日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

じぶんの感性と気づき。

今年のタイは4度目の旅。

 

今年のはわたしはなにを感じられる人になってるのだろう。

 

日本で積み重ねる日々もそれは同じ。

けれども周りにいる人が変わると新たな気づきがある。

だから行ってみないとわからない。行く時と帰るときは何か違う新しいことが自分の中で育ち始めてる。

それはわたしにとって、旅に出るという節目があることで感じやすくなる。

 

さっきね、ふっとかんじてた。

我が子と暮らすようになってからのわたしは、自分の育ちとの向き合いだった。

幼い頃から親を肯定するために自分の思いを封じ込めてきたつらさも、思春期を過ぎてどこかで親を恨み続けてきた辛さも我が子の引き継ぎたくなかった。

自分のうちの帰ることを辛いと思って欲しくなかった。

 

1つずつ、整理して自分の中に受け入れられるようになってきた。

で、今の心地よさの中に、自分が幼い頃感じてこなかったことがたくさん含まれてることに気がついた。

 

わたしがこの村に行くこと。

この村の人の無邪気な笑顔に触れること。

 

ああ、わたし、こういう風にしたかったんだなあっておもう。

家族のことを考えることで日々が過ぎ、無邪気な気持ちで過ごすことはなかった。

きゃーって楽しむこともなかった。

ただ今日も一日どうか両親の心の地雷が爆発しないように祈りながらだったから。

 

このなんとも言えない無邪気さに、わたしは幼い頃できなかった経験を重ねているのだと思う。

今、わたしが日本で暮らしてる中ではできないこの感じを味わうためにわたしはここにきてる。

ライフラインのない暮らしの経験とともに、わたしは自分を満たすために日々を積み重ねてるのだってふときづいた。

 

家族だけでの旅路でみんなで支え合う心地よさを味わい、その間だけは日常からちょっと離れて、家事から離れて、一緒に楽しむことを味わう。

 

村についてサンドットさんに今年もあって、今日もハッピーかい?って聞かれて、ハッピーだぜ!!って答えてゲラゲラ笑う。私たちを始め、おとづれた若者に対する彼の優しさにわたしはたくさんの愛をあじわう。

 

コミュニティをおとづれた若者たちが子供達にくれる優しさと愛に、胸がきゅっとなる。

 

ああ、自分がこう生きたいとおもっていたことがかなっていたことに、今朝ふと気がつきました。

石川先生、よしえさーん、わたしびっくりしてます。

もう叶っていたんだ。。

 

こどものころにえがいていた夢を今、ここで叶えてた。

そして、今、自分の辛かったことを引き継ぎたくないし、旦那さんも大切にしたいと思ってそれに向かってます。

時々、自分が背負ってきたことの重さに、自分がそれに飲み込まれないかしんぱいになっていたけど、きっと大丈夫。

今朝の気づきに勇気をもらった気がします。きっと大丈夫。

 

今わたしは人生を味わってるのだと気づきました。

色々あるけど、自分を抑えて生きてきた頃よりずっとよくて、自分の感覚で味わって積み重ねて、経験して、成長して生きたいと思う。

 

タイに行ったわたしはなにを味わっているんでしょう。

それがわからないから楽しく大きな自分の可能性をひめてるのかもしれません。

 

自分の今を大切に、家族との時間を大切に、今日も明日も積み重ねていこう。

 

昨日は寒い寒い一日。

昨日も五郎さんのうちにお風呂を借りに行きました。

帰り道、いつもはナイターの光が雪に反射し赤く照らされた雪雲の広がる空を眺めながら、凍りそうなタオルを首に下げて帰ってくるのだけどね。

昨日は三日月の月明かりがエコ村を照らし、ふと、今日は雪雲がないことにきづく。月明かりが雪に反射し、ライトをつけるのがもったいない神秘さを感じ、あるいていたらね。月明かりに雪の結晶が反射しあちこちでキラキラ、キラキラ輝いているのです。

この寒さとお月様と、静けさと、景色の滅多にない神秘の世界。

こころがわあーっと嬉しくなる。

この豊かさの中に日常があることを感謝せずにはおれません。

「きっと妖精だよ」

ティンカーベルの好きな娘の可愛い思い。

 

これも私たちがずっと願ってきたことなのかも、しれません。

自然は、すごいなあ。

写真、撮りたかったけど難しい。

いつかは一眼レフに。