日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

あめあがりのこどもたち。

雨上がりの日。

室内で満足した子供達。

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そとであーそぼ。

と出て行った。

そしてなにやら作ってよびにきた。

「冒険コース作ったんだ!!」

 

見に行ったらこんな感じに。

今朝、この水たまりの排水に失敗して延期してた池になった側溝。

どこからか板を見つけてきて二本の橋を作った二人。

これがかなりしなるので大人、使用禁止。

落ちそうだなー。けっこうたかいのでこゆは大丈夫か??

と思ったけど、グッとこらえて結構高いから気をつけてね、とだけ声をかけてみまもる。

 

この奥は草を刈って冒険コース。

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ちなみに草を刈った道具は先日廃材の薪を作るの中で大ちゃんが目をつけたこの板。

馬のような綺麗な形になっていて自然の造形美。

廃材がこんな形に変化する、自然の中にいるとおなじことがなくて、発見にワクワクするのです。

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つぎのひ、また廃材場にいってこゆのなたを探しました。

今度はペガサスのようなツノのついたステッキと、仙人にような円を描いたステッキが見つかり大満足。

日常に中に夢とワクワクが詰まっているこのくらし、うちの中で白い息をはくくらいさむいけど、さいこう!!!

 

こゆでさえしなるこの橋、ぬかるにはかなり沈むので長靴濡らしてサンダルに変え、1時間ほど遊んで泥んこになって戻ってきました。

初雪降った次の日、結構冷えてるけどこんな遊びならばやりたいよね!!

この発想に脱帽です。

 

想像力も自分の身体の感覚も日々つけています。

運動ではなく日頃の中で。

寒くても裸足で駆け回り、こっこちゃんのお世話をし、お手伝い、ではなく、生活の中で必要にかられて、手伝ってくれる?とお願いすると動いてくれるこどもたち。

畑の雑草取りに手を貸してくれたり、手が離せなくて仕事してると今日は夕飯つくるよーと、一人で作ってくれる頼もしい三年生。これは私がいない方がうるさく口出さなくていいみたい。

作りたいものをいろいろ作って試してるようです。

 

もちろん遊んでる時は今遊んでるからできないの、ごめんねー。と、伝えてくれるので、無理強いはしません。そんな言い方をしてくれる彼の配慮にすごいなあとただただ思います。

 

暮らすことの中で育って行く感情や創造力、生き物や自然に対する配慮、ここに来てたった2ヶ月、タイの村にい田時を考えると一年弱、こどもたちの感性を感じるので日に日に自分を押し付けられなくなって来ています。

今まではもうー、さっさと片付けてよーって言っていた雑な言葉などが、彼らの心の深さを感じ、ふと使えなくなってしまったのです。

 

彼らを尊重する、というより尊敬すべき彼らの姿を感じ、上から接することがしぜんとできなくなってきたのです。彼らの優しさとピースフルなあり方に我が身が動かされたというか。

 

今日は自分の優先したい家事があり、修理せねばならない機械の直し方を教えてくれるという大ちゃんを待たせ続けた私。

 

旦那さんがしびれを切らして、早くやろうよ、っていいなよ、って大ちゃんに声をかけたそうです。

そうしたら大ちゃんが怒って、ママは僕たちのために今、動いてくれてるんだよ!そんな風に言わなくていいでしょう。

 

って言ったそうです。旦那さんが怒られちゃったって私に言いに来ました。

私が大ちゃんと逆の立場なら言うでしょう。

私の時間都合もあるんだから今やるよ!と。

 

日頃からあなたたちのために、なんて行ったこともなかったから、そう思っていてくれたことにありがたいなと思いました。私がなかなかそうできないのに、そんな私のことを待ってくれていた大ちゃん。胸が熱くなりました。

 

そして私は家族のことをどれだけ待てるだろうって薪を作りながら考えていました。

大ちゃんの優しさや、相手のことに気づく心に私はすごく学びをもらってる。

そんなことの方がずっと多い。

 

できる限り彼のやりたい方向に寄り添おう、そう思いながら過ごしたひび。

自分の時間がほしいと思っていた数年前、けれども今子供たちに寄り添いたいって自分の気持ちとちゃんと向き合い、いつのころからか、子どもとの時間も自分のかけがえのない時間と思うようになった。色々やりたいと思って来たけど、結局はこの子たちと楽しかったねー、美味しかったねーと笑い合う瞬間が一番好きな時間だったから。

 

自分に都合のいい時間だけが自分の時間なわけじゃない、どんな時間であれ自分の時間で、ただ自分が今、どう生きていきたいかというだけ。数年しか共にいられないこの子たちとどう過ごして、どんな姿でこの人たちの心に残りたいか、それを考えるようになった。

 

私はどれくらい彼に寄り添えたのだろう?と時折思います。

1つだけ言えることは、そんな日々を大ちゃんは大ちゃんのペースで自分の人生を生きてくれていたのかなと。

自分で感じて考えて、自分のペースで過ごす日々が持てたのかもしれないな、とおもい、いくらかでも彼の人生に寄り添えたのであろう母である自分に少し嬉しいな、と思います。

 

彼の日々は色々あるけれどもとても楽しいものだそうです。

どこにいても自分の興味のあることを探してそれに向かえる大ちゃん。

4つも違う兄と張り合うくらい、日々を満喫する気持ちの強いこゆ。

この自然は彼らの夢と日常にどうよりそってくれるのでしょう。

みている私までワクワクしています。

自然と八百万の神様に感謝しかない日々。