日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

重いけど軽くした話。自分の育ちと自己肯定感。

わたしの幼い頃のことで覚えてることは、辛かったことをいくつか。

楽しかった記憶はほとんどなくて、結婚して旦那さんが4歳から記憶を持ってることにびっくりしたことがある。

それも楽しかったことがたくさん。

自分の当たり前と彼に当たり前の違いに顎が外れそうなくらいびっくりしたのを今でも忘れない。

彼はたくさんの記憶があるのが当たり前だった。なんで覚えてないの?って聞かれるけど覚えてないものは覚えてなくてその理由なんてかんがえたことはなかった。

 

友達とコミュニケーションがしぜんにとれなくて遊べない休み時間、消えてしまいたかった。

わたしなんかいなくていい、我が家で一番手のかからない子をキープすることに全力注ぐ裏で、自分のことに目を向けるよゆうがなかった。

 

親に心配かけたくないから誰にも自分の悩みは話さず、抱え込むのが習慣になった。

うちに帰るたびの両親の喧嘩に、小学生の時から帰宅拒否の気持ちをかなり強く押しとどめてきたのでうちに帰ったら休まるという感覚を知らないのが当たり前だった。

ただ物心ついた時からの思いが習慣になり、母の気持ちを荒立てないことが家族全員の暗黙の了解。

 

自分はどこへいっても影を隠してる方が、傷つくこともない、悩みも少なくて済む、そつなくこなしてるようで親は喜ぶと思ってた。

 

それが自分を失う生き方だったとわかった、我が子の育ちとともに整理して6年の今。

 

親を恨んだこともあるし、今でも、自分の思いがうまくいかないもどかしさにぶつかる時もある。けれども、親もそう育ってきており、彼らもそう育てるしかわからなかったから仕方ないよね、って思えるようになった。親はわたしの気持ちに心を傾ける余裕がなかったのだけど、わたしも話を聞いてもことを諦めなければもう少し違った家族のかたちだったかもしれない。そう思えるようにもなった。

 

不運なことに、存在否定を自分でしてきてしまった時間がながかった、自分の問題でもあるってね。けれども、どこかでそんなわたしの気持ちを汲んでくれる大人に一人で会えていたら、自分で自分を責めこむことは避けられたかもしれない。

 

我が家が大好き。

昨日家族でお笑い見てみんなゲラゲラわらっててたのしかったわー。

うちのおかん、誕生日にくす玉作るんだよー(呆れ笑い)。

 

っていう友達かぞくに憧れつつ、自分のかぞくの当たり前が前提だから家族の心地よさも知らなかった。

大きくなって自己不信に悩んだ。どの程度の関わり方をしたら相手は傷つくのかわからず、自分が怖くなったりもした。のちに、免許取ったのに車が運転できない理由はそこにあったことに気づきました。死角が怖くて、なんども死角を見たり、小さな音で何かを引いたんじゃないか振り返る。そうせずにおれないその行為で、本当に危ない。。今でもくるまのうんてんはしてません。無理せずに必要な方に流れて行くだろうなと。でもそのおかげで必要以上に買い物しなくなったし、サクッといけるからって出かけてガソリン使わなくて済んでて今は、だんなさんよろこんでるけど、笑笑。

 

気づいたらおとなになってた。なんでわたしは自分が怖いんだろう、そう思うけど、考える糸口が見つからない。

家族一人一人が楽しく生きることを知らなかった。

私の母の、わたしは幸せになってことがない、って言葉は家族全員の浸透してしまったらしい。

それが自己肯定感のけつじょだったってことを知ったのはたった、6年前だった。

 

結婚してすこし変わり始めたよね。

旦那さんとその家族には感謝しています。

そんな自分が愛してもらえることを知った。

で、そこから開け始めたわたしの人生、子どもたちの通う幼稚園の園長の教えがすごかった。

 

わたしはここは自己肯定感が育つような場所にしようと努力してるんだ。

自己肯定感という言葉を初めて知ったこの場所。

そう、わたしが苦しんできた根本は自己肯定感がないことからくるものだった。

そしてその言葉はわたしの人生のキーワードになった。

 

園長はわたしに問いかけた。そしてこんな教えをくれた。

自分が幸せに生きているかをといつづけること。人間の生きる基礎にいつも立ち返ること。

そしてこういった。あなたの命はかけがえのないものだよと。ここでは自己肯定感を育むのは子どもだけではない。寄り添う母も、父も自分でもそれを育てる努力をすることを意識していく必要がある。赤ちゃんを見ると可愛いって思うけど、わたしもそうだったのだとここで知り、ハッとした。。自分も生命の神秘を通過して母のお腹に育まれ生まれ出た。そうして今も神秘の身体が動いてる。感じる心と考える頭、人を愛する心があるし、愛する心を持つことができる。

 

自分がどれだけかけがえのない存在かを自分で感じること。

そこから生まれてくる愛が周りにも波及して行くことをここで時間をかけて経験して感じてきた。

 

昨日改めてその勉強をしてね。自分のために記録することにしました。

一人の命の尊さ。

命と向き合うこと。

参加したみんなでシェアしながら感じたその時間。

 

自分が親に抱きしめてあいしてもらいたかった、思いは実は今でもあります。

けれどもここからわたしは歩き始め、両親なりに頑張っていたことを知り、旦那さんやその家族にただただ感謝でいっぱいになり、子どもたちと旦那さんの命に寄り添う覚悟を小さく小さくその都度、毎日のように決め、受け入れられることがだいぶ増えた。

今の家族がいつでも、わたしであることをハグしてくれ、愛してくれる分、もっと愛せる自分になろうと思う。

自分が今の自分であること、未熟な自分も抱きしめながらいまを経過して行くこと、でもどうして生きたいかを描き続けあるいてゆくことも常に心に置きながら。自分がどう生きていったら心地いいのかをいつも自分に問いかけています。続けてるからこれは習慣になりつつあり、自己肯定感を自分でも支えていけるようになった。自分の今が結構好きのなりました。反省の時は、そんな自分を受け入れることで苦しみを超え、楽しい気持ちを少しでも増やしたくて見方を変えて。自分の言動はあふれていくものだから、行為に気をつけ、習慣に変わって行くことを忘れずに。

 

つい、自分のいきることの整理に走っちゃうけど、今日は、生まれてきた神秘を忘れない、って自分に言いたかったんだっけ。家族も、出会う人たちも、そう。みんなかけがえない命。たまにみんなで神秘の映像を見て気持ちをシェアしあう。シェアしてともに感動した思いは言葉ではなく、感覚として自分の中に浸透して行くのだと、わたしはここでしっかりとかんじました。もちろん一人でかんじてぼんやりかんがえたい時もたくさんあるけれどもね。

 

みんな、お母さんのお腹で育まれ、誰かに愛され、誰かを愛してその人を支えながら生きて今がある。

その裏には多かれ少なかれ、それぞれが抱えた苦しみもある。そう思うとぐっと愛しくなる。優しい気持ちになれる。

 

自分が相手と対峙しそうになったとき、相手の背景を考えるようになった。

きっとわたしが想像できるのは爪の先にも及ばない。

相手がそう表現せざるを得なかった背景を考えると相手の怒りや捨て台詞にいかる気が失せる。

じぶんもそれにたいし表現することもときには必要だと思う。自分が伝えたいことをどう表現するのがベストかを考え、争わずにこれを受け流せる器を持てるようになりたいと思う。

それに後々に自分の経験不足に対し、相手がそうひょうげんしたのだとわかることもあってそこから得る自分への気づきもある。

自分が正しい、そう思い込みがちだったから気をつけながら今は過ごしています。正しいも正しくないもないこともおおいから。思いは習慣になって行く、ということがわかったから、今、身についてる自分の習慣も気づいた時から、見直して整理していかないとね。いらないものは捨てていく方がらくだし。

 

重かった自分の人生の経験、でもきっとみんなそうだろうなー。じゃあ、自分がその経験を自分の特性、経験値に変えていったらいいのかも。そう自分でつぶやいて見る。自己肯定感をもてるように変わりつつある自分がが家族とともに自分の今を支えてくれています。

 

相手への優しさと自分への誠意を持ち続けられるひとであれるように、日々自分も育って生きたいなとおもう。

 

ふんどしパンツ、増産しました。手頃価格のオーガニックコットンにしたら思ったより薄かったな。自分で試着したらさらっとしていて気持ちはいいから値段下げて置かせてもらうか、別生地にするか考え中です。

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