日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

2018 今年もサハイナンへ。

準備が始まりました。

今年で四年目。

毎年ここで学ぶ目標は違うけど、家族それぞれに学びがある。

日本にいても、日々学びと冒険に満ちた日々。

特に今年はね、暮らしを手探りで作って行く日々だった。

 

今まで自分がしたことのない、自分で暮らしを作って行く作業。

食べ物も住む場所も、深い人様との関係もありました。

もちろん、自分と向き合う作業は日々続いています。

箱だけだった家にお風呂がつき、トイレがつき、断熱がつき、薪ストーブがつきました。

 

作りながら暮らしていたから寒い状態から暖かくなり、トイレもお風呂も洗濯機も手動から少し便利な暮らしに移って行くのを体験しました。

手探りの暮らしは何もない日は1日もなく、毎日、どうしていこうか、と頭をひねり、やってみる暮らしでした。そうする日々で気づいたことがあります。

 

自分の暮らしがたくさんの人の知恵からなっているものであり、たくさんの人の優しさをいただいて生きてるのだということ、でした。

我が家はみんなに助けてもらって家がたち、その関係を深めて行くことで、今も、たくさんの部分を支えていただいています。たくさんあるからってご家族が釣ってきたお魚を分けてもらったり、子どもたちはおうちに上がらせてもらってテレビ見てきたーと、交流とうちにがないテレビ見て楽しむことをしてくる。私たちだけではない人が関わってくださることで子どもたちはたくさんのことを学んできています。一番はきっと、好きな大人がいてくれる安心感をえているのだとおもいます。

 

あたまではわかってきたつもりでした。

自分はいろんな人に助けてもらってるはずだし、いろんな人の知恵があってアパートがたちそこに住めるのだと。

 

でも実体験はあたまでなく、身体でそれをかんじるようになりました。

私が今、この暮らしをしてよかった、って思うのは、自分がどれだけの暮らしをしているのかがいくらかわかるようになったこと。

 

タイでのもののない暮らしの感覚がここでグッと生きてきました。

あるものを工夫して暮らしていこう、という行為が自然にできるようになったのです。

コンビニに走らなくてもいい、体に悪いなーって迷いながらコンビニスイーツを食べる必要もない。

自分の暮らしが十分過ぎると感じるようになったから、我慢をすることもなく、離れて行くようになったのです。

どんなに断捨離をしようとしても数日しか続かなかったけど、自分との向き合いを通して、片付けられない根本がどこにあるのか気づくようになり、本を読み漁る必要もなくなりました。毎日色々起こり忙しい日々は、今の自分に集中することいまの自分で超えて行くことを身につけさせてくれました。

答えは本屋さんではなく、自分の中にあるのだから、自分がどんな人間で、どう生きていこうとしているのかを考えているうちに、自分の必要なことえにたどりついていくことがわかったのです。

 

それにね、本ではなく、私たちの周りには、日々の暮らしの中に、理想の友達、先輩家族がいるから、どうしたら近づいていけるのか日々、自分で思考錯誤していけるのです。

いつの頃からか私にとっての理想の人は、その人だけで光ってるのではなく、ご夫婦で思い合い、ご家族で思い合ってる方ばかりになりました。

私が生きて行きたい方向なのだとはっとし、いまは素敵な大人になっていけるようにひびをつみかさねています。

 

もののない暮らし、自分で寒さや厚さを容易にコントロールできない暮らしは、私の器を少しずつ大きく深く、手びねりのろくろを回しながら作り上げていってくれています。

きっとこれは永遠に続いて行く作業なのだろうなあ。

 

もののない暮らし、完璧でない家での暮らしは、私にとってあたまでいくら考えても思いもよらないことだらけの経験でした。でも私はここから豊かさを考えるヒントをたくさんもらっています。

 

ムヒカ大統領の演説が私なりの経験でしっくりと理解できたことも、なんだかとっても嬉しかった。

私もそう思う!!って。

 

サハイナンでの暮らしは自然だけでなく虫とも対等に暮らすしかない日々の中で、大自然の優しさと脅威を感じました。

 

先日クリスマスのイルミネーションを見ながら、 綺麗だけどやっぱりそういう風に使っていたら電力たくさん必要だよね、と現実を感じました。街の明かりもそう、昔からあるおじいちゃんがやってるような医院と車屋さんや大型スーパーから漏れてくる明かりの量の絶対的違い。屋台のような軒先の電球一個で最低限は賄えることを知ってます。だから確かにこの光輝くあかりを1日浴びていたら、じぶんでもきづかないうちに身体がよるか昼かわからなくなっていて、体調崩すかも、って想像します。なんとなく調子が悪い、、、っていうことが起こってるのは確かに自然から離れたことも一因なのでしょうね。

 

電気使いすぎだよなあ、水道水が美味しくなくなってきたよなあ、調理に毎食手間かけてたけど、(チキン南蛮作ったり、グラタンにしたり、おかずをなんぴんもつくったり)家事も食費も自分で増やしてることに気づかなかったからたいへんだったなあ、とか、そういうことも感じられるのは便利なもののない暮らしを経験したからだよなあと、いろんな気づきに面白いなあと感じています。

 

 

昔の戻るのがベストなわけではないけれど、どう移り変わってきたかを知ることで、人間の身の丈にあった暮らしを探っていけるのかもそれない、と思っています。

 

サハイナンには私たちのタイ人の家族がいます。

国を超えて同じ思いで日々を積み重ねる素敵なご家族。

このコミュニティを作ったこの家のお父さんは私たちにいつもハッピーかい?ってききます。

それがいつの間にやら私たちの癖になり、自分たちは幸せであるのかどうかを日々確認するようになりました。

ちょうど日本でもそれを毎日問いかけてくれる人がいるから。

 

ライフラインのない暮らしの中で、シンプルにハッピーを自分で感じていけるかどうか、経験してみること、結構おススメです。

私を変えてくれたのは本ではなく、行動でした。

自分でできることを広げてみること。

親との関係から、自己肯定感の低すぎた私でしたが、今は自分が自己肯定感を育ててくれています。

自分の人生の日々を大切にしたいなと思う日々。

 

じぶんをもっと好きになるために、自分の好きな場所でまた学んでこようと思います。

 

今年はもっと持ち物をシンプルにしていこうと思います。

最低限が何かを知ってるから、ものがどんどん減って行く。

タオル一本でできることがたくさんある。

バスタオルにもなれば子どものオムツがわりにも生理用品がわりにもなる。

布が一枚あれば、シーツにも川で泳いだときの目隠しにも、手提げが壊れそうなときに包むこともできる。ついでに子供達が水遊びで服を濡らしたらそれで布をまとわせてあげればオッケー。

タッパー一個で、猫にスルメを取られず、子どものおやつのときのお皿になり、テイクアウトのとき、使い捨てパックを使わなくていい。

 

こうして知恵を育てて行くっておもしろい。

ついでに心も身体も軽やかに、掃除も簡単。

新しい断捨離法だなとおもう、笑。

 

ゆるぶら 試作。買おうと思ったんだけど結構高かったし、ガーゼ生地も残ってるしつくってみた。作るの楽しくて、気持ちがスッキリしたし、綺麗に縫えたんだけどな。うまく行ったらタイで使いたいんだけどな、どうかな。

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