日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

きょうのこどもたち。雪の宝石屋さん。

宝石屋さん。

絵具をしていたら思いついちゃったらしい。

ぱれっとに並んだ宝石たち。

こゆは宝石を作る人。

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宝石置きを作るとそとからつららをあつめてきてのみで叩いたり、ストーブで溶かしたりする大ちゃん。

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できた!

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溶けないように大切に雪の中に並べる。

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夏は虫取りしたり、傘でかぜにのろうとしたり、ダム作ったりして、冬は雪。

宝石作って、かまくら作って、つらら食べて、庭でスキーして。

バス停まで4キロの道のりもソリで遊びながら向かう。

 

畑の野菜取ってきて八百屋さんしたり、こっこちゃんの卵は夏より冬が少ないってしったり、自然と共にある時間。

こうして自然と共にある暮らしがたのしい。

 

自分が大人として、経験を伴わない知識をつたえてもまったくつたわらないし、自分自身のなかに疑問がうまれるから共に考えてもらうひび。

「大人の価値観を押し付けるのではなく、唯一無二の親友として子供との関係を気づいていく、」私の子育ての師匠の言葉がここに来て、いつも胸にひびいています。

 

そうして今ずっしりと感じています。

私がこうして暮らせているのは当たり前ではない。

ご飯を食べられることも、楽しい時間を過ごせることも、苦しみを超えていけることも。

子育ての時間は自分を育てて行く時間。

 

当たり前ではない日々をずっしりと感じることで、自分がもっと優しくなれる。

人に寄り添えるようになって行く。

自己肯定感がしっかりしてゆく。

 

そうして何かがあった時、文句を言って戦うんじゃない。

相手の状況を受け入れたり、妥協したり、待ったり、そうする中で自分の気持ちも表現していきたいと思いながら、まだまだそうはいかない自分と向き合いつつ、日々を積み重ねています。

 

家族関係も他人様との関係もそれはきっと同じ。

日々の中にいつだって遊びがある子どもたちのように生きたいとおもいます。

楽しい遊び、嬉しい遊び、ワクワクする遊び、つまんない遊び。

いろいろあるんですね。こんなに美しい遊びもある。

それをたちどまって感じられる人でありたいなあと思います。