日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

家族との関係を築くということ。

時々、気分の波が来る。

人としてあることだし、そのことは悪いことではなくいまはそうである自分を一歩引いて見つめて受け入れられるようになれたらいい。

 

そう思うけどまだまだ行動はついていかないので、少しずつできる範囲で積み重ねる中で今を生きるようになった。

 

でもね、近頃、家族に怒る自分に違和感を感じてることに昨日、ふっと気づいた。

 

特にね、子どもたちに怒るとき。

彼らが自分の経験で知っていく、それが人生なのだから黙っておくのが一番なのにね、ちょっとだからってパンとかもらっちゃうから喘息が治らないんだよーっていう。一度や二度なら、伝える、という意味でいいとは思うのにね、自分の虫の居所悪いとつい行ってしまうのです。

 

そしてまた余計なこと言って、やな雰囲気作った上に、子供達に罪悪感持たせてるなあ、って反省してる自分がいて。

 

この繰り返しがすごく嫌になってることに気づいた昨日。。

でもふと振り返ってみると子供達だけでなくて旦那さんにもこういうことやってるんだって気づいて、ここを変えて行けばもっと自分たちがピースフルな関係になれるんじゃないかって思った。

なかなかこのサイクルから抜け出せない、それはなんなのか。

 

問題は自分にある。

こうして自分の不安やイライラを押し付けてしまう原因はどこにあるのか、かんがえはじめた。

相手に対しひていてきなきもちになったとき、多分、それは相手のせいじゃない。

相手が抱えた問題ももちろんあると思う。

でも私はどうしたいのか、どうありたいのか、って考えた時に、やっぱり問題は自分の中にある。

 

うーん、なんて言えばいいんだろう。

例えば、「うちの子は」って謙遜することや、「うちの旦那なんて」っておもうとき、それは自分が劣等感もってる部分だったり、自分が旦那さんと丁寧にコミュニケーション取れてなかったりすることが原因なわけで、自分の子ができないわけでなく(母として自分の恐怖心から我が子の石橋叩いて経験させてあげなきゃできないのは当たり前だし)、旦那さんが仕事にかまけてるせいではない。

 

こういう思考になり始めて、数年。

心の何処かにいつもこの思考を使うスイッチがあるので、少しずつ修正をはじめた。

 

そして近頃、もやもやという苦しみの中に突入してた。

先日あたりから子どもたちによく、今怒ってるの??とよく聞かれるんだけど、その度にいつも眉間にしわを寄せていた母を思い出し、一緒にされた気分になってイラっとしてた。

でも数日経って冷静にそんな自分を見つめ始めてる自分がいて、たしかに母の顔をしてる自分がいた。

 

そういう風に自分を観れるようになったこと、私もわずかずつ成長してるし、ここから抜け出せるチャンスを頂いてるなあって思うのでそれを励みにここをこえなくちゃな。

 

気分のなみがちょくげきするのはいつも家族だから、そんな自分を変えて生きたいと思う。

ここに平和なくして楽しみはそう多くないだろうからね。

 

昨夜、急に温泉にいって子供達は旦那さんとお風呂だったから、怒った自分はどうしたかったのか聞いてみた。いろんな目標を決めたり、本読んだり、この人みたいになりたいって思ったりして来たけど、ぶっちゃけこの方法は読んだその時、会ったその時にしかきかない。

 

もう自分に聞いてみるしかないんだなってふっと思ってね。

自分に聞いてみて自分がやりたいように、なりたいように向かって行く、今度はそうしてみようって思ったら気持ちがふっと楽になった。

こんな習い事をしたい、こんな生活したい、こんなとこ行きたい。

そういう行動はたくさんして来たけど、実は時間の流れが速すぎて、自分の気持ちをプラスもマイナスもちゃんと受け止めて、自分と対話したことなんてなかった気がする。小さな頃からそういう経験が極端に乏しかった。

 

まだ自分の中の答えは出てない。いずれ言葉でなく、行動で出ていくのを待とう、とおもう。

それが変わるということなのだろうから。

 

瞑想やヨガが世界的にブームなようで旅人ほどそういうことをする人が多い気がする。

タイを旅した時も、そういう時で学んでる人が多くて、もちろん私も興味がありました。

けれども、自然の中で暮らす時間が長くなるほど、それはスキルじゃないんだって感じます。

 

自分の中の違和感に気づいた時、日々のふとした時間の中で自分に問うてみる。

毎朝瞑想したとしても、この小さな違和感はその時すでに忘れてしまってるから、暮らしの中での心のゆとり、時間のゆとりを持てる心で暮らそうという気持ちが大切なのかもしれない、って感じます。

 

うちの子どもたちは、それを身につけられる環境の中で暮らして来たから、日々、それをできてるんだろうな。自然とそんな人が彼らの仲の良いお友達になっていってくれていて、すごいなあと思います。

 

この暮らしになって日常の一コマ一コマの中の楽しみ方が、また変わりました。

これね、パン屋さんで惣菜パンでなく、食パン買って来たんです。あ、娘は念願の菓子パン一つかってるけど、笑。

自分たちで火を起こしてバーベキューパンにして食べてね、といってどこっと渡した時の様子。

かまどゾーンに石が並べてあって面白いから思わず写真撮りました。

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先日もおせんべいやフルーツをやめて、生栗を買ってきて好きなように食べなーと言って渡したら、それも楽しんでました。この日は圧力鍋で蒸してたけどね。

便利じゃないってね、こんなにも楽しいなんてね。

 

週末はサンマ買ってきて枝にさして塩焼きしようとおもいつき、もりあがってます。

来週あたりは焼き芋かなー、燻製かなー。

週末の家族イベント目白押しの秋です。