日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

不便であると言うこと。

山暮らしを始めて人生の先輩の話を聞かせてもらうことが増えました。

 

私は結構それが好き。

でね、五郎さんの奥さん、お裁縫の達人。

こんど昔のミシンを見せて欲しいんだと、お願いした時に、昔は名前の刺繍もジグザグミシンを使って手作業だったの、なんてはなしてくれました。

確かに考えてみたらそうだろうけど、そうぞうもしたことなかった。

刺繍も自分でミシンの塩梅変えながらしたのよ、って。

 

あいうえおの練習した布や綺麗な紅葉模様のミシンを使った手刺繍、寿の刺繍を見せてもらって感動しきりの私。

字を書く癖が出るって言ってたけど、すごく可愛くて素敵だなって思った。

 

2年ほど前に買った私のミシン。10年以上使おうと思って思い切って買った相棒。

それをどう手入れして修理できるとこはしていこうって考えた時に、五郎さんの奥さんの相棒の50年もののミシンを見せてもらおうって思ったの。

ジグザグミシンが出かけた頃買ったものだって奥さんは言う。

 

私のミシンもたくさん使ってもっと相棒にしていきたいけどどう使ったらいいかな、って相談したら、今のは精巧すぎて難しいかもしれないね。って言っててね、その後、刺繍の話になってそうかもしれないなって思った。

 

昔のはシンプル。

色々やろうと思ったら勉強して技術を身につけていく必要がある。

でもシンプルが故にできることがたくさんあり、次々にツールを買い足さなくても自分で生み出して行けるのかもしれない。

修理することも手入れすることもね、もっとしんぷるなのだろうとおもう。

 

不便は可能性に満ちてる、私は最近そう思うことが増えた。

だからね、私は不便を楽しいと思う。

だから私は昔の暮らしを知りたいと思ったのかもしれないな

 

私のミシンは便利で、精巧で、素人の私でも機能を買い足せばなんでもできる。

でも一つ壊れたら高いお金で修理してもらうしかない。

相棒だもの、自分で治したいと思うのにね。

 

でも昔に戻れるわけではないから、このミシンを自分で50年使いこなせるように祈って、自分で知ろうとしていこうとおもう。

五郎さんご夫婦の暮らしにはこうして直しながら作り上げて行く=希望があると私は感じてます。

直して使って行くものは愛しい、そして無駄がない。

タイの田舎に住むサンドットさんと同じことを五郎さんは言う。

自然には全てがある。

 

もちろんごろうさんちにも金属のものもある。

けれども五郎さんはそれを一回きりの人生にはしない。

それが五郎さんの手で二度も三度も生まれ変わる。

これが大切に使う、ってことなのかなって教えてもらった気がする。

暮らしそのものの中に五郎さんご夫婦のワクワクが詰まってるのはそれも一つのエッセンス、なのだろうな。ただただすごいなとおもう

。すごい先輩に出会えたことがありがたいです。

自分の手で治せるようになること、私も70歳になる頃にはもっとそう言うことが増えてるといいな。

 

うちの物干しもそうして五郎さんが今朝、作ってくれたもの。

現場の足場みたいなポール。

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我が家にはこうしていろんなとこからやってきた廃材が組み込まれ、私たちの暮らしが始まっています。

ただ今二棟のスーパーハウスの壁をぶち抜いてるとこです。電車の連結部みたいになってます。もう一枚の窓のとこもぶち抜かねばなりませんー。トイレに行くまで外を通らねばならなかったのが、扉ができるまでこのぶち抜いた壁をそのまま通っていけます。

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いえってこう言う風にできてるんだ、って解体しながら納得してます。

そんな自分に手の届く暮らしが形になり始めたこと、この家にいるだけでワクワクします。

 

札幌市内より寒さの早いこの土地、雪虫も飛び始めたし、この通路がなるべく早く室内になるように私もお手伝いしまーす。