる。そして何よりも日々を楽しめるかは自分次第だってこともしってる。

 

彼らは自分で生きて行く方法を自分で知ることができる存在であるから、とにかく邪魔せず、共に楽しんでいければいいんだろうなー。

 

今、大ちゃんは小さな頃できなかった旦那さんとの時間を求めて楽しんでいます。

母であるわたしと過ごす時間は長かったけれどパパと過ごす時間はほとんどなかったものね。

でも今それをできていることは素敵なことだと思います。

 

札幌で過ごす時間もいい。

そして家族で旅をするのもすごくいい。

そして全然違う暮らしをする中での学びもすごくいい。

 

なにがいいかって、家族全員で、ゼロから共に学んでるから。

誰かが奢るわけでもなく、共に学んで理解して、みんなで喜んで。

かけがえのない喜びと安心感、そして押し付けではない経験の共有。

少しは親としての役目を果たせてるかな。

 

昨日、子供達の大好きな川に行ったら、虫に刺されあちこちがかゆい。

参ったことに、これ、刺されたら2週間はかゆいという困った状況をうんだ。

今年はこの虫がなぜか多くて川で遊ぶのもままならないということ。

残念だけど、自然かいがそう決めたことなのだから仕方ないよね。

村の人は川で仕事をするときは火を炊いて避けるそうです。

こうして受け入れ、罰しない(殺虫しない)このあり方がすごいなあと思います。

現代社会では強力な虫除け使ったり、農薬使ったり、が、きっと必要以上に行われてる気がするのです。必要以上であることが残念だなあとおもったかゆい朝。

長いなー、二週間!!!!

本当に痒すぎて、タイガーバームより効く、グリーンバーム(ナチュラメディスン)で対処。

でもお砂糖をやめて、身体中がかゆいなんか気持ち悪い感じがないことに気づいた。こういうのもアレルギー反応なのかなあ。あとは感じニンニクとハーブ、もっと取らないとな。

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