日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

Are you happy?

人生はきっと、成功も失敗もないのかもしれない。

 

自分が経験したことは全て自分になる。

1つ1つが自分であり、その経験によりきづきがうまれる。

最近ふと自分の中に失敗という言葉がないことに気がついた。

 

苦しいこと、悲しいことでさえ、経験するしかなかったことなのだろうとおもう。

幼い頃の苦しみから、わたしには今でも苦しみを超えるための苦しみがやってくる。

けれどもね、ここを超えたら、超えられる自分を知ったら少し楽になる。

超えられる自分がいることを腹の底で知っているという力は強い。

 

そうしてね、自分の短所が自分で受け入れられるということ。

その時のベストを尽くしてできなければ仕方がない。できなかったという経験が必要だったのだろう。

できなかった、ごめんなさい、と伝えることも必要だったのだろう。

その時の自分のままの表現でいていいのだとおもう。

ただ一つ、自分に誠意を持つことだけは忘れないということだけもっていたらいい。

自分のベストを尽くしてつみかさねる。

 

結果は残らなくても、結果に至るまでの道のりを経験したことで次の時はまた違う方法が生み出せる。

 

その時の最大限の優しさと努力をつくすこと。

自分に対しても優しさと努力。

そうして通過した経験は失敗ではないよね。

 

わたしは我が子を謙遜できなくなった。

彼らは自分に誠意をもって今のベストを尽くしているから。

Happyに向かってる生きている大きな存在だからわたしは彼らから感じてまなぶ。

自分を否定することはなくなった今のわたし。

今は自分を謙遜しないような生き方に向かっていきたいと思う。

 

ただ自分に嘘をつかずに生きて行くだけ。

 

それを教えてくれた大人もいる。サハイナンのサンドットさん。

毎日毎日、わたしにあうたびにAre you happy?と声をかけてくれる。

 

わたしは意識の上でも意識の下でもそれを感じ考え続けていたらしい。

今のわたしはHappyに向かってる日々がある。

かくじつに向かっている日々の中で私は経験を積み重ねるしかないから、失敗はないのだろうなと思う。

 

彼が毎日わたしに問いかけてくれたその言葉はわたしのからだのしみわたって、いつも顔を出す言葉になった。そうしてね、今度は自分から染み出すのだろうな。

 

自分を押さえつけていた幼い頃。

自分をなくして幸せには出会えないことを人一倍体験してきたと感じられるようになった。

辛かった経験は母のせいではない。自分の感覚を呼び戻すための通過点だったんだよね、きっと。自分がいつかどこかでそれを越えようと決めていたことなのかもしれないし、神様から与えられたものなのかもしれない。少なくとも、母のせいではないんだって気づいてびっくりした。

 

自分にもう嘘はつかない。

今はできないこと、は今はできない。

自分に無理をせずにやりたいこと、できることをやってゆく。

自分に優しさを。必要な時には努力を。

 

やりたいと思ったことをやってみたら、やりたいことじゃなかったと気づくことがある。

もっと優先順位が高かったことがあったということにきづくこともある。

例えば、わたしは自分のやりたいことをやり通したためにこどもたちにふたんがかかり、あきらめて子供を優先にしてみたら、彼らの満足感が嬉しくて、今は自分のやりたいことは子供に寄り添うことだったということに気がついたことがある。あの時はじぶんのやりたいことを諦めたけど、今は考える方向が変わり、諦めたのではなく、今本当に自分がやりたいことを優先しただけ、とおもってる。

 

じぶんのやりたいことができないときも、幸せだなっておもう。時間が経って我が子があの時は楽しかったって言ってくれた時は身体中が嬉しくなる。

 

今のわたしにとっての幸せはなんだろう、丁寧に考える習慣が大人になったわたしを育ててくれてます。子供のころにこの直感を大切にできなかったから、わたしには鈍ったこの感覚だけど、いま少しずつ育っていってます。これからもずっとこの感覚を研ぎ澄ませ育てて行きたい。

 

サンドットさんの言葉が、どんな時のわたしも成長させてくれています。

こどもといるとき、だんなさんともめたとき、自分がもどかしさでイライラしている時。

マイナスに陥った自分を支え、どんな時も自分の感覚次第なのだと育ててくれています。

だから人生無駄なし、失敗なし。

 

今日のあたしは幸せだったかな?明日のあたしは幸せかな?

雪灯りに反射する月明かりに、タイでの水シャワーで冷えた身体が太陽に当たってあったまる温もりに、子どもたちが今日も楽しいって言ってくれるその笑顔に、笑いながらビール飲んでる旦那さんに、一つでも多く幸せを感じられる自分になれるよう、生きて行きたいな。

 

幸せはきっと自分次第。

苦しみを超えてこれを感じられたこと、母が超えられなかった苦しみを超えられたのは母の苦しみをみてきたからなのかもしれません。母が人生を持って教えてくれたこと。

一つずつ母を受け入れられるようになり、かんしゃできるようになった自分がすなおに嬉しい。

 

きっと普通とは違う感謝のしかた。けれども親を受け入れられることがもっと自分を受け入れられるようになる通過点。

これもいまのわたしのひとつのhappyです。

いつか母に伝えられる日が来たら、きっと心を込めてありがとうと伝えられる。

それが母が苦しみから抜け出せるきっかけになるかもしれない。

 

ふっと思いついたけど、自分が幸せであることは誰かを幸せにする、のかもしれません。

 

おかあさん、精一杯いきてくれてありがとう。27年寄り添ったその姿からわたしは気づきをたくさんもらいました。お母さん自身も幼いころ外に預けられて以来、愛すること、愛されることがわからなくなった。そうして人と争い、自分で自分を守りながらの生きて来たその苦しみをわたしは少しずつ理解できるようになりました。お母さんはおばあちゃんに自分だけかわいがってもらってないから恨んでいるって言っていたものね。おばあちゃんも親戚のおばちゃんも外に預けられた年が母だけ幼かったことを除いては、同じように育ってきたっていっていたから、きっとそうなのだと思います。でも、おばあちゃんを恨み続けていたこと、これがこの苦しみの源だったのだと思うよ、育てられたように育てる、わたしも預けられるということ以外は同じように育ててもらってきたようにおもいます。24時間大人に気を使い、自分は元気と装い、誰に頼ろうとも思わず大人になったひとは、自分を認められずに、自分も相手も攻め続ける。緊張感から小さな喜びを見つけられなくなってる。その苦しみを今は一番に理解してるんじゃないかとおもいます。。お母さんと話が噛み合わないことを諦め、自分に蓋をし、ただただ母の話を聞いてきたともにくらしていたころ。いつのころからか、母を否定したくないがために、母に否定してほしくないがために、自分の感覚を捨てるようになっていました。たぶん、お母さんもそうだったのだろうと想像してる。

 

でも、この歳になって一つちがうこと。わたしは母を恨むのをやめられる方法をみつけたこと。そこに気づき、向き合って超えたことで、今のわたしは自分の生き方は自分で描いていけることを知ってる。おかあさんはそれができなかった、そんな自分の苦しみとむきあうために、自分のかなしい気持ちを表現させてくれる人に出会えなかったのだとおもいます。自分一人では抜け出すことのできない悲しみにあふれたくるしみ。楽しそうに笑い声をあげたことのないお母さんに対し、何故だろうって思っていた答えがようやく見えた気がします。。そんなお母さんが、自分の知ってる全てを使って私たちを育ててくれたこともいまようやっと理解できるようになりました。お母さんは幸せを感じたことなんて一度もないと言っていたけれど、お母さんの子供として生まれ、お母さんに幸せになってもらいたくて寄り添って来たわたしの人生は、お母さんが超えられなかった渦を超える方法をやっとみつけることができました。わたしの人生かけて見つけている方法をいつか伝えられる日はくるのでしょうか。わたしは今でもまだお母さんの幸せを祈っているのかも、しれません。

わたしが授かった我が子のように。

 

ちょっと詩人みたいになっちゃったけど、こうして自分の思いを整理しながらわたしは人生を生きていこうとしてる、それを自分で感じています。

いつもこんなことばっか感じて時には考えてるわたしは少し変わってる、笑。

でも人それぞれ、経験や自分の生きて来た道から大切にしたかったり向き合おうとしていくものがある。これがわたしに特性であり、生きる道。

せっかくいただいた生をHappyでいきていたいから。

それに気づかせてもらったこの6年。自分が生きるのが年々楽になり、自分の周りにいてくださる人が変わって行ってる。自分らしくありたいと自分に願うようにかぞくにも自分らしくいきてほしいとねがっています。そのために相手を理解し受け入れるという自分の器を育てる作業があって、わたしにとってとっても大変なことではあるのだけれどもね。

 

今日もできる限りhappyにいこう。

今日は飛行機に乗りタイにむかいます。

たのしもーっと。

 

 むすこのおともだちであり、わたしにとって大切なお友達であり、可愛い娘のような女の子が書いてくれたわたしたちかぞくの絵。

優しい表情に優しいタッチで描かれたその絵から、彼女の思いがぐっと伝わってとっても嬉しかったな。

息子の友人が私たち家族にとって大切な存在であることが嬉しいなと思います。健やかにhappyに日々をいきていってくれますように。わたしたちの中の優しさがそれを祈っています。

大切に飾っておこう。嬉しいなあ。

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