日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

好き、というきもち。

我が子を見ていて思うことがある。

 

大好きな人がいるっていいなって。

 

大ちゃんにも、こゆにも、大好きな友人がいる。

しかもそれが両思いで(同性もいれば異性もいます、笑)、一緒にいられない時間が続いても、手をつなげばすっと遊び始める。

 

このミルクとコーヒーがまじあうような、ココアとミルクがまじあうような感じ。

一緒にいると安心できるし、楽しい。

つまらなければ今日はなんかつまんない、って口に出して言えちゃう関係。(でもしばらくしたら遊んでるから、そんな時間も共に味わいつつ)

もちろん時には一緒にワルをしてみたり。(特に男子!)

そばにいるだけで気持ちを寄せ合ってるのがわかるこの感じ。

家族と同じように大事だから、ちょっとした時に、これをあの子にあげてね、とお願いされることも。

 

こんなに心を合わせられるって素晴らしいことだよね。

 

もちろん大好きな大人もいる。

大好きだからあえて好きって言わない。

好きであることが彼らにとって当たり前のことのように。

んで、好きだから、その人の行為をよくみてるしかんじてる。

 

そして何よりもね、安心してそこに居られるみたい。

 

大好きな人を見つけられる力は子どもの方が柔軟だろうと思う。

 

好きがあるから大好きになる。

小さなうちに大好きな人との関係を結べたひとは、それからも好きな人をいろんな場所で作れるのだろうな。(もちろん合わない人がいればガタガタ言わず、そっとはなれるのだろうな。)そうして、その時々の生きる場所を安心して生きられる場所にしていけるのだろうな。

 

安心して日々を過ごせる経験をしてもらう、それもとっても大切なこと、なんですね。

 

共に過ごした分、我が子の「好き」をちょっぴり多く知ってる自分がちょっと嬉しかったりするのです。いつでも子離れの準備、笑。

 

家族でやらねば終わらぬ冬支度。

断熱!

マイナス3度の雪の中、頑張ってはりました。

でも暮らすことに忙しいっていいです。

余計なことで落ち込む時間もないですしね。

足のしもやけ、いつになったらなおるかなあ、笑。

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